西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

モーリス・ラヴェル

2007-12-28 15:12:08 | 20世紀音楽
今日は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルの亡くなった日です(1937年)。
1930年から31年にかけて2つのピアノ協奏曲を完成させ、32年に映画「ドン=キホーテ」のための音楽を依頼される。ところが実際に出来上がった映画は他の作曲家による音楽が付けられた。結局その作品は、「ドゥルネシア姫に思いを寄せるドン=キホーテ」という3曲からなる管弦楽伴奏の歌曲集となった。この年10月パリで交通事故に遭い、重傷を負います。プッチーニの事故などとは違い、生活にも支障をきたすほどの大きな、後に脳の手術が必要となるような事故でした。ラヴェルの作曲家としての生命はここに断たれ、事故から5年後に亡くなりました。
ラヴェルの歌曲は、一つ一つがユニークなものに思えます。「シェヘラザード」「5つのギリシア民謡」「博物誌(ルナールの詩)」「民謡集(スペイン、フランスなど5曲)」「ステファヌ=マラルメの3つの詩」「2つのヘブライの歌」「マダガスカル土人の歌」などです。「マダガスカル土人の歌」などはラヴェルしか書けないのではと思います。
ラヴェルはフランスの作曲家といいましたが、父親がスイス人、母親がバスク人です。生後、家族はパリに移り住み、パリ音楽院で学びます。作曲を志す誰しもが目指すローマ大賞を5回受けながら得られず、「スペイン狂詩曲」などにより実力で当時のフランス作曲界のトップに踊り出ます。その直後に書かれたバレエ音楽「ダフニスとクロエ」が彼の最高傑作ではないかと思っています。後にフランス政府からのレジオンドヌール勲章の受章を拒否するなど、反骨漢というイメージを持ちますが、これこそがラヴェルの持ち味でしょう。ラヴェルの歌曲は、数は少ないものの、生涯に渡って書かれました。その詩の選択にはまさにラヴェルらしさがあるように思います。幸い、フランス声楽人のトップの人たちを中心にした歌曲全集が出ています。この後、その中のいくつかを聴いてみたいと思います。

シベリウス・交響詩「タピオラ」

2007-12-26 20:17:20 | 20世紀音楽
今日は、シベリウスの交響詩「タピオラ」が初演された日です(1926年、ニューヨーク)。
交響詩は、19世紀の半ば頃、フランツ・リストにより確立された。その後、R.シュトラウスによってこれまでにない規模の大きな交響詩が書かれた。その間、スメタナの「我が祖国」、ボロディンの「中央アジアの草原にて」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」など多くの作品が生まれている。シュトラウスの交響詩がそろそろ終わりかけていた頃、前後するように登場し交響詩を発表していったのが、北欧フィンランドの作曲家シベリウスであった。
シベリウスは何曲くらい交響詩を書いたのだろう。「エン・サガ(伝説)」、有名な「フィンランディア」、「ポヒョラの娘」「吟遊詩人」などがあり、その最後に作曲されたのが「タピオラ」である。この交響詩「タピオラ」はこれまでにない規模の大きなもので、最後の交響曲となった第7番後に書かれ、シベリウスの最高傑作の一つという人もいる。この作品後、シベリウスは作曲をほぼ終え、約30年間一つの作品も発表することなく生涯を終えた。その理由は謎のままのようだ。

ショスタコービチ・オラトリオ「森の歌」

2007-12-15 10:27:03 | 20世紀音楽
今日は、ショスタコービチのオラトリオ「森の歌」が初演された日です(1949年、レニンフラード、現サンクトペテルブルク)。(別の資料では、初演は11月となっていますが?)
この曲は、ショスタコービチの全作品の中でも極め付きの問題作というべきだろう。置かれた時代がそうさせたのは分かるが、歌詞を見れば分かるとおり、世界をミスリーディングした独裁者スターリン讃歌となっているからだ。このような歌詞を前にしてどのように解釈すべきか。全くの無価値として退けるか。フルシチョフのスターリン批判後に、歌詞が改定されたのを受けてその内容をよしとするか。それとも純粋楽曲として、日本の有名指揮者が言うように名曲として享受するか。緑の保全運動としてはいいが、改定された歌詞でも依然コミュニズムという独裁権力集団を讃え歌い上げている。ショスタコービチは、生前ほとんど自分の考えを発言する機会を失われていた。今の日本をはじめ西側諸国の現状からすれば、全く考えられないことである。プロコフィエフについても、スターリンの誕生を祝う作品が遺されている。この曲が割りと最近蘇演された時、ハンガリーなどでは拒絶する反応が起こった。当然のことである。ショスタコービチは、どの歌詞によるのであれ、この曲の演奏に対し本来どのような考えであるのかなどと思う。

ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」

2007-12-13 09:23:01 | 20世紀音楽
今日は、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」が初演された日です(1930年、ブリュッセル)。
ストラヴィンスキーほど、多種多様な音楽を書いた作曲家はいないように思います。生涯は大きく3期に分かれるということです。「春の祭典」に象徴されるロシア民族主義とバーバリズムが融け合わさったような音楽を生み出した第1期、ジャズの手法を取り入れるなどした新古典主義と呼ばれる第2期、12音技法を用いた第3期、ということである。私は、なかなか彼の産み出した作品を十分に咀嚼できないでいるが、音楽史上重要な作曲家であるのは理解しているつもりです。彼の理解者であるアンセルメのレコードにして10枚組みの膨大なセット物が出た時、買い求めました(ただし、この中には12音技法の考えに反対のアンセルメはいわゆる第3期に当たる作品を録音していません)。また最近驚くべきことにストラヴィンスキーの全貌を示すようなCD22枚組みのセット物が出た時、これも躊躇なく購入しました。(何とこちらの方が安価。)これから少しずつ聴いていこうと思っているところです。
ところで、「詩篇交響曲」ですが、これは『詩篇』が合唱により歌われていることにより命名されていますが、このほかに交響曲と名が付けられている作品が3つあります。「交響曲 変ホ長調」「交響曲 ハ長調」「3楽章の交響曲」です。番号が付いていません。ストラヴィンスキーの作品の多種多様さを表しているようです。もうずいぶん前ですが、ニュースの開始にストラヴィンスキーの交響曲のある楽章が使われていた?というようなことを聞いたことがあります。「交響曲 ハ長調」のような気がするのですが、聴いてもこれだったと思い出すことができません。別にこれはどうでもいいことなのですが、子供の頃自然に聴いていた音楽がもしストラヴィンスキーのものだったとしたら、ずいぶん早くストラヴィンスキーの音楽に親しんでいたのだな、などと今思うのです。



バルトーク「管弦楽のための協奏曲」

2007-12-01 10:15:53 | 20世紀音楽
今日は、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」が初演された日です(1944年、ボストン)。
今日、久しぶりにこの作品を聴きました。多くの人が言うように傑作なのだと思いますが、今ひとつ自分では掴みかねていません。バルトークは、この曲を書く前しばらく作曲から遠ざかっていたということですが、クーセヴィツキー財団の委嘱で作曲に取り掛かりました。バルトークはこの作品後、ピアノ協奏曲第3番とビオラ協奏曲を手掛け、これら最後の大作3曲を遺して、45年に亡くなります。バルトーク理解のためには、ぜひこれらの作品に込めた作曲者の思いを掴みたいと思っています。レコードで、B面の残りに「弦楽のためのディヴェルティメント」が収まっていて、これも一緒に聴きました。暗雲ただようヨーロッパを離れる直前に作曲したものということですが、第1楽章のはじめの部分など何か緊迫した感じを受けます。無名の青年作曲家時代に、交響詩「コッシュート」を書き、オーストリアからの独立を目指した英雄を描いた愛国者バルトークにとっては、祖国を離れることは大きな決意が要るものだったと思います。惜別の念がこの「弦楽のためのディヴェルティメント」にはあるようにも思います。

