西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベートーベン「第9交響曲」-歓喜に寄す(5)

2016-02-12 18:20:20 | 音楽一般
最後の箇所はシューベルトも使っています。1語だけ単語が異なっていますが。

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!

seidはseinの命令法複数2人称です。~であれ、というところでしょうか。umschlungenは辞書にはありません。元の形はumschlingenで、その過去分詞です。意味は、他動詞で「巻きつく・からむ・抱きつく」とあり、再帰代名詞4格のsichを伴って、「互いにからみつく・抱きつく」と出ています。訳を全部書きましたが、抱き合え、ということになるでしょう。MillionenはMillion(「100万」の意)の複数形です。もちろん、呼びかけで、何百万もの人たちよ、ということですが、諸人よ、と訳されています。

diesen Kußは男性単数対格(4格)で「このキスを」となります。diesenですが、前にもdiesemがありましたが、英語のthisと同語源で、もちろん意味は「この」です。次にどんな名詞(男性か女性か中性か)、また単数か複数か、で5通りもの語尾変化があります。英語は全然変化しない、いや複数だとtheseとなりますが。やはりドイツ語は厄介ですね。der ganzen Weltは、ganzは「全体の・全部の」の意の形容詞、Weltは「地球・世界」で英語のworldと同語源です。全体で「全世界に」となります。derは定冠詞です。前に関係代名詞として使われているとの説明をしましたが、ここは定冠詞で、短くデァとなります。再度書きますが、英語のthe,thatと同語源です。これも6通りに変化します。英語のtheは全く変化しませんが。

Brüder, überm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

Sternenzeltは「星空」です。分解すると、Stern(英 star、「星」の意)、Zeltは「天幕・テント」で、英語のtilt(「日おおい」の意)と同語源です。mußはmüssen(英 must、「~ねばならない・~にちがいない」の意)の直説法現在単数3人称形です。liebは「親愛な・敬愛する」の意の形容詞で、英語のlief(「喜んで・進んで」の意の副詞)と同語源です。Vaterは「父・父親」で英語のfatherと同語源です。宗教用語として使われると、「神」です。辞書にはGott Vater 父なる神、というのが出ています。シラーの詩はこの意味で使われています。wohnenは「住む」です。シューベルトの詩は、ein lieber Vaterがein guter Vaterとなっています。ベートーベンはシラーの詩をそのまま使っていると思うのです。シューベルトはなぜ変えたのか?

(上記のKuß,Mußは新正書法ではそれぞれKuss,Mussとなります。)

Ihr stürzt nieder, Millionen?

ihrは「君たち・おまえたち」の意で、人称代名詞で複数2人称です。stürzt niederは元はniederstürzen(「激しく倒れる(落下する)」の意)という分離動詞です。その直説法現在複数2人称形です。この動詞ですが、辞書をもう少し見ると、auf die Knie niederstürzenというのがあります。Knieは、英語のkneeと同語源で、「ひざ」の意です。全体は、「がくんとひざまずく・がばとひれ伏す」です。お前たちはひざまずくのか、諸人よ、とある訳にはあります。

Ahnest du den Schöpfer, Welt?

ahnestですが、元はahnenで「予感する」の意の動詞ですが、その後du(英 thou、「お前・君」の意)というように単数2人称の代名詞が来ているので、本来はahnstと現在私たちが学ぶドイツ語ではなるかと思いますが、以前はeが入った?いや、スコアを見たら、1つでなく2つの音符がついている(ahnstだったら、母音は1つなので、音符は1つにせざるをえないでしょう、と思うのです。)、ということでeを入れたのか? Schöpferは「創造者・神」の意です。

Such’ ihn überm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

such’はsucheのeが略されています。suchenは「捜す・捜し求める」の意で、英語のseekと同語源です。sucheは単数2人称の命令法です。ihnは「彼を」です。Sternenは前にもありましたが、Sternの複数3格形です。

「第9」で歌われる歌詞を全部見ましたが、一部前置詞や人称代名詞で説明を通り過ぎたところもありましたが、名詞、形容詞、動詞など、文の内容を知る上で大切な語はほとんど見たつもりです。これで、第9を歌う時、和訳と照らし合わせて自分の歌っている箇所がどのような意味かつかめたと思います。

