西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

「ラ・フォル・ジュルネ」の季節再び

2009-02-22 09:42:30 | 音楽一般
まもなく、といってもまだ2ヶ月以上先だが、今年も5月に「熱狂の日」音楽祭がやってくる。今年はバッハをテーマに3日から5日までのようだ。(去年より1日短い?)去年、lfjの会員になり、時々ニュースが送られてくるが、職場でのことなどで、なかなか気持ちが向かないでいた。昨日よりネットでのチケット先行発売も始まった。去年、後でこれを聴きたかったなどというのも、悠々とチケット売り場に行った時にはあるはずもなく、今年は是が非でも聴きたいのを聴こう、と思っていた。ここに書いた如く、サインを頂いたケフェレック女史も聴かなければ(少し、サインをもらったからか、義務的になっている)、きっと良いバッハを聴かせてくれるだろう、などと思うのであるが、チケットがなくなったらしょうがないか、などと傾く。そんなとき、懇意にしていただいているYさんよりお電話をいただき、発破をかけられる。(有難うございます、感謝します)それでそうだ、去年の思いは何だったのかと、まずはプログラムを印刷する。
「おお、この小さい字にあらず、もっと大きな字を!」と叫びたくなるような細かな字。でも何とか眼鏡を外せば、見える、読める。どれにしよう、と狙いをつける。Frauはフルートの演奏会を、という。勿論、私も、それはOK。高木綾子女史のフルートを聴いてみたい。(美人だし。これは音楽には関係ない。いやある?)でも手に入るか。ケフェレック女史のはどれにしよう。バッハの大曲が「マタイ」「ヨハネ」「ロ短調ミサ曲」と並んでいる。こんな短期間にこれだけ並ぶ音楽祭は他にないのでは。勿論超一流の演奏家揃いだし。前にも書いたが、今一つ選ぶとしたら、私には「ロ短調ミサ曲」かな、と言ったところである。去年は、コルボさんのフォーレ「レクイエム」を聴いた。今年も是非大曲一つを聴いてみたいものだ。ところで、カンタータと言えば、147番のものが一番と言ってよいほど有名だが、これはないのだろうか。カンタータは日本ではあまり聴けないだろう。そういう意味でも是非一つくらい聴いてみたい。
ところで、ここからが問題だが、どうやって申し込むのか。昨日いろいろやってみたがまだできていない。まずぴあ会員になる。それからカード番号を入れる。(ちょっとこれ大丈夫?と思ってしまう。)よく読むと、1枚につき手数料がいくらとか。また郵送料も800円とか。1日の分はまとめて送るとか出ているが。それはそうしてもらわないと。まあこのようなチャンスを得るためには、しょうがないか、などと一人納得。でもやり方がわからない。このあと出かけるが、また夕方チャレンジしよう。



弦楽四重奏曲補遺

2009-02-21 23:10:21 | ベートーヴェン
「弦楽四重奏曲第13番」はどのような聴き方をすべきなのかと考えることがある。
ベートーヴェンは1825年から26年にかけて、6楽章からなるこの曲を作曲したが、この時終楽章はいわゆる「大フーガ」が置かれていた。全曲で46~7分で、この「大フーガ」は15分ほどを占める。全体の約3分の1で、まさに「大」フーガである。内容も初演当初から難解との評判が立ち、周囲の友人から新しく作り直すべきだとの提案がなされた。本意ではなかっただろうが、新しい終楽章が作られることになった。それが、最後となった弦楽四重奏曲第16番の完成後に書かれた終楽章の新版である。我々は、そういうわけで、2つの終楽章を持つことになった。現在、この新版を終楽章にして、「大フーガ」の方は単独で聴くことがあるかもしれない。そのような配列で、置かれているLP、CDが多いように思う。私が最初に親しんだアマデウス弦楽四重奏団によるものは、このタイプだった。しかしいくつかこの曲の録音を見ると、「大フーガ」を最初に持ってきているものもあった。アルバン・ベルク弦楽四重奏団やスメタナ弦楽四重奏団はこの配列である。少数派のように思うが、私はこちらで聴いてみたいと今では思っている。

この「大フーガ」は、どのような経緯か不明だが、作曲者自身で、弦楽合奏用と四手のピアノ曲用とに編曲されている。カラヤン指揮で弦楽合奏版を聴くことができるが、これは優れた演奏と思います。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、全部で16曲ということになるが、実はもう一曲書いている。第1期の後半の1802年に完成された「弦楽四重奏曲 ヘ長調」である。これは、「ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調(作品14-1)」の自ら行った編曲である。今日始めて、この2つを続けて聴いてみました。最初から弦楽四重奏曲として作曲されたような印象を持ちました。この作品を全集に入れている団体は多くないですが、17曲目の弦楽四重奏曲と呼びたいような気がします。

