西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

2007-06-30 21:43:15 | 音楽一般
これまでの経験で梅雨の終わりごろ雷がよくあったように思います。(地域によっても違うでしょうが。また最近は、関東あたりでも冬にあったりして、今までもっていたイメージとは大分違う感じもしていますが。)そうすると、梅雨も終わりで、これから暑い夏がやってくる。7月の半ば頃のことです。
ベートーベンの「交響曲第6番「田園」」は他の交響曲と異なり、5楽章からなっている。ベートーベンは第3楽章「農民達の楽しい集い」の後に第4楽章「雷雨、嵐」を描き、そして最終楽章で「牧人の歌-嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」を表している。ヨハン・シュトラウスにも雷を描いた音楽はあるが、このベートーベンの作品では、「牧人の歌-嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」を引き出す前触れとして効果的に用いられているように思う。困ったことがあっても、その後には必ず感謝の気持ちを起こさせるようなことがあるはずと言っているようだ。私は、この作品の第1楽章、第2楽章そして第3楽章以降から多くのことを教えられたように思う。実際私がクラシック音楽に興味を持つきっかけとなったのはこの「田園」であった。特に第2楽章が印象深く心に残ったのを覚えている。そのころ多く聞いていたのは、ハンス・シュミット・イッセルシュテットがウィーン・フィルを指揮したものだった。この曲とこの演奏は私にとっては特別なものなのである。

アンネ・ゾフィー・ムター

2007-06-29 09:36:10 | 音楽一般
今日は、バイオリニストのアンネ・ゾフィー・ムターの生誕日です(1963年)。
ムターというと、カラヤンを思い出します。14歳くらいでしょうか、天才少女現るといった感じで、彼女を世に送り出したのはカラヤンといっていいでしょう。モーツァルトの「バイオリン協奏曲第3・5番」がデビューレコードだったと思います。残念ながら、1・2・4番は録音されず、後にムーティが指揮して5曲をセットにして出されたと記憶しています。それはともかく、この3・5番の演奏はとても良いものだと思いました。のちにカラヤンは、ベートーベン、ブラームス、メンデルスゾーンなどを彼女と録音しました。カラヤンは、私がバイオリニストだったら、彼女のように弾くだろうとと言ったことがあります。バイオリニストとして当然のことながら、後にベートーベンのソナタを全曲録音しました。これも期待に違わない優れた演奏だったと思います。一昔前のバイオリニストとは違う現代的なベートーベン像が出ていたように思います。そのような中で、演奏会の模様を放送した時がありました。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」です。アドリブ的に演奏する所がありますが、そこのところを何かあっさり簡単に弾いていたように思います。もう少し抒情的に弾く弾き方もあるのではないか、そのような弾き方もあるのだろうか。今までに知っていた「ツィゴイネルワイゼン」とはずいぶんと違っているので驚いた記憶があります。ムターは、間違いなく現在の頂点に立つバイオリニストの1人でしょうが、どうもその記憶が最初に思い出されます。

ヨーゼフ・ヨアヒム

2007-06-28 08:32:29 | 音楽一般
今日は、バイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムの生誕日です(1831年)。
ブラームスの伝記を読むと、バイオリニスト兼指揮者のヨアヒムのことがしばしば語られるのが見受けられます。ブラームスの2歳年上のこの音楽家は、19世紀最高のバイオリニストと言っていいのだろう。
ブラームス45歳の時の、唯一のバイオリン協奏曲は、このバイオリニストに捧げられたものだ。作曲時に助言を受けてもいる。そして54歳の時に作曲されたバイオリンとチェロのための協奏曲(ドッペルコンツェルト)にもヨアヒムの名が語られる。3年前に2人が仲違いして以来、疎遠の中であったものを回復すべく、ヨアヒムの独奏を見越して作曲されたものだ。実際初演では、ヨアヒムがバイオリンの独奏を勤め、チェロの独奏はヨアヒム弦楽四重奏団のチェロ奏者ハウスマンが当たり、指揮はブラームスが行った。本来第5交響曲となるべく着想されたが、その時の状況から、この形になった。それで、この曲は、「和解の協奏曲」という名が付けられた。
この曲の演奏は、やはりオイストラフとロストロポービチを独奏者に迎えたセルの指揮するものが第1に推すべき名盤でしょう。私としては、2人の組合せをカラヤンが指揮したものがないのが残念ですが、このセルの演奏もいずれにも劣らない名盤と思います。

