西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

弦楽四重奏曲私見

2008-12-23 22:02:54 | ベートーヴェン
ベートーヴェンは、以前も記したように、その創造された作品表を見ると、交響曲、ピアノ・ソナタ、それにこの弦楽四重奏曲が3つの主軸をなしていたように思われる。ボン時代の後の創作期を3期に分けた場合、いずれの時代にもその作品が見られる。交響曲の分野で第3期には「第9交響曲」の一つしかないのはとても残念であるが、その規模及び革新性を考えれば十分にその補いになるかも知れない。

弦楽四重奏曲のチクルスを聴き始めた。
第1期に属すのは作品18である。これは6曲のセットである。これは何を意味しているのだろう。ベートーヴェンの作品表を見た時、6曲で一つのセットになっているのは小曲集を除いては、この作品18だけである。ピアノ・ソナタでは、作品2、作品10、作品31の3回3曲のセットがあり、弦楽四重奏曲でも作品59の「ラズモフスキー」が3曲のセットである。他に3曲のセットを探すと、ヴァイオリン・ソナタで作品12と30、ピアノ三重奏曲で記念すべき作品1がある。これら3曲セットでは、3曲のうち2曲が長調で、1曲が短調となっている(ヴァイオリン・ソナタの作品12だけはすべて長調である)。作品18の6曲のセットでは第4番だけが短調で、他の5つはすべて異なった長音階を取っている。
ベートーヴェンは、ウィーンに出てから様々な先生から教えを受けた。最初が高名なヨーゼフ・ハイドン、次にヨハン・シェンク、それからヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー。作曲家としても有名なアントニオ・サリエリ、あのモーツァルトの敵対者として知られるイタリア人、からも9年の長きに渡り教わり、イタリア語による独唱・重唱曲にその成果が見られる。もう一人忘れてはならない作曲上の先生がいる。エマヌエル・アロイス・フェルスターである。彼は対位法の理論家であり、当時リヒノフスキー侯爵家での金曜日の演奏会では彼の作曲になる弦楽四重奏曲がよく演奏されていたということだ。ベートーヴェンも注意深くそれに耳を傾けていたことだろう。このフェルスターの作品は残念ながら今では聴く機会を持たない。私は聴いてみたいものだと思い、CD店などで探すが、今の所見つけていない。ベートーヴェンはまず、作品9の弦楽三重奏曲でその学習の成果を公表した。この作品9は3曲からなり、やはり2曲が長調。1曲が短調となっている。そしてその後に発表されたのが第1期の弦楽四重奏曲6曲を収めた作品18ということになる。ベートーヴェンは、ここでフェルスターからの学習の成果を意識しながら多面的に表現すべく模索したのではないだろうか。私には6曲からなるこの曲集を考えるとそのような考え方をしてしまうのである。作品18という番号を打ったことから、これは習作と呼ぶものではなく、ハイドンでもなく、モーツァルトでもない、ベートーヴェン独自のものが含まれているのは確かであるが、中期以降のベートーヴェンならではの作品群を前にするとそれらを作曲するために作曲しておかなくてはならなかったものという気がするのである。

10月31日 3番 ベルリン弦楽四重奏団(ズスケ・クワルテット)(LP)
11月15日 1・2番 ブダペスト弦楽四重奏団(LP)
11月22日 5・6番 ジュリアード弦楽四重奏団(LP)
12月6日 4番 アマデウス弦楽四重奏団(LP)
      7番 バリリ弦楽四重奏団(LP)
12月13日 8・9番 ブダペスト弦楽四重奏団(LP)