西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ヴェルディ「アッティラ」

2014-02-11 17:40:13 | 音楽一般
ヴェルディ全集も今、第12作「海賊」を聴き終わったところ。

少し前に、第9作「アッティラ」を聴いた。

ヴェルディの作品には、このような歴史ものが割と多くある。音楽と同じくらい古今東西の歴史に興味のある私は、オペラをきっかけにその背景となる歴史を知りたく思った。

何でも捨てられずに手元に置いておくのが好きな私の部屋の書棚から昭和45年発行とある世界史の学参を引っ張り出した。「…フン族は、その後ドナウ川北方にいたが、5世紀の前半アッティラの指揮下ビザンティン領内に侵入し、さらにガリアへ西進したが、カタラウヌムの戦いで西ローマ・ゲルマンの連合軍に敗退した(451)。翌年勢いをもりかえして北イタリアに侵入し、ローマを脅かしたが、法王レオ1世の説得で撤退した。まもなくアッティラの病死とともに、その帝国は瓦解した。」とある。

アッティラAttilaは上に見るようにフン族の王でその在位は434~453年。フン族とは何なのか。百科事典によると「フン族Hunni 遊牧民族で、370年頃東南ヨーロッパに侵入して大帝国を建設、…。彼らの起源はほとんど不明であるが、…、2世紀のなかばに中国史上から姿を消した北匈奴と同族であるとの説が有力視されている。」ではこの匈奴とは、ということで別の歴史書を見ると、中国史となるが、秦、前漢時代に強盛を誇った匈奴国家は、48年、南北2つの勢力に分裂した。このうち南匈奴は後漢に帰属を求め、北匈奴が西方に移動し、東トルキスタン、キルギス北部、中央アジア、南ロシアと進み、そこでゲルマン民族の一つ東西ゴート族を圧迫した。375年のことである。これがゲルマン民族大移動(昔はこの年号をみな(37)うご(5)くと覚えた)である。一方、南匈奴はと言うと、反乱を起こし、これが中国史上「五胡十六国」(304~439)という異民族王朝の乱立興亡の時代を引き起こした。匈奴は、ユーラシア大陸の東西でほぼ同じ時期に大変動の立役者となったということができるだろう。(フン族は、匈奴ではないという学説もある。)

史実を事典によりもう少し詳しく書くと、452年フン族はアクイレイア、バタビウム(パドヴァ)、ベロナ、メジオラヌム(ミラノ)など北イタリア諸都市を略奪するが、西ローマ帝国の事実上の支配者将軍アエティウスAetiusは何もできないでいる。だがアッティラは疫病と飢餓とローマ教皇レオ1世の説得で、ローマに向かうことなく退却した。翌年、東ローマ帝国の新皇帝が貢納金の支払いを拒否したため攻撃を計画する最中、イルジコという名の花嫁との結婚の翌夜、眠ったまま死んだという。

オペラは、アクイレイア占領後、アッティラは捕えた女たちの中の一人オダベッラに心惹かれるが、オダベッラは殺された父の仇を討とうとする。またアッティラは、ローマ進軍を目指すが、夢でローマへの進攻を止めるよう諭す老人に似た老人が現れたことで結局ローマへの進攻を止め休戦する。最後は、結婚式の日、オダベッラはかつての恋人フォレストと謀りアッティラを刺殺し父の仇を討つことになる。

花嫁の名、ローマ法王ではなく一人の老人、病死ではなく刺殺、などの点が異なるが、劇の台本ではよくあることだろう。

アッティラは、「ニーベルンゲンの歌」にもエッツェルEtzel、アトリAtliなどの名で登場するという。もちろんこの叙事詩は、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の元となった作品である。同年に生まれた2大オペラ作家の接点がここにあるようだ。