西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ダヴィッド・オイストラフ

2007-09-30 08:36:16 | 音楽一般
今日は、バイオリニストのダヴィッド・オイストラフの生誕日です(1908年)。
バイオリニストの中で、私は誰が一番好きなのだろう。オイストラフ以上に好きだと言える人がいるだろうか。彼の演奏には温かみが感じられます。もちろん作品に対する鋭い、という言葉は似合わないか、自然で知的なアプローチが感じられるのですね。小品ながら、ベートーベンの2つのロマンスを彼以上に素晴らしく演奏している人はいるだろうか。初めの言葉に戻りますが、温かみをそこに感じ、最後にはまた戻ってその演奏を聴いてみたい、そのような演奏なのです。シベリウスやハチャトリアンの協奏曲でも私はその素晴らしさを何度となく確認しています。
以前オイストラフについて書かれた文章を読んでいたら、オイストラフは西側に出て西側のオーケストラと共演したいと涙ながらに当局に訴えたが、許されなかった、のようなことを読んだ記憶があります。おそらく彼の伝記を扱った本を見れば出ていると思うのですが、ネットにはそのことの記事は見当たりませんでした。私は、オイストラフと言うとそのことが真っ先に頭に浮かびます。そしてその後それは実現したのか? オイストラフにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、また独奏したモーツァルトのバイオリン協奏曲全集がありました。私は残念ながら、レコード店でいつもこのセット物を見ながら、買わなかったという記憶があります。これがその西側との共演を望んだ演奏だったのか? その答えは今のところ何とも分かっていません。
リヒテル、ロストロポービチ、それにこのオイストラフの3人を独奏者に起用したカラヤンが指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーベンの三重協奏曲のことは以前にも書きましたが、これは例えようも無く素晴らしい演奏です。私はこれを聴いてますます、彼ら3人によるベートーベンのピアノ・トリオをどうして残してくれなかったのかなどと思うことがあります。

ビゼー・歌劇「真珠採り」

2007-09-29 08:24:32 | オペラ
今日は、ビゼーの歌劇「真珠採り」が初演された日です(1863年)。
ビゼーは、何と言っても最大傑作は歌劇「カルメン」ですが、この歌劇「真珠採り」もビゼーらしい天才の手になるものと思います。このタイトルを見ただけで、私はロマンス「耳に残るは君の歌声」が頭の中で鳴ってきます。ポピュラーにも編曲されて流布しているので、ビゼーの作品と気付かず聴いている人も多いのでは。ずいぶん前にレコードで優れた録音が出たので購入しましたが、それが画像のものです。
ビゼーは、「イワン雷帝」というオペラも書いています。未完のものですが、長らく探していて、CDを見つけたとき、すぐに買い求めました。ビゼーは若くなくなったので、作品は限られていますが、間違いなく19世紀フランス音楽を代表する音楽家だと思っています。



ヨハン・マッテゾン

2007-09-28 10:32:58 | バロック
今日は、ドイツの作曲家ヨハン・マッテゾンの生誕日です(1681年)。
生年から分かるように、大バッハやヘンデルとほぼ同時代の人です。マッテゾンもやはり私にはほとんど知らない作曲家に属するでしょう。でも20年以上も前に購入した3枚組みのレコード、「バロック時代のドイツ室内楽集」に彼の作品が収められていたように思います。(今手元にないので)モンなどの作品もあったように思います。私はその頃の、大バッハなど有名な音楽家の作品だけでなく、一般にはあまり知られていない作品も聴いてみたい、そのような思いから買った記憶があります。当時アルヒーフ・レーベルから出た作品目録を見るのが楽しみでした。
ネットでマッテゾンを検索すると、ヘンデルと諍いを起こしたと言うようなことが出ています。後には仲直りしたようですが。また、作家で外交官でもあったということで、ずいぶん多彩な人であったことが分かります。あまりこれまでしっかり聴いたことが無かったですが、これを機会に聴き直してみたいと思いました。

