西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ヴィヴァルディ

2024-03-28 18:18:18 | 音楽一般
アントニオ・ヴィヴァルディは、1678年ヴェネツィアに生を享け、1741年ウイーンに没した。

以前書いたが、私が高校生の頃、河出書房から「決定版 世界大音楽全集」が出版された。この当時、やはり同社から、「世界の歴史」なるものも出て、当時の私は、他では教わることのないだろうことを吸収したく、これらを購入した。これらは手元に置いておきたい思う。まだ読んでないところも多くあるので。(全集の中には、私には無意味な、役に立ちそうもない文も複数あったが)
この全集は、最初24巻で始まったが、後に6巻追加され、全30巻となった。そして私にとっては良かったことだが、書棚も売りに出され購入した。甚だ便利だった。
この書籍は、美しい写真、それに口絵が多く載せられて、私にとってはまだ見ぬ地への想像を掻き立てるものだった。
ヴェネツィアと言えば、ゴンドラである。2度私はヴェネツィアに行ったが、初めてサンマルコ広場に立った時のことは忘れられない。
ワーグナーが通ったカフェはどこだろう、亡くなった館はどこだろうと2回の見聞で見つけたりした。

蒐集家の私は、ヴィヴァルディの作品を多く聴きたい、手元に起きたいと集めに集めた。
購入した順でないが、上の大全集は、まず持つべきだろう。ヴェネツィアに本拠を置く楽団だ。作品1から14まで、生前に出版した作品を網羅したものだ。それ以前、LPでイムジチ合奏団のものも多く集めていたが、CDの便利さ、ワンセット、になっているので、購入した次第。
ところで、ヴィヴァルディは何曲作品を残しているのだろう、と見ると、今はネットに作品一覧が出ています。これらはほぼ正確なものと思っています。しかし、そのままでは使いずらいので、自分で加工して手元に置いています。その前にナンバリングですが、作曲者本人はなにも付けてないので、後世の研究者が付けます。これがまたいろいろあるようですが、今は一般にRV番号が使われるようです。私が目にしたのでは、819が最後です。一般に、協奏曲は450曲超書いているとか、とにかく猛烈な数ですね。だからいくら多く聴きたいと思っても無理です。
ところで、ヴィヴァルディはバイオリンを中心とした、ソナタや協奏曲を主に書いていると長く思ってましたが、実は宗教音楽やオペラも数多く書いているのですね。最初の頃は、知りませんでした。次のCDを見つけました。
ヴィヴァルディ 宗教音楽曲集(8CD)
また、BRILLIANTから出ているCD40枚組のセットも購入しました。これには他では出ていないだろうオペラも入っています。
THE MASTERWORKS ANTONIO VIVALDI(40CD BRILLIANT)

宗教音楽の中に、「グローリア ニ長調」(RV589)がありますが、これはフランス王ルイ15世(在位1715-74)の婚儀(1725年9月)の際に作曲されたのだと言われています。またその双子の王女(1727年8月誕生)のために「テ・デウム」(現在行方不明)が作曲されたという。
また神聖ローマ皇帝カルル6世(在位1711-40)のイタリア訪問の際には、ヴィヴァルディは「作品9 ラ・チェトラ」を献呈した。カルル6世はマリア・テレジアの父親である。

ヴェネツィアなど生国のイタリアを中心に活動したヴィヴァルディであったが、亡くなったのは現在オーストリアのウイーンであった。前世紀の半ばになり、ようやく死亡時期および場所が分かったという。「放蕩をきわめたあげくウィーンにて貧困のうちに死亡」なる文書が見つかったという。そして貧民墓地に埋葬された、と。晩年の多くの時期についてはいろいろわからないことがあるということのようだ。我々は残された作品、その録音でヴィヴァルディを知ることになる。

上は、ヴィヴァルディが亡くなった頃のウィーン。右奥に聖シュテファン大聖堂の尖塔が見えます。

鈴木バイオリンの4・5巻にヴィヴァルディの曲があり(有名なイ短調(Op.3-6)と、ト短調(Op.12-1))練習しましたが、いい曲ですね、いかにもイタリアらしい。

