西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ミハイル・グリンカ

2007-06-01 09:22:35 | 音楽一般
今日は、ロシアの作曲家ミハイル・グリンカの生誕日です(1804年)。
グリンカは、ロシア音楽の祖と言われる作曲家です。それまでイタリア・オペラが隆盛だったロシアにおいて、真のロシア音楽への道を切り開き、それをオペラを通して表したのでした。その記念となった歌劇は「イワン・スサーニン」です。もちろんこのオペラの主人公の名ですが、このオペラは元は「皇帝に捧げし命」というものでした。革命以後、その社会体制にそぐわぬ名ということで、変えられたものです。しかし、今では、レニングラードが元のセント・ペテルスブルクに戻ったのと同様、元の名も同様に使われています。
この作品は、ロマノフ王朝(1613-1917)誕生前夜のロシア史において混乱期(1598-1613)と言われる時代が扱われています。モスクワ大公国の最後の皇帝フォードル1世が没した後、その義兄にあたるボリス・ゴドノフ(グリンカの後に、ムソルグスキーによりオペラ化されて有名です)が皇帝の座につきますが混乱はますます深まるばかり、1601~3年の凶作と飢饉により、経済的な苦境に陥った政府の取った政策は、裏目に出て、05年の4月にボリスが死んだ時には、偽ディミトリー1世が現れる始末。そして彼が翌年5月に殺されると、ワシーリー・シュイスキーが皇帝の座に。1610年7月にシュイスキー政府が倒れると、モスクワはポーランド軍の支配に置かれた。ロシアは、ここでモンゴル人による支配以来再び外国人に支配されたのである。
グリンカの「皇帝に捧げし命」では、1612年にポーランド軍を欺いて雪の深い森に導き、ロシアを救うこと命を捧げたスサーニンが救国の英雄として描かれている。
グリンカの歌劇には、もう一つ「ルスランとリュドミラ」があるが、これはその序曲が頻繁に演奏会で取り上げられているが、後のリムスキー=コルサコフによくあるおとぎ話を題材にしたものです。
これら2つの歌劇により、まさにグリンカはロシア音楽の父になったのだと思います。