西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ミサ(3)

2017-05-31 17:45:47 | 音楽一般
Credo(私は信じる)-その1

Credo in unum Deum,
クレードー イン ウーヌム デウム、

Patrem omnipotentem, 
パトレム オムニポテンテム、

factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium.
ファクトーレム カエリー エト テッラエ、ウィスィビリウム オムニウム エト インウィスィビリウム。
  
Et in unum Dominum,
エト イン ウーヌム ドミヌム、
                            
Jesum Christum, Filium Dei unigenitum,
イェースム クリストゥム、フィーリウム デイー ウーニゲニトゥム、
                    
et ex Patre natum ante omnia saecula.
エト エクス パトレ ナートゥム アンテ オムニア サエクラ。
           
Deum de Deo, lumen de lumine,
デウム デー デオー、ルーメン デー ルーミネ、
                      
Deum verum de Deo vero,
デウム ウェールム デー デオー ウェーロー、
                      
genitum, non factum,
ゲニトゥム、ノーン ファクトゥム、
                         
consubstantialem Patri, per quem omnia facta sunt.
コンスプスタンティアーレム パトリー、ペル クェム オムニア ファクタ スント。
 
Qui propter nos homines et propter nostram salutem 
クィー プロプテル ノース ホミネス エト プロプテル ノストラム サルーテム
 
descendit de caelis.         
デスケンディト デー カエリース。

Et incarnatus est de Spiritu Sancto      
エト インカルナートゥス エスト デー スピーリトゥー サンクトー

ex Maria Virgine,            
エクス マリアー ウィルギネ、

et homo factus est.         
エト ホモー ファクトゥス エスト。

Crucifixus etiam pro nobis         
クルキフィクスス エティアム プロー ノービース

sub Pontio Pilato,         
スブ ポンティオー ピラトー                    

passus et sepultus est.           
パッスス エト セプルトゥス エスト。
                  
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas.  
エト レスッレクスィト テルテイアー ディエ、セクンドゥム スクリープトゥーラス。

Et ascendit in caelum, sedet ad dexteram Dei Patris, 
エト アスケンディト イン カエルム、セデト アド デクステラム デイー パトリス、