ベートーベンは、このシラーの詩を通じてどのようなことを訴えたかったのか。前に触れたことと合わせて、父なる神は必ずや星空の上に居られる、という箇所に私は注目せざるを得ません。創造者、つまり神は星のかなたに必ず居られる、と再度言っています。そしてその前には、人間は跪くべきだと、そう言っていると私は理解します。第4楽章で最初にベートーベンは自身の言葉で、これらのメロディーではない、と前の3つの楽章を否定する対象として取り上げていますが、(私は、これらの楽章はこれまでの8つのシンフォニーのどれと比べても少しも劣るものではないと考えていますが)それらを否定してまでも、この第4楽章のこのシラーの詩が表明していることを聴く人すべてに訴えたいということで、「もっと快い喜びに満ちた」歌を歌おうといっているのだと解釈します。

詩や楽曲の解釈、また「神」「創造者」などの解釈は人それぞれでしょう。すべて芸術はそのようなものと思います。

ベートーベン「第9交響曲」-歓喜に寄す(4)

2016-02-11 08:52:03 | 音楽一般
次の箇所はシューベルトは取り上げていません。

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt’gen Plan,

frohは形容詞で「喜んだ・快活な・朗らかな」です。wieは英語のhowと同語源です。w-で始まる疑問詞などがありましたが、その類です。ここでは「~のように」です。3行下のwieも同じです。SonnenはSonne (英 sun、「太陽」の意)の複数形です。fliegen(英 fly)は「飛ぶ」です。durchは「~を通って」の意で英語のthroughと同語源の前置詞です。Himmelは英語のheavenと同語源で「天・空・宇宙・天体・天国」などの意味が出ています。prächt’genはprächtigenが省略されない形です。prächtigは形容詞で「壮麗な・りっぱな・みごとな・すばらしい」の意です。Planは英語のplanと同語源で、「計画・企画」の意です。
 *もうお気づきでしょうが、ドイツ語では名詞はすべて文中でも大文字で始めます。その理由が書いてあるのは読んだことがありません。なぜなのか?

Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

laufetはlaufen(英 leap)は「走る」の意で、その命令法の複数2人称形です。eureはeuer(所有形容詞で、「君たちの・なんじらの」の意)の変化形のeuere(4格)が本来の形ですが、普通は3文字目のeは略されます。Bahnは「道」です。freudigは形容詞で、「喜んでいる・うれしそうな」の意です。Heldは「英雄・勇士」です。Siegenは動詞siegen(「勝つ」の意)をそのまま名詞として使っています。一見名詞Sieg(「勝利」の意)の複数3格のようですが。

(続く)


ベートーベン「第9交響曲」-歓喜に寄す(3)

2016-02-10 09:20:22 | 音楽一般
今日書く節は、シューベルトのリートにも入っています。

Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;

trinkenは前に出たtrunkenと関連しています。英語のdrinkと同語源で「飲む」の意です。Wesenは「生物・被造物・実在・本体」の意です。BrüstenはBrust(英語のbreastと同語源で、「胸・胸部・乳房」の意)の複数3格形です。Naturは「自然」の意で、誰しも英語のnatureを思い浮かべ、もちろん関連している語ですが、同語源ではないです。このドイツ語はラテン語から来ているのです。ついでに言うと、英語のnatureも英語本来の語ではなく、フランス語を経由したラテン語が元になっています。ドイツ語の本来語は、語幹にアクセントがありますが、これはナトゥーアと読んで、ナにアクセントがありません。このNaturはその前の定冠詞derからわかるように2格(属格)です。「自然の乳房」となります。

Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.

GutenとBösenは、元はgut(英 good、意味は「よい」)とböse(「悪い」の意)の形式名詞Gute(「善人」の意)とBöse(「悪人」の意)のそれぞれ複数形です。folgenは「従う・追う」の意で、英語のfollowと同語源。Rosenspurは辞書にありません。Rose(英 rose、「バラ」の意)とSpur(「跡・足跡」の意)の合成語。ihrerは女性単数3格で「彼らの」の意です。女性単数というのは、Rosenspurに合わせます。3格というのはfolgenという動詞は自動詞で、3格支配ということです。
 *名詞には、男性名詞・女性名詞・中性名詞があります。多くの英語だけを学んだ人には、何だってー、と思うところでしょう。しかも、前に出たWeib(「妻」)が中性名詞だと知れば、どういうこと?と誰しも言いたくなるでしょう。そういうことになっているとしか言いようがありません。英語も実は、古い、古英語と言いますが、その時代には、同じく男性名詞・女性名詞・中性名詞がありました。英語やドイツ語はゲルマン語派に属すと言いましたが、さらにその元をただすと、インド=ヨーロッパ語族と言いますが、それに属すほとんどの言語は、この3種の名詞があります。中性名詞がなくなって、男性名詞と女性名詞だけの言語もあります。動詞ですが、英語は、自動詞・他動詞の区別があり、目的語を取るのは一般に他動詞となりますが、ドイツ語では、2格・3格支配の動詞というのがあり、これは4格支配の動詞を他動詞と呼ぶのに対し、自動詞と呼ばれます。

Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;

küsseはKuß(英 kiss、「キス」の意)の複数形、ここでは1格ではなく4格。ßの綴りはドイツ語独特で、ssと同じです。ssの後に母音が来て、かつその前に短母音が来た時だけ、ssになり、それ以外はßになります。ややっこしいです。gabはgeben(「与える」の意、英語のgiveと同語源)の過去形で、過去分詞は2行下にあるgegebenです。sieは「彼女は」の意の主語(1格)の代名詞です。女性は誰も登場していません。誰のことなの?と思うかもしれませんが、女性名詞Naturを指しています。unsは、英語のusと同語源で、3・4格同形ですが、ここでは3格で「我々に」の意味です。Rebeは「ブドウ」です。geprüftはprüfen(英 prove、「検査する・ためす・試験する」の意)の過去分詞です。辞書にもこの形が「試練を経た」の意味で出ています。Todは英語のdeathと同語源で、「死」の意味です。

(追記 ssとßの使い分けですが、新正書法(何年発効なのでしょうか、ネット見れば出ているかもしれません)によると、その前が短母音か長母音・複母音かで後に母音が来るかは関係なくなったということです。上の表記のKußはKussと今は書くべきでしょう。)

Wollust ward dem Wurm gegeben,
Und der Cherub steht vor Gott.

Wollustは「性的快楽・肉欲」と辞書にあります。wardはwerdenの過去形で1・3人称単数形です。ここではもちろん3人称です。werdenは前にも出ましたが、ここでは過去分詞(3語後にあるgegeben)と共に受動の意味を作る助動詞です。「与えられた」となります。Wurmは英語のwormと同語源で、「虫」の意です。その前にdemが付いているから、3格になります。Cherubは「ケルビム」です。読み方は、辞書によるとヒェールプまたはケールプですが、合唱団の国籍で読み方が違うのではないかとどこかで読んだことがあります。日本の合唱団はおそらくケールプと歌っているのではないかと思うのですが。stehenは「立っている」で、英語のstandと同語源です。vorは「~の前に」の意で、英語の[be]for[e]と同語源です。

「第九」の歌詞は、一つ一つ読んでいって、ベートーベンがその言葉をどうしても言い表したかったのかなどと思うことがあり、その意味は何だろうと思いますが、例えば、Rosenspurとは何か、などと以前議論していたのをTVか何かで見かけたことがありましたが、(よくは覚えていませんが)、私はあくまでもシラーの詩に付けたわけで、そのシラーの詩も取捨選択したもので、さらにその中にベートーベンが共感する言葉を見いだせたということで、それを含む詩が選ばれたということだと考えます。ではそのベートーベンが共感した言葉は何かと言うと、その一つは前にも書いたように、「すべての人間は兄弟となる」で、そのような世界を願ったのだと思います。

(続く)

ベートーベン「第9交響曲」-歓喜に寄す(2)

2016-02-09 10:09:53 | 音楽一般
雑誌『第九入門』によると、1805年までに「歓喜に寄す」の詩に25ほどの曲が付いたという。なぜそれほどまでに、ベートーベンだけではなかった、ということですが、その理由も書いてありますが、それは略して、この25には入りませんが、シューベルトがやはりこの詩に附曲しています(1815年5月)。ピアノ伴奏の独唱曲(D189)です。シューベルトもすべての節には曲を付けていません。シューベルトが付けた節は、ベートーベンが付けた個所よりさらに少なくなっています。今日これから記す部分は、シューベルトは取り上げていません。

Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein;
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

