西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ピアノ三重奏曲

2009-03-24 10:17:50 | ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲に続いて、ピアノ三重奏曲を聴く。

ベートーヴェンの作品番号1は、3曲からなるピアノ三重奏曲のセットである。作品2が、やはり3曲からなるピアノ・ソナタ集ということになる。1792年の11月にハイドンに師事する為にウィーンに移り住んだベートーヴェンは、95年3月に3日連続の演奏会を開き、ピアニストとしてもデビューを果たした。このような彼であるから、記念すべき作品1は、ピアノ・ソナタではないかと思うところであるが、そうではなかった。

演奏会後、1ヶ月以上経ったころの5月、『ウィーン新聞』にピアノ三重奏曲集(作品1)の出版及び予約の広告が出された。予約者リストには、ウィーンとボヘミアの貴族が大半を占め、作品を献呈されたリヒノウスキー侯爵、それに夫人の実家のトゥーン伯爵夫人などが大口の予約者に名を連ね、123人が241部を予約したということだ。(新潮文庫『ベートーヴェン』平野昭著による)かくして作曲家としてもデビューを行ったのだった。

ベートーヴェンは、ピアノ三重奏曲を何曲書いたのだろう。やはり、作曲家の創作時期に従い書いてみる。

第1期(1792-1802)
作品1 変ホ長調[第1番]
    ト長調[第2番]
    ハ短調[第3番]
作品11 変ロ長調[第4番]
第2期(1803-14)
作品70 ニ長調《幽霊》[第5番]
     変ホ長調[第6番]
作品97 変ロ長調《大公》[第7番]
第3期(1815-27)
(なし)

となる。

以上の7曲が、楽曲形式が整い、複数の楽章を持ち、自分の意思で作品番号を付けた作品である。このうち、第4番は、バイオリンの代わりに、クラリネットでも演奏されるように書かれている。というよりも正しくは、クラリネット用に書かれたが、そのパートをバイオリンでも演奏してできるように作譜してあるということだ。この第4番を管楽三重奏曲に分類し、《大公》トリオを第6番とする数え方もあるようだが、多く使われているように、《大公》トリオを第7番としたい。このピアノ三重奏曲を最後として、いわゆる後期には1曲もこの分野の作品を残していない。1814年4月14日に、慈善音楽会で《大公》トリオでピアノを弾いたが、これが室内楽でピアノを弾く最後となった。耳疾のためである。この第3期への過渡期ともいわれる時期に作曲された《大公》トリオを持って、ベートーヴェンはピアノ三重奏曲の作曲に終止符を打った。

3月14日 ピアノ三重奏曲第1番 ケンプ、シェリング、フルニエ
      ピアノ三重奏曲第2番 ケンプ、シェリング、フルニエ