西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

弦楽四重奏曲私見(続き)

2009-01-12 17:48:56 | ベートーヴェン
いわゆる「ラズモフスキー」と呼ばれる弦楽四重奏曲3曲セットから、真のベートーヴェンらしさが、弦楽四重奏曲の作曲において始まったとみたい。創作の第2期(中期)となり、すでに4年ほど経過した時期にあたる。
ラズモフスキーは、アンドレイ・キリロヴィッチ・ラズモフスキー伯爵で、ロシアのウィーン駐在オーストリア大使をしていた。芸術の愛好家で、バイオリンの名手でもあった。1808年から自邸に弦楽四重奏団(第1バイオリン…イグナーツ・シュパンチック、第2バイオリン…ルイス・ジーナ、ビオラ…フランツ・ヴァイス、チェロ…ヨーゼフ・リンケ)を抱えていて、時々、第2バイオリンを担当することがあった。1814年の大晦日、ラズモフスキー邸は失火により焼失してしまったが、この時までこの弦楽四重奏団は続いた。
私は、第7番(ラズモフスキー第1番)の第3楽章に注目したい。ここで作曲者は深刻なまでに自己の心情を吐露しているように思われる。この背景には何があったのだろう。ヘ短調のこの歌は、明るいロシア民謡の主題を持つヘ長調の第4楽章へと途切れずに流れ込む。この曲は、なぜか初演当初は理解されなかった。特に第1楽章の出だしは不興を買ったと言うことだ。
6曲セット、3曲セットと続いた弦楽四重奏曲の作曲もこのあとはセットで作曲することはなくなる。第10番は、第1楽章のピチカート奏法から「ハープ」の愛称で呼ばれる。有名なピアノ協奏曲第五番《皇帝》の次の作品番号74を持ち、ほぼ同じ時期に書かれた。1809年ナポレオン軍によるウィーン占領下のことである。ピアノ協奏曲では、占領軍に対する自己の立場を主張するかのような響きが感じられるが、この《ハープ》においては、心の平安を求めるかのようである。特にこの第2楽章は、もっと注目されて良い佳品ではないかと私は常々思っている。
次の11番は、ベートーヴェン自身が《セリオーソ》と名付けている。イタリア語で、「真面目に、厳粛に」の意である(英語のseriousである)。ベートーヴェンの作曲した全弦楽四重奏曲中、最も短い作品であるが、バイオリン・ソナタの最後となる第10番、同じく最後となるピアノ三重奏曲第7番《大公》などと共に、第2期の最後を飾る傑作というべきだろう。このあと、第3期のピアノ・ソナタ群、及び不滅の大作「ミサ・ソレムニス」「第9交響曲」を作曲した後、ベートーヴェンは再び弦楽四重奏曲の作曲に取り掛かるのである。

12月29日 第10番「ハープ」 タネーエフ弦楽四重奏団(CD)
       第11番「セリオーソ」 ヴェーグ弦楽四重奏団(CD)
1月10日 第12番 バリリ弦楽四重奏団(LP)