他にも、ベートーヴェンは、弦楽四重奏のための前奏曲とフーガ ヘ長調(Hess 30)、弦楽四重奏のための前奏曲とフーガ ハ長調(Hess 31)、弦楽四重奏曲のためのメヌエット 変イ長調(Hess 33)、ヘンデルの《ソロモン》序曲のフーガの弦楽四重奏用編曲(Hess 36)などを1790年から1798年頃にかけて書いているが、アルブレヒツベルガーなど彼の作曲上の師による勉強の成果と呼んでよいようなものと思われる。

2月7日 弦楽四重奏曲第14番 ラサール弦楽四重奏団(CD)
2月14日 弦楽四重奏曲第16番 ヴェーグ弦楽四重奏団(CD)
      弦楽四重奏曲第13番 第6楽章(終楽章) アルバン・ベルク弦楽四重奏団(CD)
2月21日 ピアノ・ソナタ第9番 ニコラーエワ(CD)
      弦楽四重奏曲 ヘ長調 アマデウス弦楽四重奏団(LP)
      弦楽四重奏のための前奏曲とフーガ ヘ長調(Hess 30) メンデルスゾーン弦楽四重奏団(CD)
      弦楽四重奏のための前奏曲とフーガ ハ長調(Hess 31) メンデルスゾーン弦楽四重奏団(CD)
      弦楽四重奏曲のためのメヌエット 変イ長調(Hess 33) ハーゲン弦楽四重奏団(CD)
      ヘンデルの《ソロモン》序曲のフーガの弦楽四重奏用編曲(Hess 36) ハーゲン弦楽四重奏団(CD)

2人のリース

2009-02-11 12:16:39 | ベートーヴェン
ベートーヴェンの伝記を読むと、リースという人物が2人出てくる。一人がフランツ・リース(1755-1846)、もう一人がフェルディナント・リース(1784-1838)である。フェルディナントはフランツの息子にあたる。最初に断っておくと、音楽辞典を見ると、もう一人フランツ・リース(1846-1932)が出てくるが、これはフェルディナントの甥でバイオリニスト兼作曲家である。

フェルディナントの父親のリースは、ボンの選帝侯マクシミリアン・フランツの宮廷楽長をしていた人物である。ベートーヴェンは、このフランツ・リースよりバイオリンの手ほどきを受けた。息子のフェルディナントは逆に、ベートーヴェンよりピアノを教わるといった風に、2代に渡り、教え教わるの立場が交代し、また楽器も異なるが、音楽上の関係を持った家系ということになる。息子フェルディナントについて書くことは、ベートーヴェンのことを詳しく知ることにもなるだろう。
フェルディナントは、1801年ごろ、ボンよりウィーンに出て、ベートーヴェンにピアノを学ぶことになる。1805年には、ボンに帰り、13年にイギリスに渡り、結婚する。24年、ドイツに戻るまでの間、ロンドンでベートーヴェンの紹介に尽力した。晩年フランクフルト・アム・マインに住んだが、ベートーヴェン死後、38年にフランツ・ゲルハルト・ウェーゲラー(1765-1848)とともに、ベートーヴェンの最初の伝記を出版した。ナポレオンについて、彼が皇帝になったとの報を聞き、「英雄」交響曲のナポレオンへの献辞に穴があくほどにすぐさま献辞の取り消しをするのを目撃したのはこのフェルディナント・リースであった。
フェルディナントは、ピアニストとして、ヨーロッパ各地を演奏旅行したが、作曲も多数行い、交響曲・協奏曲・室内楽曲・ピアノ曲・声楽曲と幅広い分野に及んでいる。ベートーヴェンの周辺には当然のことながら、演奏家・作曲家(兼任の人もいる)が多くいるが、機会があったらぜひこのような作曲家の作品も聴いてみたいと思っている。そこには何がしかの時代の雰囲気、あるいはベートーヴェンの影響が見られる、聴かれるのではないかと思うからだ。フンメル(1778-1837)やシュポーア(1784-1859)は、時々その作品を目にし、購入し、聴いていた。このフェルディナント・リースは、ということで、探していたが、遂に1枚のCDを見つけることができた。少し前のことであるが。「フルート四重奏曲集」(Op.145、No.1~3)(NAXOS)である。

弦楽四重奏曲私見(続き2)

