【醒靈寺の狛犬(石造)】
日本が台湾を統治していた時代、埔里には『能高社』と言う大きな神社がありました。
『能高社』は、大正14 (1925)年に建てられた天照大神を奉っていた神社です。
場所は現在の『地理中心碑』の辺りらしいのですが、本尊があった場所はたぶん現在の埔里高工(隣にある工業高校)
の敷地内の体育館倉庫のあたりだろうと言われています。今では完全に形跡もなくなってしまっていて確認する事が
できません。
ただ、地理中心碑(石碑)から中心点に続いている階段脇には当時使っていた石塔の残骸(捨ててある)を見る事ができます。
後に『能高社(地理中心碑の場所)』の『狛犬や石塔・その他資材』が埔里の入口付近にある『醒靈寺』に移築されました。
【醒靈寺】
場所は、愛蘭橋付近の高台にあります。
寺院の周りを少し散策してみました。この階段もけっこう古そうです。
こちらの寺院の人にも少しお話を聞けました。
現在現存している移築された物は、正門から下に伸びる坂道に並んでいる石塔といくつかの狛犬のみだそうです。
いくつもあった石塔に関しては、ご覧の様に現存部分は、『上の傘の部分』だけでした。
狛犬はかなり破損してしまったらしく、後からの修復の痕が痛々しかったです。