雨-その3

2007-06-27 09:05:11 | 音楽一般
曲名辞典で、索引を見ていたら、「黄金の雨」というのがあった。知らない曲である。作曲者は誰かと思って、本文を見ると、ワルトトイフェルとある。ワルトトイフェルは、有名な「スケートをする人々(スケーターズ・ワルツ)」の作曲家である。私は1枚だけ、彼の作品だけからなるLPを所持している。そこには「スペイン」「女学生」「美しい唇」「真夜中」それに先ほどの「スケートをする人々」などが入っている。だが、「黄金の雨」はなかったように思う。演奏は、モンテ・カルロ交響楽団だったと思う。(今手元にないので)曲も良いが、演奏も申し分なく良く、またジャケットも良かったように思う。以前も書いたが、LPは、ジャケットにそれなりの工夫が凝らされたものも多く、その印象も聞くことに影響を与えるようだ。確かに、LPは音も自然でいいです。私の音楽財産の7割はLPですが、これはいつまでも取っておきたいように思います。
ワルトトイフェルの名を見た時、私はいつも思うことがあります。この姓は明らかに、ドイツ系のものです。「ワルト」は「森」、そして「トイフェル」は「悪魔」です。普通「悪魔」などという言葉は人名にありえないだろうと思うのですが。(つなげると、「森の精」になるようです。)今辞典で初めて知りましたが、彼はアルザス人とあります。「パリに出て舞踏音楽の作曲家として成功。ナポレオン3世のユジェニー皇后付の音楽家。」とも。しかし上にあげた曲はいずれも、1870年以降の作曲のようです。ということは、ナポレオン3世が9月2日のセダンでの降伏で没落、翌年のパリ・コミューンの混乱のさなかに「アルザス・ロレーヌ」はドイツに割譲された後の作曲ということになります。結局「ユジェニー皇后付の音楽家」である元「アルザス人」のフランスの作曲家は、アルザスがプロイセン領になってから後世に残る傑作のワルツを書いたということになるのでしょうか。



マーラー「交響曲第9番」

2007-06-26 10:24:51 | ロマン派
今日は、マーラーの「交響曲第9番」が初演された日です(1912年)。
マーラーの作品は、大きく交響曲と歌曲に2大別されると言っていいでしょう。
交響曲は、第1番「巨人」から第8番「一千人の交響曲」の後の「大地の歌」、それと9番の後の未完成に終わった10番を合わせ11曲となります。歌曲は、数え方にもよりますが、全部で44曲あります。歌曲の中には交響曲に流用されたものもあり、マーラーの場合、交響曲と歌曲は緊密に結びついていると言っていいでしょう。そしてこれらの頂点に立つ曲が、この「交響曲第9番」と言っていいでしょう。その前の第8番「一千人の交響曲」が名前から分かるように大規模な演奏者陣を要するのに対し、この作品は声楽を含まず室内楽的な要素を持ち、この点でその後の新ウィーン楽派の傾向につながるものがあると言われたりしています。それはともかく、この曲は、死の直前の作品であることから色濃く作曲者の思想を反映したもののように思われます。それを厭世観と名付ける人もいます。1909年夏から作曲を始め、10年に完成しました。その翌年5月マーラーは亡くなり、初演は死後に行われました。ブルックナー同様、この第9番に作曲者の人生の総決算が描き出されているように思います。私は、彼ら2人の「交響曲第9番」から、ベートーベンの全作品から受けたのと同様の大きなことを教えられたように思います。ただ、これらが分かったなどというつもりはなく、ゆっくりその真価を知りたいと思っています。

