西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ビックリしたこと

2020-06-29 10:19:39 | 音楽一般
ベートーベンは黒人だった?、とのネット記事を見つけたからだ。2015年ウェブサイトに投稿された記事が5年後の今取り上げられた。米で暴動が起こっていることと関係してネット記事を書いたのだろう。2015年の記事は米国のコ大学の学生新聞のウェブサイトに出たものという。「ベートーベン黒人説」の真偽より大事なこと、とNewsweekの日本語版が出てるが、もちろん私はネットで読んでいて、雑誌は見てない、このタイトルも何を言いたいのか不明と言うしかない。これら書いた人物は当然書いた責任を取ることになるがどうなのだろう。

私はベートーベンの伝記やメモ書き、手紙を読んできたが、それらにこの記事をほのめかす内容は見たことはない。本当にびっくりである。以前書いたことだが、ベートーベンの祖先は15世紀末のフランドル地方に生活する人まで遡れる。その後男系には黒人の話はない。問題にしているのは、ベートーベンの母親のことのようだ。母はマリア・マグダレーナ・ケフェリヒ(1746-87.7.17)で父ヨハン(1740頃―92.12.18)と1767年9月12日に結婚している。子供7人のうち3人が成人まで生きた。次男楽聖ルートビヒと3男のカール、4男のヨハンである。この結婚は祖父のルートビヒに反対されたことも以前記した。マリア・マグダレーナは、エーレンブライトシュタインに生まれた料理人の娘で、彼女は19歳でヨハン・ライムという宮廷の使用人と結婚したが間もなく夫と死別し、その2年後楽聖ベートーベンの父親のヨハンと結婚したのだった。楽聖が黒人なら弟2人も黒人である。カールの息子、孫も黒人である。母親について、ベートーベンは「彼女は私にとって実に良い愛すべき母であり、最良の友達でした」とアウクスブルクに住む弁護士のシャーデン博士当てのボンから出された1787年9月15日付の手紙の中で書いている。この年の春、モーツァルトに教えを受けるためウイーンに上ったが、母の病気の知らせを受け急いで帰ることになった。途中アウクスブルクでピアノ製造業者シュタインの娘でピアニストの妻を持つシャーデンを訪ね、お金を借りることになった。その返済の猶予を願う手紙である。
ベートーベンの母について、また後に、自分に良いところがあるとすれば母のおかげだ、と語っているという。(どこで言っているか後で調べようと思います)どこにも母が黒人であるとにおわす言葉はみいだせない。弟2人についても。

このウエブ記事によると、母親はムーア人の子孫だった可能性がある。理由は、生まれた地域が、先に述べたが、エーレンブライトシュタインで、ラインラント・プファルツ州に位置するが、ここがムーア人の直接の支配下にあったということからのようだ。私にはそれ以上はよくわからない。

ウエブの筆者は、「彼の音楽の素晴らしさが変わる訳ではない」と述べているが、何を言っているのか? と思う。欧州の「植民地主義がどれだけ今の人種差別に影響を及ぼしているか」などとさらに書くが、ベートーベンと結び合わせるのがよくわからない。第一次大戦後、日本はパリ講和会議において、人種的差別撤廃を提案した。これに反対したのが人種差別主義者の米大統領ウッドロウ・ウィルソンである。この人種差別を是とするウィルソンの名は、現在恥ずべき思想の持ち主として、アカデミーの中でその名称を消されようとしている。

ベートーベンの伝記の中で黒人が出てくるのは、バイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」に関してだろう。(名を書くと、すぐにその強烈なメロディーが頭に浮かんできてしまう)黒人の血を引くジョージ・ブリッジタワーであるが、献呈者をこのブリッジタワーからクロイツェルに変えるほど、楽聖はこのバイオリニストを嫌っていた。このことは以前も書いた。

なぜ、全米だけでなく、欧州でも広く猛威を振るう人種差別の名で行われる暴動にベートーベンの名が出てくるのか、私にはさっぱりわからない。黒人でないが、黒人としても聴き方は少しも変わらない。