シリル・スコット

2007-09-27 08:15:24 | 20世紀音楽
今日は、イギリスの作曲家シリル・スコットの生誕日です(1879年)。
私は、ただ興味があるということでこの雑文を書いていますが、それのもとになる「モーストリー・クラシック」の別冊付録「プチ・モス」には、3つの項目が今日の日付で出ています。その一つが、この作曲家でした。しかし、不勉強ゆえ、全く名前を知りませんでした。手元の、曲名辞典を見るともちろん出ています。その中にある「また東洋哲学・神智学にも興味を示し」という個所に興味を持ちました。そしてネットで検索すると、ドビュッシーやR.シュトラウスらから評価を受けている、と出ています。さらに調べると、あるCD会社では全集の計画があると出ています。
我々が西洋哲学に興味を持つように、東洋哲学に興味を持つ西洋人がいてもおかしくないのですが、やはりどのような人なのかと興味が湧きます。ワーグナーにも、オペラ化はなりませんでしたが、43歳の時に、「勝利者たち」という仏教劇を散文で書いています。シューベルトにも、5世紀頃のインドの劇作家カーリダーサによる「シャクンタラー」という未完のオペラがあります(私は、まだ残念ながら聴いたことがありません。これまでに一部でも発売されたことがあるのかな?)。これから多くその作品が発売されるというので、機会があったら是非聴いてみたいと思っています。



ベーラ・バルトーク

2007-09-26 08:32:30 | 20世紀音楽
今日は、ハンガリーの作曲家ベーラ・バルトークが亡くなった日です(1945年)。
バルトークは、もしかしたら20世紀最高の作曲家ではないかと思うことがある。しかし、その作品は難解そのもので、容易に近づけ、私には分かったなどと言えるようなものではない。晩年の作品「弦楽のためのディヴェルティメント」を難解ながらも幾度か耳にし、徐々にバルトークの語法に少し慣れたようにも思うが、依然として晩年の協奏曲群には、何なのだろうと戸惑うことがある。「ヴィオラ協奏曲」が絶筆の作品となったようだが、この作品が依頼によるものとはいえ、ショスタコービチが同じく「ビオラ・ソナタ」を最後に書き上げたことも思い出される。
バルトークは弦楽四重奏曲を6曲書いていて、ベートーベンのそれに継ぐものだといわれることがあるが、ベートーベンの作品は頭に沁みこむくらい聴いて来たが、バルトークのそれはこれからである。4番だったか、5番だったか、どれが一番優れていますかだったか、好きな作品かだったか、ある音楽を業とする人に聞いて返事をもらったことがあり、取り組もうと何度か思ったこともありましたが、依然そのままである。
あるいは、バルトークは、その多彩な民族舞曲など、東欧の各地の様々な民俗に根ざした彼の採集し5線譜に書き残した音楽、これから入るのもよいかと思ったりする。バルトークほど、自分の音楽の根幹をこれら民謡ともいうべき何気ない民衆の素朴な観念に求め、それから大樹になるまで発展させた音楽家はいないのではないか。私は、以前も述べたが、このような世界各地に自然と根ざした民俗観念、そこに由来する音楽が好きで、尊重したく思う。コスモポリタンも悪くは無いが、そこには自国の文化を大切に思う心を根絶やしにする危険も含まれ、多くの場合、そのような主張を持つ者たちには与しない立場を取ってきたし、これからも取るであろう。そのようなことからもバルトークは私にとって身近な存在足りうるのである。

