【桃太郎さん】
昨日は久しぶりに『桃太郎さん』のお墓参りに行ってきました。
『桃太郎さん』とは、『霧社事件』で犠牲になった大勢の日本人たちのお墓の’頭部分’です。
【霧社事件犠牲者のお墓:『桃太郎さん』は塔上部分。左の両名は下山操子さんのご両親/日本統治時代:霧社にて】
日本の敗戦に伴って中国から国民党が台湾にやってきました。
霧社にももちろん国民党が入りこんできて、霧社にあった日本人犠牲者たちのお墓も国民党たちに破壊されてしまいました。
当時この地に残って生活していた下山さんたちは、お墓が破壊される情報を逸早く掴んでいて、破壊される前夜(深夜12時ごろだそうです)
に一家総出5人で墓標の上にある桃の様な形をした石を取り外して隠し持っていてくれました。
当時、この辺りでは深夜になると殺された日本人たちのお化けが出るなどのウワサも広まっていたので、夜中には誰も近づかなかったそうです。
そのおかげで夜中にこっそりと人目に付かずにこの頭部分の石を取り外せたと言っていました。
私の友人の下山操子さんは、懐中電灯を持っている役だったそうです(当時の様子を楽しそうに話してくれました)。
【下山さん一家/右から三番目の女性が当時の下山操子さん】
私は同じ日本人として彼らが取った行動を本当にありがたいと思います。
日本人たちが敗戦に伴って次々と日本に帰国する中、下山さん一家は仕方がない諸事情(私は聞いていますが)で台湾に残る選択をしました。
国民党政府の支配下、日本人家族は本当に辛い目にたくさん遭ったと言っていました。
そんな中でもこの『墓石』を隠し持っていてくれました。
流石に『日本人犠牲者の墓標』があるとは公に言えないので、仲間内で石の形から『桃太郎さん』と隠語で読びあっていたそうです。
【昨日。左:下山さん 右:宍戸さん】
今回の訪問は、日本敗戦後も日本からの出張医として原住民(武界一帯)の診療所で貢献されていた芹田医師の娘さん(現姓:宍戸さん)が
昨年に引き続き私の宿を利用してくれているのでお連れしました。
下山さんは激動の時代を生き抜いた方です。
今回も本当に貴重なお話をしていただけました。
申し訳ありませんが、私からお墓の場所、下山さんの連絡方法等に関する情報の開示はできません。
何卒ご察し下さい。
渡部健作