1行目のwemと3行目のwerは関係代名詞のwer(英 who)です。werは主格、wemは与格です。意味は「~する人は」。großは形容詞で「大きい・偉大な・重要な」の意で、英語のgreatと同語源です。Wurfは「草案・計画・構想」です。gelungenは「うまくゆく・成功する」の意の自動詞gelingenの過去分詞です。辞書に、Der Plan wird ihm gelingen. そのプランはうまくいくだろう。 もうひとつ
Der Plan ist gut gelungen. そのプランはうまくいった。 というのがあります。詩を理解するのに役立ちそうです。詩では語句が省略されているようです。
eines Freundesはein Freund(ひとりの友)の属格です。ein(「ひとりの」)は英語のone,an,aと同語源です。zu seinのzuは英語のtoと同語源で、抽象名詞(前行のWurf)の付加語となっている。seinは「ある・存在する・~である」で英語のbeと同じと考えてよいでしょう。
holdは「やさしい・かわいらしい」の意の形容詞。Weibは英語のwifeと同語源で「妻」の意です。ein holdes Weibは「ひとりのやさしい妻を」になり対格です。errungenはerringen(「努力して得る」)の過去分詞。ここも語句が略されています。
einmischenは動詞で「混ぜ合わせる」の意。Mischeが前に、einが後に来ているが、と考える人がいると思いますが、この動詞は分離動詞と言い、ある条件でこのように前と後ろに分かれるのですね。私も学び初めにはどうしてかと面喰いましたが、言語を学ぶのに理由を聞いてもしょうがないです。そのような言語なんだと理解するのみです。ただし、このeinは「ひとつの」ではありません。「内へ・中へ」の意です。mischenは「混ぜる」の意で英語のmixと同語源です。「中へ・混ぜる」→「混ぜ合わせる」ということで、理解できそうです。ドイツ語はこのようにどんどん単語が増えていくようです。mischeは語幹にeが付いて、命令法の単数2人称です。Jubelは「歓呼・歓喜の叫び」の意です。その前のseinは「彼の」で(前に出た「~である」の意のseinと全く同じですが、別の語です。)、seinen Jubelで「彼の歓喜の叫びを」となり対格です。
 *主格・属格・与格・対格という言葉が揃いましたが、これは名詞などの変化における4つの格を示しています。順に「~は・~が」「~の」「~に」「~を」の意と考えてよいでしょう。名称ですが、やはり順にN格、G格、D格、A格、もしくは1格・2格・3格・4格と数字で呼ぶこともあります。

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer’s nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!

Seeleは「霊魂・魂」で英語のsoulと同語源です。nenntはnennen(「命名する・呼ぶ・称する」の意)の直説法単数3人称形、主語は関係代名詞のwerです。その前のseinは前に出た「彼の」の方の語ですが、ここは述語的に使われています。辞書に
Das Buch ist sein. その本は彼のだ。 というのがあります。
Erdenrundは「地球」です。Erde(英 earth)(「大地・地面・地球」の意)とRund(「丸い物・円球」)との合成語です。
wer’sはwer esが短縮した形です。esのeはしばしば省略されアポストロフィがそこに置かれます。英語のitと同語源です。わずか2文字で共通する文字がないですが、語源は同じです。そしてここは4格の「それを」の意味です。nieは副詞で「決して~しない」の意。gekonntはkönnen(英 can)(「~できる」の意)の過去分詞でここも語の省略があります。derは英語のthe,thatと同語源で、定冠詞として使われることが多いですが、ここは関係代名詞でデーァと延ばして読みます。stehlenはstealと同語源で、「盗む」ですが、ここは再帰代名詞sichを伴って、ひそかに立ち去る、ほどの意味と考えてよいでしょう。weinendはweinen(「泣く・泣き叫ぶ・涙を流す」の意)に-dがついて現在分詞で「~しながら」の意になり、副詞のような働きになります。Bundは「連合・同盟・連盟」の意です。

(続く)


ベートーベン「第9交響曲」-歓喜に寄す(1)

2016-02-08 09:23:15 | 音楽一般
ベートーベン(1770-1827)はいつシラー(1759-1805)の詩「歓喜に寄す」を知ったのか。1789年5月に、ベートーベンはボン大学に入学する。ここでゲーテ、シラーを知ったのだった。「ベートーヴェン」(平野昭著)によると、ボン大学に招請されたシラーの友人フィッシェニヒの手紙に「…この少年は、選帝侯によってウィーンのハイドンの許に派遣されたところです。彼はまたシラーの『歓喜』を、しかも全節を作曲しようとしています。…」(1793年1月26日付)とある。Hess番号143に「歓喜に寄す」がある。1793から99年の間に作曲されたと推定され、作品表には「紛失。2つのスケッチのみ現存」とある。第9交響曲が作曲されたのは「1818,22-24」年と言うことなので、詞を知ってから作曲を実現するまでに約30年かかったことになる。