ギュスターヴ・シャルパンティエ

2007-06-25 09:07:59 | 音楽一般
今日は、フランスの作曲家ギュスターヴ・シャルパンティエの生誕日です(1860年)。
シャルパンティエには、もう1人マルカントワーヌ・シャルパンティエがいて、こちらはヴェルサイユ楽派の作曲家です。「真夜中のミサ」など優れた教会音楽を書いています。
ギュスターヴ・シャルパンティエは、歌劇「ルイーズ」の作曲者として知られています。日常の出来事を題材にしたヴェリズモ・オペラに分類される傑作である。20代半ば、私はこのオペラの名を知りませんでした。レコード店に行っても見かけたことはなかったと思います。初めてのヨーロッパへのツアーで、フランスのパリに行きました。オペラ座では何をしているのか、できたらチケットが手に入るなら見てみたい、と思い、オペラ座前の切符売り場へ。
私は、Qu'est-ce-qu' on donne a l'Opera ce soir?(今日オペラ座で何をしていますか?)と聞く。
チケットのおばちゃん、…. Une tres belle piece.(・・・。とてもいい作品よ。)
というような返事。
….のところがわからなかったのです。わからなかったというのは、その名を聞いてもそのオペラの存在を知らなかったのです。知らないオペラを見てもしょうがない。ヴェルディとかプッチーニ、あるいはビゼーまたはグノーのオペラだったら、と思いました。その後、旅行から帰ってからでしょうか、ふとこの時のオペラのことを気にしていた時、シャルパンティエのLouiseだったのではないかと思いました。(85%くらいの確信です。)1音節の単語だったのです。レコード店で3枚組みの「ルイーズ」を見つけました。もちろん購入しました。この時見られなかったその音だけでも聞けるわけだしと。オペラ座は建物を見るだけでもいいわけだし、その意味でもたとえ知らないオペラとしても入るべきだったと後で思いました。シャルパンティエというと、この時のことを思い出してしまいます。
この時のツアーでは、私は貪欲に音楽会を見てまわっていました。ウィーンで「メリー・ウィドウ」(アン・デア・ウィーン劇場)、その前ローマでは「アイーダ」と「リゴレット」(カラカラ劇場)、ロンドンではクリーヴランド弦楽四重奏団によるベートーヴェンのチクルス(クイーン・エリザベス・ホール)の1回で14番が入っていたのを覚えています。オペラ座は、また行く機会があるでしょう。その時に、と思っています。

ブラームス「ピアノ五重奏曲」

2007-06-24 08:53:22 | ロマン派
今日は、ブラームスの「ピアノ五重奏曲」が初演された日です(1868年、パリ)。
この曲は、作曲者31歳の時に書かれ、弦楽四重奏にピアノが加わった唯一の作品です。
1868年の春、ブラームスはデンマークに歌手のシュトックハウゼンと演奏旅行に出かけた。デンマークは、4年前のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争がウィーン条約により終結し、両地方がプロイセン・オーストリアの共同管理下に置かれるなど、ドイツに対しては良い感情を持っていないと思われたが、杞憂に終わり、2人は暖かく歓迎された。そしてある歓迎のパーティーの席上、ブラームスはコペンハーゲンの誇るトルバルセン博物館のことを聞かれ、ここに行った感想を称賛の言葉で述べたのは良かったが、これがベルリンにないのが残念だ、そしてドイツのものだと良かったのだが、と余計なことを言ってしまった。またこの席でビスマルクを大いに褒め上げる言葉も述べた。シュトックハウゼンは、この席での予定されていたブラームスのリートの演奏をやめてしまった。このことは、翌日、町中に知られてしまい、ブラームスは、予定を変更し、キールへと戻ってしまった。シュトックハウゼンは、この出来事から、ブラームスのゲルマン讃美の考えを批判するようになったということだ。
ブラームスのこのような考え方は、2年後にも見られた。70年の普仏戦争である。66年の普墺戦争は、ゲルマンの国同士の戦いで、両国の戦死者に同情をよせたが、今回は違っていた。根っからのフランス嫌いのブラームスは、プロイセンの勝利を願い、義勇軍に参加の意志も持っていた。プロイセンの勝利が分かると、すぐさま「勝利の歌」を作曲し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に捧げたのだった。この普仏戦争で敗戦側のフランスでは、グノーがエレミアの詩による「ガリア」を書き、フランスの哀歌を歌ったのだった。