ドミトリー・ショスタコービチ

2007-09-25 07:47:51 | 20世紀音楽
今日は、ロシアの作曲家ドミトリー・ショスタコービチの生誕日です(1906年)。
10数年前ならば、「ソ連の作曲家」と書くべきだっただろうが、ソ連が存在しない今は、やはり「ロシアの」となるべきだろう。しかし、ショスタコービチが生きていたのは、まさにソビエト社会そのものだった。ここにショスタコービチの悲劇があったと言ってよいだろう。ショスタコービチの音楽の根幹を成しているものはロシアの伝統、自然、民族そのものだったのである。だから個人的資質もあり、他の偉大な音楽家たちのように大胆な発言や国外に出ることなどは考慮の対象外だった。ここに彼の作品は一概に晦渋なものとなり、ごく一部の親しい者たちがその真意を理解するに止まり、絵画でも工芸でもない、音楽と言う芸術表現の特色として、周囲の者の解釈に任されるままだったのである。ソ連崩壊前の、日本でのショスタコービチ解釈の有様は、実に無惨なものであった。書いた者たちは恐らくそれらを破棄したがっているのでは。
ショスタコービチの全交響曲を最初に録音完成させたキリル・コンドラシンは、自分の一つの仕事が終ったと思い、危険を賭して国外亡命した。これが実情であった。ショスタコービチ亡き後、一冊の本が出版された。ヴォルコフによる「ショスタコービチの証言」である。この本についてはいろいろ言われているようだが、作曲者の生前公には出せなかった心情が書かれていると考えてよいだろう。
カラヤンは、ショスタコービチの交響曲を2度録音しているが、それは2度とも「第10番」だった。
晩年の作品に、「ミケランジェロ歌曲集」がある。ここに、作曲者の人生観・世界観がミケランジェロの言葉を借りて述べられているように思う。




エットーレ・バスティアニーニ

2007-09-24 08:49:23 | 音楽一般
今日は、バリトン歌手エットーレ・バスティアニーニの生誕日です(1922年)。
バスティアニーニは、ヴェルディの「運命の力」だったか何かのレコードを所持し(今手元にないので)、その優れたオペラ歌手であることを知っていましたが、今改めてネットで検索しますと、若くして亡くなった偉大な歌手であったことが分かります。その中で、カラヤンと意見がぶつかり、ヴェルディの「オテロ」のイヤーゴの全曲録音が完成をみなかったということが惜しまれることが書いてありました。(カラヤンはいろんなところで歌手たちと衝突するようだ。どう考えたらいいのだろうか。私はカラヤンのファンなのであるが。)しかし40代の若さで亡くなったというのは実に惜しまれることだ。あらためてゆっくりとヴェルディ作品におけるその美声を聴いてみたく思った。

ヴィンチェンツォ・ベッリーニ

2007-09-23 22:45:44 | オペラ
今日は、イタリアの作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニが亡くなった日です(1835年)。
ロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニは夙に知っていましたが、ベッリーニとドニゼッティの2人のオペラ作曲家を知ったのはずいぶん経ってからでした。コレクター癖のある私は、偉大なヴェルディのオペラはみんな聴いてみたいと思い、「ジョヴァンナ・ダルコ」を最後にすべて揃えてしまい、次には映像でと思っているところですが、ロッシーニの生きた時代にすっぽり入ってしまうこの2人のオペラにはその数の多さから言っても何から聴いたらいいのかと思っているところです。ベッリーニが10曲ほど、ドニゼッティには70曲の歌劇作品があるということです。そのような折、購入したグルベローヴァのこれまでの録音を集大成したようなセットの中に2人の主要作品が全曲でいくつか収められていました。やっとこれからしっかり聴いていこうと思っているところです。
ところで、数ヶ月前に、NHKのBS-ハイビジョンでメトからのベッリーニの「清教徒」の生中継をやっていて、それをDVDレコーダーのハードディスクに収めていました。先ほど第1幕を見終えたところです。明日後の2幕を見る予定です。ネトレプコのエルヴィーラに、その歌唱力にすっかり魅せられてしまいました。

