西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベートーヴェンの歌曲

2010-01-06 16:31:05 | ベートーヴェン
ベートーヴェンは歌曲をどのくらい書いているのか。どのような曲があるのだろうか。

ドイツ・リートの流れを見ると、ベートーヴェンはどうもその中で重要な位置を占めていないようだ。数は少ないながらも(LPにして2枚ほど)傑作揃いのモーツァルトのリートを引き継ぐものとして、シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、そしてR.シュトラウスがドイツ・リートの主流ということになるだろうか。もちろんプフィッツナーなどを加える人もいるかも知れない。

今、「Ludvig van Beethoven」という大著を目の前に置いているのだが、この歌曲を論じた項を参考に書いていきたい。
*この書物は1970年前後に出されたグラモフォンのLP78枚からなる全集につけられた特典である。LPレコードと同サイズの書物で、その当時の最高の研究家による一書である。

ベートーヴェンは生涯に約90曲の歌曲を書き、かなり多くの歌曲草案を残した、ということだ。本書に記された4つの創作期で、その数を記してみる。
1.ボンの青少年時代(1783-92)
   18曲
2.ウィーンの修行時代(1792-99)
   23曲
3.中期の創作時代(1803-11)
   31曲
4.後期(1813-23)
   19曲
ベートーヴェンの生涯と比べると、欠けている年月があるが、1曲も作られていないということだろう。合計すると91曲となる。
上のように述べられているのを見ると、何がそれらにあたるのか調べてみたくなる。今もその数でよいのか?この書に出ているのを記し、また割愛されているのは加えたいと思う。

それらを記す前に、ベートーヴェンの歌曲での一つの想い出がある。
「花売り」という曲を今の人たちは知っているだろうか。教科書で学んでいるのだろうか。最近の音楽教科書を見ることもあるが、目にしていない。
「ミラーララーラシドーシラ」という出だしの短調の物悲しい曲想の(と私には思われる)曲である。小学校だったか、中学校だったか、の音楽教科書にあり、教室で歌ったのを思い出します。その時作曲家の名前を見て、ベートーヴェンの曲なんだと思ったことでしょう。ベートーヴェンが「花売り」という曲を書いたのだなと自然に思っていました。ところが、そのような曲はありません。「モルモット」という曲でした。作品52の7です。詩はかのゲーテです。
「わたしはいろんな国へ行った、
 モルモットと一緒に。
 どこでも食物は見つけたよ、
 モルモットと一緒に。
 こっちでも、あっちでも、モルモットと一緒に。」
という詩です。今、2度聴きました、久しぶりに。わずか33秒の曲です。ずいぶんとイメージが違うなあと思ったものでした。作曲ははっきりしませんが、1790年ごろ、ベートーヴェン19歳頃の作品ということです。この作品52は8曲からなる歌曲集ですが、全く作曲年代がわからない曲もあれば、一番後に作曲されたものでも1796年以前ということで、作曲年代はバラバラです。そして「英雄」交響曲(Op.55)の3つ前の番号を付けられましたが、作曲時期を表していないことは明白です。作曲者の意図に反して出版されたもので、弟が小遣い稼ぎに出版したのではないかと思われます。他にもこのようなベートーヴェンの意に反した出版がされていることは以前書きました。

もう一つ大学時代での思い出です。クラシック音楽の好きな友人が、「自然における神の栄光」という歌曲のことを言ったのです。レコードで聴いてはいたでしょうが、少しも記憶にありませんでした。これはゲレルトの詩によるものですが、ベートーヴェンらしい作品だと思います。ベートーヴェンらしい作品というのは、ベートーヴェンはモーツァルトの作品を取り上げて、「私には決して不品行なテキストのために、作曲の気分を作り出すことはできない。」と言っています。そのような意味でベートーヴェンが書くのはこのような曲だろうということです。そのようなことからも、その時の私がこの作品のことを知らず、友人の口から出たことでまだベートーヴェンのことを知らない(もちろん今でもまだ少しもその全体像を掴めているとは言えません。)と痛感したものでした。今この曲も久しぶりに聴きました。ゲレルトは一般にはあまり知られていない詩人と思いますが、ベートーヴェンは自分の思想を謳ってくれているような詩人を見つけようと常に詩集を身近に取り読んでいたのだと思います。

今年も折に触れ、書きたいと思います。