雨-その2

2007-06-23 09:57:47 | 音楽一般
昨日久しぶりにこの梅雨2度目の雨が関東地方に、というよりもわが郷土に降りましたが、今日はすっかり天気も回復し、暑くなりそうです。
雨に因む曲として、ブラームスのバイオリン・ソナタ第1番があります。通称「雨の歌」と呼ばれていますが、これは第3楽章に自作のリート「雨の歌」(Op.59の3)を用いているためです。ブラームスには、この曲を含め、3曲のバイオリン・ソナタがありますが、もうひとつFAEソナタというのがあります。これは、ディートリッヒ(シューマンの弟子)とシューマンそれにブラームスの3人の合作で、4楽章からなる作品のうち、ブラームスは第3楽章を担当しています。当時最高のバイオリニストといわれたヨアヒムを歓迎するために作曲したもので、FAEというのはヨアヒムのモットーであるfrei aber einsam(自由にしかし孤独に)の頭文字を取ったものです。

ダリウス・ミヨー

2007-06-22 08:33:52 | 20世紀音楽
今日は、フランスの作曲家ダリウス・ミヨーの亡くなった日です(1974年)。
ミヨーはいわゆるフランス6人組の1人で、その中心になって活躍しました。このグループは、合作の作品をいくつか残しています。しかし全員が参加したわけでもなく、また6人組以外のメンバーが加わることもあります。
「ジャンヌの扇」から第7曲「ポルカ」、それと「エッフェル塔の花嫁花婿」から第2曲「結婚行進曲」・第5曲「殺戮のフーガ」・第10曲「結婚式の散会」を聴いてみました。1920年代のフランス音楽がどのようなものか雰囲気が分かるような気がします。ミヨーの作品の「世界の創造」という名をCD店で見かけることがありましたが、まだどのような曲なのか聴いたことがありません。20世紀の、しかもフランスの作曲家としては珍しく12曲もの交響曲を書いていますが、これも聴いたことがありません。付随音楽を41曲、映画音楽を26曲書いていて多作家であることがわかります。今楽曲名辞典を見ると、管弦楽曲に「マルティニック島の舞踏会」というのがあるようで、注目せざるを得ません。どのような内容なのか分かりませんが、この島はフランス史の汚点ともいうべき島で、ここを題材にどのような曲を書いたのか、興味を持つところですが、おそらくはそのような意識などなく書いたのでしょう。

ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

2007-06-21 09:19:28 | オペラ
今日は、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初演された日です(1868年、ミュンヘン)。
私は、数多くある音楽史上のオペラの中で、一つだけ選ぶとしたら、この作品を選ぶでしょう。ここには、人間・人生を肯定的に取らえる明るさが充満しているからです。華やかさでは「薔薇の騎士」が、神秘性では「パルジファル」が、悲劇性では「オテロ」が、などと確かにこれを越える作品があるという評者もいるでしょう。しかし、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」には、それらよりもはるかに大事な私たちにとって必要不可欠なものがあると思います。私はそれを「ユーモア」と言っていいかと思っています。手元の英和辞典にはhumorの説明に「健全な人がもっている人間味あふれたおかしさ」(ジーニアス英和辞典)と出ていて、これは上手にこの言葉を解説していると思います。
人間肯定的なハ長調の全合奏で、この第1幕の前奏曲は始まりますが、1幕中のワルターの「冬の日の静かな炉端で」の歌唱、第2幕の前奏曲から「ヨハネスターク」と歌い始める個所、第3幕のワルターの「朝はばら色に輝いて」、「聖なる朝の夢解きの曲」の5重唱、入場曲「聖クリスパンを讃えよう」、最後のワルターの優勝歌など、このオペラ(楽劇)には魅力的な旋律が数多くあります。
カラヤンはこのオペラをバイロイトで録音した後、一度だけスタジオで全曲録音しました。1970年の12月に東ドイツにいき、ドレスデン・シュターツカペレを振ったときです。もちろんこれが私の第1の推薦版です。歌手の陣容も申し分なく、私はこの5枚10面からなるLPを愛聴しています。ベルリン・フィルとは録音しなかったので、もしあったらどのようなものだったかなどと思うこともありますが、カラヤン自身この録音を超えることはないと思ったのでしょうか。
ワーグナーはこの作品に多くのことを盛り込んだように思います。私はまだその一部しか知らないようにも思います。この作品は優に何度も聴くに値する作品です。これからもこの作品全曲を聴き、ワーグナーの意図したことを探って行きたいと思っています。