西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

西洋音楽史 5

2022-07-28 21:15:52 | 音楽一般
ルネサンス時代の初期に当たるブルゴーニュ楽派の時代はギヨーム・デュファイ(1400頃―1474)を代表とする。次のフランドル楽派はヨハンネス・オケゲム(1425頃―97)の名がまず挙げられる。彼は3代のフランス国王に仕えた。シャルル7世(1422-61)、ルイ11世(1461-83)、シャルル8世(1483-98)である。オケゲムの後、ヤコブ・オブレヒト(1450頃―1505)、ジョスカン・デ・プレ(1440頃―1521)が続き、このジョスカンを持って、中期(盛期)ルネサンスの代表とされる。
フランドル楽派の最後を飾るのは、後期ルネッサンス時代を代表するオルランド・ディ・ラッソ(1532頃―1594)である。フランドルに生を享けたが、ブルゴーニュの宮廷は既に終息し(1477)、フランドルの地はハプスブルク家、さらにスペイン王家の支配するところとなり、スペイン生まれのフェリペ2世(ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」のタイトルの父親に当たる、在位1556-98)は、フランドル人にとっては忌避すべきものだった。オランダ独立戦争(1568年開始)の結果、フランドルの北部はネーデルランド共和国(1581年建国を宣言)が起こるなどして、音楽家たちは、帰る故郷を失う有様になった。ラッソは、イタリアで学び、南ドイツ、ミュンヘンで没した。2000曲の教会音楽、世俗音楽を作曲して「天才オルランド」と称されたということである。
(ルネサンス時代の代表的作曲家として、
 初期‥ギヨーム・デュファイ(1400頃―1474)、
 中期(盛期)‥ジョスカン・デ・プレ(1440頃―1521)、
 後期‥オルランド・ディ・ラッソ(1532頃―1594)
  と覚えるといいでしょう。ギヨームは前に出た中世の第3期を代表するギョーム・ド・マショー(1300頃―1377)と間違えやすいので注意! ギョームGuillaumeはフランス名で、英語のWilliamにあたる。ウイリアム・テルは、仏語でギョーム・テルである)

アルヒーフレコードでは、かつてJ.S.バッハを中心に中世からウィーン古典派までの音楽を網羅的に出していた。(以前書いたマンロウの《ゴシック期の音楽》もこのシリーズ)私にはとても魅力的なシリーズで、その中からいくつか購入した。他のレーベルのものもあり、次のものを揃えてしまった。

このようなカタログも捨てられなくまだ持っている。いずれ処分することになるだろうが。

1.デュファイ、ダンスタブル:モテット集 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
2.オケゲム:死者のためのミサ曲 ジョスカン・デ・プレ:オケゲムの死を悼む挽歌 ブルーノ・ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ(LP)
3.アヴェ・レジナ/16世紀フランドル楽派のモテトゥス ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
4.ジョスカン・デ・プレ:ミサ曲、モテトゥス ブルーノ・ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ(LP)
5.ラッスス:「7つの懺悔詩篇歌」第1曲、第4曲 3つのモテット ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
6.パレストリーナ ミサ・オディエ・クリストゥス・ナトゥス・エスト フィリップ・レッジャー指揮 ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団(LP)
7.パレストリーナ:ミサ曲、モテット ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
8.パレストリーナ 教皇マルチェルスのミサ ミサ・ブレーヴィス ウィルコックス指揮 ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団

9.パレストリーナ 《アヴェ・マリア》ミサ レッジャー指揮 ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団 
10.ビクトリア 聖週間 聖務曲集 ラ・クエスタ神父指揮(3LP)

11.ビクトリア:レクイエム ジョージ・ゲスト指揮 ケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジ合唱団(LP)
12.涙のパヴァーヌ(ルネッサンス舞曲の楽しみ) マンロウ指揮 ロンドン古楽コンソート&モーリー・コンソート
13.タリス/エレミアの哀歌 ミサ曲「プエル・ナトゥス・エスト」他 レッジャー指揮 ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
14.タリス:エレミア哀歌 バード:3声部のミサ曲 ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ


帰るべき故郷を失った後期フランドル時代の作曲家たちはイタリア、スペインなど外国にその跡を残すことになった。その頃のイタリアに誕生したパレストリーナ(1525-1594)は、折からのトリエント公会議(1545-63)の要請に応えるかのように「透明な構成、ポリフォニーとホモフォニーの適切なバランス、規則だった不協和音の用法など」(皆川氏の文章より)によるミサ曲、モテトゥスなどの教会音楽、さらに世俗マドリガルにも多くの作品を残した。8.の「教皇マルチェルスのミサ」は、パレストリーナの作品中、最も有名な曲の一つであろう。マルケルス2世(在位1555)は在位22日であった。教皇は、音楽を簡素化し歌詞が聴いてわかるよう提言した。これに応えてこの曲が作られ、命名された。
3.にはゴンベールの「アヴェ・レジナ・チェロールム」が含まれている。このフランドル出身の音楽家は神聖ローマ皇帝カルル5世(=スペイン王カルロス1世)の宮廷に仕えていた。16世紀スペインの掉尾を飾るのはトマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548-1611)である。ビクトリアの偉大な作品の一つ「死者のためのミサ曲」はフェリペ2世の妹で神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の妃のマリアの葬礼のために作曲された。ビクトリアの神秘的な作品を聴くと、私は同時代の画家エル・グレコ(1541-1614)の画風を想像してしまう。数年前、スペイン旅行でトレドのサント・トメ教会を訪れた時、そこで見たエル・グレコの最高傑作と言うべき「オルガス伯の埋葬」が10.の「聖週間 聖務曲集」とほぼ同時期の作品であることがわかった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