et iterum venturus est cum gloria,  
エト イテルム ウェントゥールス エスト クム グローリアー、
         
judicare vivos et mortuos,             
ユーディカーレ ウィーウォース エト モルトゥオース、
        
cujus regni non erit finis.         
クーユス レグニー ノーン エリト フィーニス。
                 

credo(3)信ずる
unum unus(一つの)、の男性対格
Deum deus(2)神、の単数対格
Patrem pater(3男)父、の単数対格
omnipotentem omnipotens(形)almighty(全能の)、の男性単数対格
factorem factor この語は所持する2つの辞書にないが、facio(3b)作る、の完了分詞factusの変化語尾-usを取ったものに-orが付いて、「作る人」(男)を意味する。これの単数対格。vinco(勝つ)(完了分詞victus)に対するvictor((男)勝利者)の関係と同じである。
caeli caelum(2)天・空、の単数属格、coeliとなっていた。
terrae terra(1)earth(地)、の単属
visibilium 辞書になし、video(2)見る、の完了分詞visusの変化語尾-usを取ったものに「可能な」を意味する接尾辞-ibileが付いた中性名詞visibile(見えるもの)の複数属格
omnium (形)all(すべての),every(あらゆる)、の複数属格
invisibilium visibileに否定を意味する接頭辞in-が付いた中性名詞invisibile(見えないもの)の複数属格
Jesum Christum Jesus Christus(イエス・キリスト)の対格
Dei deus(2)神、の単数属格
unigenitum 辞書になし、数詞unus(一つの)の意味のuni-にgigno(3)生む、の完了分詞genitusが付いたunigenitus(一人っ子の)の単数対格
natum nascor(3)生れる、の完了分詞natusの単数対格
saecula saeculum(2)年代・世紀、の複数対格
Deo deus(先述)、の単数与格
lumen lumen(3中)光、の単数対格
lumine lumen(先述)、の単数奪格
verum verus(形)真の・誠の、の男性単数対格
vero verus(先述)、の男性単数奪格            
consubstantialem この語(男性単数対格)、形容詞で、元(男女性単数主格)はconsubstantialisとなるが、辞書になし。接頭辞conをとり、元の語をさがすとsubstoあたりがあるが、そのどのような形になるのか?ネットではstoの名詞形stantiaに形容詞の接尾辞-alisが付き、「一体の」とあるが、この名詞形も辞書にはなし(小型の辞書でやむを得ないか)。次のPatriとつながり、「父と一体」となるようで、与格支配の形容詞ということになるのか。
perは前置詞。あとにまとめて記した。
quemは関係代名詞quiの男性単数対格
omniaはomnis(形)すべての、が名詞として用いられている(すべての人[物])。中性複数主格で「すべてのもの」の意
factaはfacio(作る)の完了分詞factusの中性複数主格(主語のomniaに性数を一致させたもの)で、suntと共に、受動相直説法完了形の複数3人称。
Quiは先に記した関係代名詞の男性単数主格で、少し前にあるFiliumが先行詞。これはさらにその前のJesum ChristumとDominumと同じである。Qui以下はキリストの事象を記している。
propterは前置詞で、あとに記した。
salutemは、salusの(3女)健康・安全、の単数対格。様々なところにある解説では「救い」などとあるが、所持する辞書にはこれに当たる意味が出ていず、不明。 
descenditは、descendo(3)下る・降りる、の完了形単数3人称(現在形とも同形だが、ここは完了形)。
incarnatusは辞書に出ていず、英和辞典の語源を見ると、後期ラテン語(200-600年)のincarnoからとあり、これはラテン語のin+caroに由来とあり、caroは(3女)肉、で英和辞典にある通り、(他)(神が霊魂に)肉をつける・姿をそなえさせる、の意と考えてよいだろう。その完了分詞で、estと共に、受動相完了形の単数3人称である。
Spiritu SanctoはSpiritus Sanctus(聖霊)の単数奪格。
Maria VirgineはMaria Virgo(処女マリア)の奪格。
Crucifixusは元はcrucifigoとネットにはあるが、これも辞書にはない。ネットでも教えられたが、英語に頼ると、crucifyがあり、crux+figoから来た先のラテン語が記されている。cruxはcross(十字架)であり、figoはfix(張り付ける)で、「(他)十字架にかける」の意で、これの完了分詞。
etiamは(副)で「もまた・更に」の意。
Pontio PilatoはPontius Pilatus(ポンティウス・ピラトゥス)の奪格。
passusは、形式所相動詞patior(耐える)の完了分詞。
sepultusはsepelio(埋める)の完了分詞。
Crucifixus、passus、sepultusのいずれも完了分詞の3語は、次のestと結び付き、受動相完了形を作っている。passusは能動の意の完了形となる。           
resurrexitはresurgo(rise again, appear again)とある。英語にもresurgeがあり「生き返る・復活する」である。これの能動相完了形単数3人称である。
tertia dieは奪格で、主格はtertia dies(第3の日)。tertiaは数詞tres「3」の序数詞tertiusの単数主格女性形で、diesは(5女)(月日の)日。
secundumは前置詞。
Scripturasは、元はscribo(3)書く、に由来し、scripturaで(1)writing(書かれた物)の意である。ここでは大文字で始められて限定され「聖書」を指すということです(辞書は古典期のラテン語を扱っているからか、この意味は出ていない)。英語にあるscriptureは、もちろん、この語に由来し、そこにはScripture, Holy Scripture, the Scripturesで「聖書」(the Bible)の意とある。Scripturasは複数対格。  
ascenditはascendo(3)登る、の完了形単数3人称。
in coelum(caelumの綴りもある)で、「天に向かって・天へ」の意。後に記すようにinは対格・奪格の両方を取るが、意味が異なる。
sedetは(2)すわる、の能動相直説法現在単数3人称。これまで完了形を用いてキリストの過去の事蹟を述べたが、ここは今現在を表す。
iterumは、(副)再び。
venturusはvenio(4)来る、の未来分詞に当たる。ラテン語には、現在分詞、完了分詞(英語の過去分詞に当たる)、それに未来分詞がある。次のestと共に、第一回説的動詞変化を構成し、「~しようとしている」と未来の動作を表す。
cum gloriaは「栄光とともに」
judicareはjudico(1)裁く、の不定法現在で、前のvenioの変化形と結び付き、「裁くために」と、「来る」という動作の目的を表す。
vivosとmortuosは、それぞれ,vivus(形)生きている、とmortuus(形)死んだ、が名詞として使われその男性複数対格、「生者たちを」「死者たちを」の意。
cujusは関係代名詞quiの単数属格。先行詞は先ほどのDominumである。
regniはregnum(2)王国、の単数属格。cujus regniは「主の王国の」の意で、cujusはここでは関係形容詞として使われている。
eritはsum(ある)の直説法未来単数3人称で。
finisは(3男)終り、でeritの主語に当たる。eritはnonで否定されている。 
Qui descendit以下ここまでは、キリストの事蹟が過去(完了形を用いている)、現在、未来と記されていることになる。        