このシラーの詩は、全9節108行の長い詩だった。上の手紙にあるのと異なり実際には全部には曲を付けていない。取捨選択していることになる。採用していない箇所にはどんな内容が書かれているのか。掻い摘んで書くが、「同胞たちよ、満ちた杯が回ってきたなら席から立って泡を天まではじかせよう」「同胞たちよ、善と血に重きをおこう 輝かしい事績にはふさわしい冠を うそつきたちには没落を」「同胞たちよ、飲もう、そして声を合わせよ すべての罪人は許されてあれ 地獄がなくなるように」などとある。これらを取り除いてできたのが「第9」の歌詞だった。(以上の訳は、「第九入門」(2011年12月号)による。)

Freude! Freude!

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium,

以上コンマで区切られた3つは、Freude(歓喜)と同格で、呼びかけである。schönは形容詞「美しい・うるわしい」、Götterfunkenは辞書になし。GötterはGott(英 God、「神・造物主」の意)の複数形、Funkeは「火花」である。Tochterは英語daughterと同語源で「娘」。Elysiumは「極楽・楽土」。

Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligthum!

betretenは他動詞で「足を踏み入れる」とあるが、英語の同じく他動詞のenter(~にはいる)である。 feuertrunkenはFeuer(英 fire)「火・激情・情熱」と形容詞trunken(英 drunk)「酔った」の合成語である。himmlischは形容詞「天の・天国の・天にある・神の・永遠の」、Heiligthumは「神聖な場所」で、heilig「神聖な」(英 holy)と-tum(英 -dom)の合成語。-thumとなっているが、今は-tumである。(以前と綴り方が異なったということだと思いますが。)

Deine Zauber binden wieder
Was die Mode streng geteilt;

Zauberは「魔法」、bindenは「結ぶ」で英語のbind(「縛る・くくる・束ねる」の意)と同語源。綴りはそっくり。ドイツ語動詞は大多数、ほとんど全部と言っていいが、語尾は-enで終わり、これを取ったものを語幹と呼ぶ。読み方は、ビンデン。英語の方は語尾なるものはなくなった。そして読み方は、バインド。英語では、近代英語に入る前にGreat Vowel Shift(大母音推移)というものが起こり、それまで所謂ローマ字読みだったものが、二重母音化した。このようなものはドイツ語と英語の間で非常に多く見られる。wiederは副詞で「再び」。wasは英語のwhatと同語源で、用法もほとんど同じと言っていいだろう。ここでは関係代名詞。Modeは「流行・はやり・時流」、streng(英 strong)は「厳しい・厳格な」の形容詞と「厳格に」の副詞の両方の意があるが、ここでは後者。ドイツ語は、形容詞がそのまま副詞の働きをするものが多い。geteiltは動詞teilen(英語のdealと同語源で、「分ける」の意)の過去分詞。

Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

allは言うまでもなく英語のallと同語源で、「すべての」の意。Menschは「人・人間・人類・男」で-enがついてその複数形。この2語の読み方は、アレ・メンシェンである。気持ちよくアーレ・メンシェンと延ばすと、Aal(英 eel)(-eが付くと複数形)の「ウナギ」になってしまう。「すべての人間が」のところが「ウナギ人間が」になってしまう。werdenは「~になる」の意で、読み方はヴェールデンである。(ヴェルデンではない)BrüderはBruder(英 brother)の複数形、「兄弟・仲間」の意。woは英語のwhereと同語源。先ほどのwasと何か似ている。ドイツ語のw-と英語のwh-は対応しているということです。意味はwhereとほとんど同じでここは疑問副詞でなく、関係副詞。sanftは英語のsoftと同語源で、「柔らかい」の意。Flügelは「(鳥の)翼」の意、他に音楽用語で「グランドピアノ」のことも言うのですね。辞書引くといろいろ学びます。weiltは動詞weilenの単数3人称形で、意味は「とどまる・滞在する」。

