西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

リムスキー・コルサコフとボロディン

2015-04-11 21:38:19 | 音楽一般

BRILLIANT CLASSICSは頻繁に全集、選集を出す。その中のいくつかをこれまで買ってしまった。セット物になるとつい目が行ってしまう。

リムスキー・コルサコフはCD25枚、ボロディンは10枚である。数の少ない後者はほぼ全集と言っていいだろう。前者はオペラなどは15ほど書いていることもあり、その中の半分ほどが入っているだけで、選集と言うことになる。しかし両者とも、これら作曲家を知るには十分な内容と言えるだろう。リムスキー・コルサコフには傑作「ロシアの復活祭」が入っていない。なぜなのか?時々このようなことが全集・選集にはあるようだ。

今リムスキー・コルサコフの13枚目を聴き終わったところ。順に聴いていくのでなければ、一度も耳にしないままになるのでこの頃はこのような聴き方をしている。すべてBGM風に聴くといったところだ。

リムスキー・コルサコフは海軍の軍人だったことはよく知られている。年譜を見ると、1862年10月から65年4月にかけて遠洋航海に出たとある。18歳から21歳にかけてのおよそ2年半だ。ドイツ、イギリス、アメリカ、ブラジル、そしてアフリカ西岸のベルデ岬を経由し、フランスに行き、帰港したと言うことだ。日本には来ていない。しかし、伝記を読むと、同じく海軍軍人である22歳年長の兄はプチャーチンの艦隊に同行し日本に来たと言うことだ。1853年のことである。アメリカのペリーが日本に来たのに刺激されてきたと言うことだ。場所は長崎。年末にも再来日したと言う。リムスキー・コルサコフは兄から日本のことを聞いただろうか。

リムスキー・コルサコフの作品では何といっても「シェエラザード」が第1の傑作だと思います。「スペイン奇想曲」も次くらいに有名だと思います。よく聴いていましたが、これもいま見たらこの選集にははいっていない。

ボロディンは、風貌からして生粋のロシア人ではないようだ。伝記本には、彼の姓も「単に法律上のものであって、家系とは何の関連もない。」とある。タタールの種族名に由来し、民族的にはトルコ系ということだ。

ボロディンは作品数が極めて少ないが、それは化学者としての本業を持っていたからだ。その少ない作品の中で、やはりトップに挙げるべきは未完のオペラ「イーゴリ公」だろう。通称「ダッタン人の踊り」は何度聞いても楽しめる作品だ。最高傑作として交響曲第2番を挙げる人もいるだろう。私は他に交響詩「中央アジアの草原にて」や弦楽四重奏曲第2番、特にその第3楽章「夜想曲」がお気に入りである。

BRILLIANT CLASSICSは、以前横30cm以上もある確かそれぞれ40枚からなる、ビバルディ、ヘンデルの選集も出し、これも買ってしまった。だが一度も聴いてないCDもある。ちょっと買い過ぎかなと思うこの頃である。