Op.80は「合唱幻想曲」。これは、とてもユニークな作である。「運命」「田園」の2大曲の初演が行われた1808年12月22日木曜日の演奏会で、この曲も初演された。大失敗に終わったこの日のことは、以前も書きましたが、この5日前の「ウィーン新聞」の広告には、この曲について「ピアノのための幻想曲、次第に全管弦楽が導入され、終局には合唱が加わる。」とある。他の作曲家を見ても、このようなのは見かけないのでは。合唱が最後に入ることから、「第9交響曲」の先駆けなどと言われることがある。作曲は、インクの乾かないパート譜で練習に入った、と伝えられるように、この初演月に出来上がったもので、翌年改訂されているが、作品番号は、作曲年代を表わしていると言っていいだろう。
Op.81はa,b2つあり、aはピアノ・ソナタ第26番《告別》である。そしてbは、六重奏曲となる。これは弦楽四重奏曲に、二本のホルンが加わった珍しい編成で、これまた、音楽史を見渡しても他にあるだろうか。作曲年は「?1895」と表記されている。aのピアノ・ソナタの方は、作曲年に合うが、bは全く合致しない。1810年に出版されたということで、その時81を付けたが、前にもこの番号を付けたものがあったので、やむなくa,bとしたのか。その辺の事情については、これまで読んだ記憶がありません。
Op.82、83は、歌曲が続きます。82は「4つのアリエッタと1つの二重唱曲」、83は「3つの歌」です。前者は1809~10年の作品、後者は1810年の作曲です。
Op.84は、悲劇《エグモント》のための音楽で、1809~10年の作曲で、完成年に初演されています。
以上3作品は、作品番号は作曲年を示しています。
Op.85は、オラトリオ《橄欖山上のキリスト》です。そして、Op.86は、「ミサ曲 ハ長調」。2つの宗教曲が続きますが、作曲年は、前者が「1803初め、改訂1804」、後者が「1807夏」と表記されていて、85は、作曲年代を表わしていず、86は、ほぼ近いというべきか。
Op.87は、2つのオーボエと1本のイングリッシュ・ホルンで構成される「管楽三重奏曲」です。作曲年は「?1795」とあり、全く番号は作曲年代を表わしていません。そして、この87にはもう一つ作品があります。この管楽三重奏曲の弦楽三重奏曲への編曲版です。これは作曲者自身で1795年に行われました。2本のバイオリンと1本のビオラによるものです。これは、例のCD版の全集には入っていなくて、何とか探しましたが、作成した作品表には、所持しているのマークを付けましたが、今どこにそれがあるか不明です。2種は持っていないと思います。
Op.88は、1803年作曲の歌曲「友情の喜び」です。2分16秒の短い作品です。作詩者不明で、出版も1803年と言うことでなぜそれがこの番号を与えられたのか、よくわかりません。詩の内容は、以前も書きましたが、作曲者の心情を表わすものと、今読んで思いました。
Op.89は、ピアノ作品「ポロネーズ」です。1814年、ナポレオン戦争終結後のウィーン会議にヨーロッパ各地の名士が集まったが、彼らの前でカンタータ「光栄ある瞬間」や「戦争交響曲」が披露されたが、それに感激して、作曲者ベートーベンに200ドゥカーテンの大金を送ったロシア皇后エリザヴェータに献呈した作品です。番号は、言うまでもなく作曲年代を表わしています。
次回は、90番台についてです。