この2行は、この後も合唱で何度となく現れます。「すべての人間は兄弟となる」この思想にベートーベンは強く引かれたのではないかと私は思っています。それがこの詩を挿入して大規模なこれまでにない交響曲を作曲しようというふうにベートーベンを駆り立てたのではないかと思います。そしてベートーベンはそれをこのシンフォニーによって実現させました。偉大な人間と私は思います。

(続く)

「第九」の歌詞

2016-02-07 10:30:11 | 音楽一般
昨年暮れには、毎年のことだが、ベートーベンの第9交響曲が各地で歌われた。私も口ずさんで歌いたいところだが、ただ文字を読んでいるようなことはしたくない。ドイツ語の構造を知り、語彙を知り、それで和訳のようになるんだ、と理解しながら歌いたいものだ。といっても合唱団に入り歌おうなどとは考えていない。全然自信ない。ただベートーベンが曲を付けた歌詞を理解して口ずさめればいいといったところ。

ドイツ語は、結構カタカナ書きを読んでも相手に通じるなどと言う。しかしやはり細かいところ、日本語にはない口構えでないと正確に発音できないものなどはある。大学でドイツ語を第2、(第3と言うべきか)外国語として、初級、上級を取った私はこの2ヶ月ほどドイツ語の再勉強に乗り出した。大学で学ぶ前にも、ラジオ講座などで勉強していたが、ほとんど身についたとは言えなかった。大学に入ってからは、その後も文法書を結構専門的なのを3冊手元に置き勉強した。そしてそれらの本を使い再度取り組み始めた。

語学の勉強では、語形変化、特に動詞の変化(Konjugation)を覚えなくてはならないが、すっきりわかりやすく教えてくれる本は残念ながらない。自分なりにそれを組み立てることから始めた。動詞変化では、口調上のeというのが入ったり、あるいはやはり口調の関係で綴りが省略されることがある。私はどういう時にそういうことが起こるか、それを知りたく思い、(もちろん文法書にはそれは書いてあるが)どんなふうに動詞を分類したらいいかなどと考え、自分なりに整理してみた。

第9の歌詞は、ドイツの詩人・劇作家のシラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)によるものである。4人の独唱者、および4部合唱により歌われるが、その前にベートーベン自身による、

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.

という歌詞がある。

FreundeはFreund(英語のfriend)の複数形。

 *英語とドイツ語は同じゲルマン語派、特にその中の西ゲルマン語派という同じ系統の言語になり、同じ源から出る単語が、当然ながら数多くある。そのような語にはそれに当たる英語を書いてみたい。

nicht(英 not)は否定語「~ない」で、sondern「~(なく)て」とここでは組になって使われている。

その前のTöneはTon(英 tone)の複数形。「音」であるが、ここでは「音調・ふし・メロディー」となる。

 *同系の英語の表示、語の和訳は「最新コンサイス独和辞典」(三省堂)による。ずっと以前に買い、愛着のある辞典。今もっといろいろ辞典は出ているだろうが、書店で見ればいいのだが、購入することもないだろうから、見ていない。もう一冊手元にある「木村・相良 独和辞典 新訂」(博友社)を参照することもある。

laßt uns はlet usに当たる。laßtは、不定詞はlassen(英 let)で「~するにまかせる・~させる」の「話法の助動詞」の命令法の複数2人称である。直説法の複数2人称も同形だが、ここは命令法になる。angenehmereとfreudenvollereにある-erは形容詞に付いて「よりいっそう~な(比較級)」の意で、英語の比較級を作る語尾(-er)と同じ。angenehmは「快い・愉快な」の形容詞。freudenvollは私の辞書には出ていず、freudevollなら「喜びに満ちた」の形容詞とある。もちろん同じことなのだろうが、なぜ辞書にないのか? Freudeは「喜び」でjoyと訳されている。英語に同語源はない。このFreudeはこの後にも出てくる、大切な第9のテーマと言っていいだろう。vollは英語のfullと同語源で「いっぱいの・みちた」の意の形容詞。anstimmenは「歌い始める」の意。

最初に書いたように、自分の勉強・理解のため書いている。これでいいのだろうと思うけど、と言ったところ。もしお読みになっている人で何か参考になることがあれば嬉しいし、また浅学ゆえに間違いがあればお教えいただければと思っています。ドイツ語大家のN氏(いやM氏と言うべきか)、何かご助言あったらいただければと思います。

まだシラーの詩には入ってなかった。

(続く)