ワーグナー・楽劇「ラインの黄金」

2007-09-22 09:24:32 | オペラ
今日は、ワーグナーの楽劇「ラインの黄金」が初演された日です(1869年、ミュヘン)。
楽劇「ラインの黄金」は、周知のように4部作「ニーベルングの指輪」の第1作に当たります。当然のことながら、作者ワーグナーは、4部作完成後に、初演を行うことを考えていたが、それを許さない状況になってしまっていた。それはバイエルン国王ルートヴィヒ2世の登場によってだった。15歳の時に、ワーグナーの「ローエングリーン」に魅せられ、18歳の時早くも国王となったルートヴィヒ2世はワーグナーに使いを送る。1864年、ワーグナー51歳のことである。「あなたのこれまでの受難を償うため、私は力の及ぶすべてを尽くしましょう」との申し出を受け、前年来経済的苦境にあったワーグナーにとってはまさに奇跡が起こったと言っても言い過ぎではないことが起こったのであった。後にバイロイトに自作品だけを上演する劇場を作り、年来の夢を実現できたのもすべてルートヴィヒ2世の援助があってこそであった。そのような関係にある国王から4部作の第1作「ラインの黄金」の上演の強い希望があった時、これを拒絶することは不可能であった。かくしてこの日の上演となった。ミュンヘンの宮廷劇場での舞台稽古は見たものの、ワーグナーは初演には参加しなかった。翌年6月には、同じく第2作「ワルキューレ」が初演されたが、同様であった。これら2作の初演は、作曲者の意に反した非公式の初演と言うことになるだろう。この時点で、ワーグナーはまだ第3作「ジークフリート」を作曲している所であった。
この69年から70年にかけて、ワーグナーは多忙で実り多い年を送っていた。69年5月、若きギリシア文献学徒のニーチェがトリープシェンのワーグナー家を訪問する。翌6月には長男ジークフリートを得、ワーグナーは「生涯最良の日」と呼ぶ。70年には、彼の中でも最重要の3つの著作が書かれる。「指揮について」「ベートーヴェン」「わが生涯」である。1870年は、ベートーヴェン生誕100年祭の年にあたっていた。ウィーンで「第9」の指揮の要請を辞退して著したのがこの論文であった。そして70年の8月25日には、すでに3人の子供の親となっているワーグナーとコジマはルツェルンで結婚式を挙げた。この日は、ルートヴィヒ2世の誕生日であった。この年12月25日クリスマスの日の朝、コジマは静かな楽の音で目を覚ました。前日の誕生日を祝って贈られたワーグナーからの音楽のプレゼントであった。10数人の楽員は階段に並べられワーグナーの指揮で演奏をした。「ジークフリート牧歌」である。子供たちはこれを「シュテッペンムジーク(階段の音楽)」と呼んだのであった。



グスターヴ・ホルスト

2007-09-21 10:49:44 | 音楽一般
今日は、イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストが生まれた日です(1874年)。
ホルストは、一躍「木星(ジュピター)」で有名になりました。この曲が収められている管弦楽曲、組曲「惑星」は、太陽系の惑星を音で表現した曲ですが、太陽から近い順に水・金・地・火・木・土・天・海・冥と我々は覚え、全部で9つありますが、組曲は7曲からなっています。冥王星は、まだ作曲当時発見されていなかったのですね。それで組曲には入っていません。あるオーケストラで(アマチュアの?)、楽員が「冥王星の楽譜がないぞお」と大騒ぎしたなどという話も伝えられていますが、これは仕方のないことです。あともう一つ、「地球」が入っていません。これはどうしたのだろう。他で「地球」だけ取り上げているかというと、作品目録には見当たりません。さらにもう一つ、順番が、火・金・水・木・土・天・海となっているのです。これは「火星―戦争の神」の後に「金星―平和の神」を置きたかったからなのだろうか、など見ているといろいろ疑問が出てきますが、あまり難しく考えない方がいいでしょう。
冥王星が入っていないというので、片手落ちと思ったのか、ごく最近「冥王星」を追加した作曲家がいて、それを録音した有名楽団の演奏によるCDまで出ました。そんな折、国際天文学会で、冥王星を惑星からはずすということが決定されたのは報道された通りです。私にはそれが適当なのかどうか分かりませんが、とにかく惑星は、「地球」がないものの、ホルストが作曲した通りとなりました。冥王星が発見された1930年はホルストはまだ存命でしたが、追加しなかった作曲者は冥王星を惑星からはずすという今回の決定を見通していたのだろうか?