アルバート・ケテルビー

2007-11-26 08:26:12 | 20世紀音楽
今日は、イギリスの作曲家アルバート・ケテルビーの亡くなった日です(1959年)。
ケテルビーは、特に「ペルシアの市場にて」で有名な作曲家です。その名前、この作品名を知らないと言う人も、この旋律を聴けば聴いたことがあるという人は多いはずです。タイトルもそうですが、どこか異国情緒に溢れた曲で、小さな子達にクラシック音楽を好きにさせるきっかけになるような曲だと思います。もうずっと、ずっと以前のことですが、私がこの曲を聴いたのは、(記憶に間違いがなければ)兄の奏でるハーモニカだったと思います。音楽の時間に聴き習ったのでしょう。得意そうに何度も吹くので、自然私もそのメロディーを聴き知ったと言うわけです。そんな思い出があります。私は、その後も音楽の時間などに聴いた記憶はありません。そんな思い出を秘めたまま、もう記憶の片隅にいっていた時、ふとレコード店で目にしたのが画像のレコードです。以前も書きましたが、レコードはジャケットが聴くものに何がしかの印象を与えます。EMIは、ここに見るように時々グッドなジャケットを用意するようです。
ケテルビーは、この曲をはじめ、「エジプトの秘境にて」や「中国寺院の庭にて」のようなオリエンタルな雰囲気満載の曲を好んで書く人のようです。ネットで見ましたら、「日本の屏風から」でしょうか(聴いたことがないので)「君が代」を用いた曲も書いているようです。
ケテルビーは、第1級の作曲家ではないかも知れませんが、このような曲を聴くものにいろいろな空想を沸き立たせるとしたら、それも音楽の優れた一面と言ってよいでしょう。私自身、もう一つの名曲「修道院の庭にて」と共に、ケテルビーには感謝したい気持ちでいっぱいです。



ショスタコービチ「交響曲第9番」

2007-11-03 10:36:37 | 20世紀音楽
今日は、ショスタコービチの交響曲第9番が初演された日です(1945年、レニングラード)。
初演が行われた1945年は、今となってはもうずいぶん過去のものとなった第二次世界大戦が終結した年です。5月にドイツでの、そして8月に日本での戦争が終わり、新しい世界が困難な中にも待ち受けていると思われた時期でありました。そういう中で、ソビエト・ロシアでのそれは「大祖国戦争」を戦い抜いた記念すべき時を迎えていたものと思われます。当然、第5交響曲でソビエト当局に「帰順」したと思われていた、作曲家ショスタコービチにも最大の期待が寄せられていたことでしょう。「交響曲」で「第9番」となれば、これまでの偉大な作曲家たちの作品が連想されるわけで、当局がこの中に戦勝気分を見出したく思ったのも無理からぬことでした。ショスタコービチはうまくこの心理をついたのでした。ショスタコービチの交響曲第9番は、彼の全15曲のなかでも、第二「十月革命に捧ぐ」に次いで短い27分ほどの作品で、当局の言葉を借りるなら「イデオロギー的確信を伴わない」ものだったということです。その後、演奏から遠ざけられたということです(第二も同じく、そのモダン性によって、しばらく演奏されない時期が続いたという)。
ショスタコービチは、最後の交響曲第15番で(おそらく自身これが最後となると思っていたことでしょう)、唐突にも、ウィリアム・テル序曲が出てきたり、ワルキューレが出たりと、聴く者に疑問を抱かせる遊びをしています。このような中に、彼が生きた時代、政治体制に対する彼の痛烈な答が入っているように思えてなりません。彼は、あくまでも自然児だったのです。

ディーリアス「小管弦楽のための小品」

2007-10-02 08:30:16 | 20世紀音楽
今日は、ディーリアスの「小管弦楽のための小品」が初演された日です(1913年、ライプチヒ)。
ディーリアスは、音楽史の中では第1級の作曲家ではないでしょう。私はこの名前を知ったのはクラシック音楽を聴くようになってからずっと後のことでした。ある時、レコード店でディーリアスの音楽がシリーズで置かれていました。そのジャケットは(今のCD時代とは違い、ジャケットも印象を左右させます)は、淡い水彩画が使われていたと思います。言ってみれば、ディーリアスの音楽はそのようなものと思うといいのでしょうか。イギリス音楽史は、パーセル以後、帰化して後のヘンデルを除いては見るべき音楽家はいないなどと言われることがありますが、エルガーをはじめ、時代の主流とはかけ離れていても人々の心に訴える作曲家がたくさんいることに気付かされます。このような作曲家の1人としてある時、ピーター・ウォーロックの名を知りました。主に歌曲を書いているということですが、私もディーリアス同様わずかですが聴いてみたいと思い、レコードを買い求めました。他にジョージ・バターワースを知ったのも確かこのころだったと思います。最近ブームになっているホルストや大曲をいくつも作曲したヴォーン・ウィリアムズなどもいます。イギリスの音楽はある意味で奥が深いように思います。