(筆者訳)
私は唯一の神を信ずる
全能の父を、
天と地の、すべての見える物と見えない物の造り主を。
そして唯一の主を、
イエス・キリストを、神の御ひとり子を、
そしてすべての世代の前に父より生まれたことを(私は信じる)。
神よりの神を、光よりの光を、
真実の神よりの真実の神を、
造られたのでなく、生まれたのだということを、
全ての物がその人によって造られた、その父と一体であることを(私は信じる)。
その人は私たち人間のためそして私たちの救いのために
天より降った。
そして聖霊により肉体化された
処女マリアから、
そして人が造られた。
さらに私たちのために十字架につけられ
ポンティウス・ピラトゥスの下で、
苦しみそして葬られた。
そして聖書に従って、三日目に復活した。
そして天に昇り、父なる神の右に座られている、
そして栄光と共に再び来ようとする、
生ける者たちと死んだ者たちを裁きに、
その人の国の終わりはないだろう。
        
前置詞は、英語などの近代語と同様、ラテン語にもある。これまでに見たラテン文には様々な前置詞が出てきたが、ここでは「ミサ」に出てくるすべての前置詞をまとめて書いてみる。
ラテン語の前置詞はおよそ40ヶあり、対格支配のものと、奪格支配のもの、および対格・奪格両方を支配するもの、の3通りがある。ここにはこのうち11ヶ使われている。
①対格支配の前置詞
ad ~の方へ・~に
ante ~の前に
per ~を通じて・~のゆえに・~によって
propter ~の近くで
secundum ~に従って・~のあとに
②奪格支配の前置詞
cum ~と共に
de ~から・~について
ex ~[の中]から
pro ~の前に・~のために・~に代わって
③対格・奪格両方を支配する前置詞 対格は「運動・方向」を、奪格は「静止」を含意する。
in (+対格)~の中へ・~へ,(+奪格)~の中で・~において
sub (+対格)~下へ,(+奪格)~の下に[で]

第3部Credoの箇所は全体の中心をなすと言ってよく、長いので、2回に分けて記す。
全体の構成は、3部からなり、その第1部が大半を占め、Credo(私は信じる)と始められたが、「父を」「子を」「精霊を」とあり、「子を」までを上に扱った。
「父」「子」「精霊」は、「三位一体」(the Trinity)と呼ばれる三位に当たり、これらが一体の神であるというキリスト教の教義がこのCredoで表現されていることになる。