西洋音楽史 10

2024-03-27 13:17:39 | 音楽一般
バロック時代は、その初期にオペラの誕生を見るが、オルガン音楽もこの時代を特徴付けるものといっていいだろう。後期バロックに位置づけられる大バッハがその頂点をなしているが、それ以前にも隆盛を見ていた。大バッハ(1685-1750)が師と仰ぐブクステフーデ(1637-1707)の他に、リューベック(1654-1740)、シャイト(1587-1654)、ブルーンス(1665-1697)、スウェーリンク(1665-1621)、パッヘルベル(1653-1706)などがいる。それら大バッハ以前の作曲家のオルガン作品を集めたレコードが出た時、私は興味を持ち購入した。
1.バッハ以前のオルガンの巨匠たち(4LP アルヒーフ)
アルヒーフからは、同じくその頃の室内楽を集めた作品集も出た。
2.バッハ以前のドイツ室内楽(3LP アルヒーフ)
これにはブクステフーデ、パッヘルベルの他に、ラインケン(1623-1707)、ローゼンミュラー(1619-1684)、ヴェストホフ(1656-1705)などの作品が集められている。
以上の作曲者は、おおよそバロック中期に活躍した音楽家たちである。
この時期イタリアでは、コレッリ(1653-1713)やその門下のピエトロ・ロカテッリ(1695-1764)、フランチェスコ・ジェミニアーニ(1687-1762)など今に残る多くのバイオリン作品を産み出す作曲家が現れた。
この背景には、コレッリとほぼ同時代のバイオリン製作者アントニオ・ストラディヴァリ(1644?-1737)を中心とする今にその名器が伝わるバイオリン製作者の刺激があったことだろう。(ストラディヴァリウスというのは、ストラディヴァリをラテン語表記にしたもので、楽器のラベルに使われる。日本では「ストラド」と略称されるようだ。)
バイオリンは1550年頃、イタリアのクレモナ(ミラノの南東85㎞)でアンドレア・アマティ(1505-77、他の年代を記すものもある)によって発明されたという。当時の弦楽器のヴィオラ・ダ・ガンバは音程を取るためのフレットがあるが、バイオリンにはない。つまりほぼ今と同じ完成された状態で登場したということができる。
アンドレア・アマティは、フランス王シャルル9世(在位1560-74)から宮廷楽団のための楽器の注文を受けるなどした。そのバイオリン製作技術は息子のアントニオ(1560-1649)、ジロラモ(1562-1630)に、更に孫のニコロ(1596-1684)に継承された。そしてこのニコロの弟子がアントニオ・ストラディヴァリである。
アントニオ・ストラディヴァリの息子フランチェスコ(1671-1743)とオモボノ(1679-1742)もバイオリン製作に携わったが、その数は少ないという。
長命のアントニオ・ストラディヴァリおよびその二人の息子とほぼ同時代、所も同じクレモナにバイオリン工房を持った人物にバルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ(1698-1744)がいる。(その作品は、ラテン語表記で、グァルネリウスと呼ばれる)グァルネリは、一般に「グァルネリ・デル・ジェズ」と呼ばれる。ストラディヴァリおよびグァルネリは活躍した地からクレモナ派と呼ばれるが、グァルネリが模範としたのはブレシア(ミラノの東96㎞)に居を構えたガスパロ・ダ・サロ(1549-1609)の作品だった。サロはブレシア派の開祖と呼ばれる。アマティは甘美なメロディー楽器を、サロは朗々と鳴り響く楽器作りを目指したという。
上のような、バイオリン製作家を背景に、イタリアを中心に各地にバイオリンの技巧を駆使する名作が生れた。収集癖の私は、この時代の今に伝わる作品をいくつか購入した。
3.《メルクス/悪魔のトリル》「イタリア・ヴァイオリンの栄光」(LP アルヒーフ)
4.《ビーバー、ロザリオのソナタ》(全曲)(2LP アルヒーフ)

バロック時代も後期になると、ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデルなどより一般に知られる作曲家が登場する。これからは、作曲家や演奏家別に、できるだけ時代背景を追いながら駄文を連ねていきたい。以前書いたように、何を手元に置いておきたいか取捨選択する場としたい。

今、久しぶりにバロック音楽の気分を味わおうと、ビーバーのソナタの第1番を聴いた。解説文を読むと、スコルダトゥーラの多用とある。つまり、バイオリンの調弦が普通と異なるという。マーラーの第4番の第2楽章を思いつくが、そんなもんじゃない。びっくりした。