シリル・スコット

2007-09-27 08:15:24 | 20世紀音楽
今日は、イギリスの作曲家シリル・スコットの生誕日です(1879年)。
私は、ただ興味があるということでこの雑文を書いていますが、それのもとになる「モーストリー・クラシック」の別冊付録「プチ・モス」には、3つの項目が今日の日付で出ています。その一つが、この作曲家でした。しかし、不勉強ゆえ、全く名前を知りませんでした。手元の、曲名辞典を見るともちろん出ています。その中にある「また東洋哲学・神智学にも興味を示し」という個所に興味を持ちました。そしてネットで検索すると、ドビュッシーやR.シュトラウスらから評価を受けている、と出ています。さらに調べると、あるCD会社では全集の計画があると出ています。
我々が西洋哲学に興味を持つように、東洋哲学に興味を持つ西洋人がいてもおかしくないのですが、やはりどのような人なのかと興味が湧きます。ワーグナーにも、オペラ化はなりませんでしたが、43歳の時に、「勝利者たち」という仏教劇を散文で書いています。シューベルトにも、5世紀頃のインドの劇作家カーリダーサによる「シャクンタラー」という未完のオペラがあります(私は、まだ残念ながら聴いたことがありません。これまでに一部でも発売されたことがあるのかな?)。これから多くその作品が発売されるというので、機会があったら是非聴いてみたいと思っています。



ベーラ・バルトーク

2007-09-26 08:32:30 | 20世紀音楽
今日は、ハンガリーの作曲家ベーラ・バルトークが亡くなった日です(1945年)。
バルトークは、もしかしたら20世紀最高の作曲家ではないかと思うことがある。しかし、その作品は難解そのもので、容易に近づけ、私には分かったなどと言えるようなものではない。晩年の作品「弦楽のためのディヴェルティメント」を難解ながらも幾度か耳にし、徐々にバルトークの語法に少し慣れたようにも思うが、依然として晩年の協奏曲群には、何なのだろうと戸惑うことがある。「ヴィオラ協奏曲」が絶筆の作品となったようだが、この作品が依頼によるものとはいえ、ショスタコービチが同じく「ビオラ・ソナタ」を最後に書き上げたことも思い出される。
バルトークは弦楽四重奏曲を6曲書いていて、ベートーベンのそれに継ぐものだといわれることがあるが、ベートーベンの作品は頭に沁みこむくらい聴いて来たが、バルトークのそれはこれからである。4番だったか、5番だったか、どれが一番優れていますかだったか、好きな作品かだったか、ある音楽を業とする人に聞いて返事をもらったことがあり、取り組もうと何度か思ったこともありましたが、依然そのままである。
あるいは、バルトークは、その多彩な民族舞曲など、東欧の各地の様々な民俗に根ざした彼の採集し5線譜に書き残した音楽、これから入るのもよいかと思ったりする。バルトークほど、自分の音楽の根幹をこれら民謡ともいうべき何気ない民衆の素朴な観念に求め、それから大樹になるまで発展させた音楽家はいないのではないか。私は、以前も述べたが、このような世界各地に自然と根ざした民俗観念、そこに由来する音楽が好きで、尊重したく思う。コスモポリタンも悪くは無いが、そこには自国の文化を大切に思う心を根絶やしにする危険も含まれ、多くの場合、そのような主張を持つ者たちには与しない立場を取ってきたし、これからも取るであろう。そのようなことからもバルトークは私にとって身近な存在足りうるのである。