2009-02-03 11:22:30 | ベートーヴェン
第11番「セリオーソ」の作曲から実に14年後、ベートーヴェンは三度(みたび)弦楽四重奏曲の世界へと戻ってきた。この時期は言うまでもなく、第3期(後期)に当たる。しかもピアノ・ソナタの5曲に及ぶシリーズでこの分野に終止符を打ち、また「第9」で、合唱を終楽章に持つこれまでには考えられなかった長大な交響曲を築き上げた後のことである。結論を言うならば、作曲者の芸術の真髄がここにこそ見られる、音楽芸術史上未踏の精神世界が第12番以降の5曲のうちに築かれるのである。そう私は考えている。
それらを記すと、
第12番 変ホ長調
第13番 変ロ長調
第14番 嬰へ短調
第15番 イ短調
第16番 ヘ長調
それに、第13番の新しい終楽章である。
1822年11月にペテルブルクの貴族ガリツィン侯から3曲の弦楽四重奏曲の依頼を受けた。しかし第12番の着想は、その年の6月であり、弦楽四重奏曲作曲への回帰は自身の中で起こったことであることに注意すべきである。第12・15・13の3曲がそれに当たり、作曲順に「ガリツィン第1」「ガリツィン第2」「ガリツィン第3」と呼ばれている。出版の関係で、番号は作曲順ではない。ともあれ、次の4曲目の作品、第14番が全7楽章という自由な発想のもとで書かれた。最後となる5曲目、第16番は常の4楽章形式に戻り、また長さもやや短いものとなっている。その後、周辺から、第13番の新しい終楽章を求められていたベートーヴェンは、それに応じ、今日「大フーガ」と独立して呼ばれる元の難解な作品のほぼ半分程度の長さの作品を書いた。これが事実上、最後の完成作品ということになった。私は、どれも素晴らしいものであるが、この中でもやはり第14番がその頂点をなしているように思う。どこがどう素晴らしいのか、言葉で表すことはできるとは思っていないし、また私がそれを感得できたなどとは到底言えない。この作品に対峙する時、いつか共感を得られる日が来るだろうか、それも分らない。ただいまは聳え立つ優れた芸術作品という山の麓に立ってそれを見上げるだけである。以前も記したが、ベートーヴェンは、今では我々はこれはベートーヴェンの傑作であるなどといくつかの、いや数多くの作品に対し言辞を弄しているが、ベートーヴェンは決してそれらが自分が生涯において書きたい作品とは思っていないと言っていた。ある時、やっと書きたい音楽が書けた、というような発言をしたことをどこかの伝記で読んだように思う。それはこれら後期の弦楽四重奏曲群を書いた後のことではないかと密かに考えている。ベートーヴェン自身第13番を「お気に入りの四重奏」と呼び、この中の第五楽章「カヴァティーナ」については、この楽章を思い起こすたびに涙を催すのような言葉を述べている(ライナーノートなどで見かけていたが、今はその文が見当たらない)など、これら後期の作品に込めた作曲者の意図を窺うヒントになる言葉を残してくれている。残念ながら、第14番に関してはその解釈のヒントを作曲者自身の言葉から見つけていない。その代わり足るべきか否か、判断付きかねるが、かのオペラ史上の総合芸術を成し遂げたワーグナーは、この作品を「もっとも優れた作品、あの偉大な嬰ハ短調四重奏曲」と呼び、解釈を述べている。「音楽の贈りもの」(シュプリンゴールム著 高辻知義訳)(白水社)でその一文を見かけたのだが、かれはこれを「ベートーヴェンの生活の一日の光景」と解釈する。「冒頭の比較的長いアダージョの部分はかつて音楽として表現されたもののなかでもっとも憂鬱なものであるが、これをわたしは一日の朝の目覚めと名づけたい。」と書いている。生活の一日の光景、朝の目覚め、などという言葉は全く予期しない言葉であった。中心となる第4楽章については、「よみがえった自分の魔法の力を用いて、彼はいま一つの優雅な姿を封じとめようとする。心の奥底の純潔の幸福な証拠であり、つねに新しく、未曾有の変化を示すこの姿に永遠の光をあて屈折させて、そのさまにたえず見惚れていようというのである。」最後の第7楽章「アレグロ・フィナーレ」についても「これこそ現実世界そのものの踊りである。」と述べ、「そうして夜が彼をさし招き、彼の一日は完結する。」とこの曲の解釈を締めくくっている。なんとも不思議な解釈と感じてしまう。このワーグナーの解釈に対して、バッハ研究でも著名な神学者アルベルト・シュヴァイツァー博士は、「これよりも大胆なものは存在しない」とワーグナーの解釈について語り、「ほかのいくたの音楽解説のように笑いものにしてかまわない注釈といっしょにしてはならない。ここではつまり、「詩人が語っている」のである。」と擁護している。このワーグナーの文はこれからも折に触れ読んでみたいと思っている。

1月17日 15番 ブダペスト弦楽四重奏団(LP)
1月31日 13番 アルバン・ベルク弦楽四重奏団(CD) *作曲当初の「大フーガ」を終楽章に持つ形で。