今日は、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」が初演された日です(1930年、ブリュッセル)。
ストラヴィンスキーほど、多種多様な音楽を書いた作曲家はいないように思います。生涯は大きく3期に分かれるということです。「春の祭典」に象徴されるロシア民族主義とバーバリズムが融け合わさったような音楽を生み出した第1期、ジャズの手法を取り入れるなどした新古典主義と呼ばれる第2期、12音技法を用いた第3期、ということである。私は、なかなか彼の産み出した作品を十分に咀嚼できないでいるが、音楽史上重要な作曲家であるのは理解しているつもりです。彼の理解者であるアンセルメのレコードにして10枚組みの膨大なセット物が出た時、買い求めました(ただし、この中には12音技法の考えに反対のアンセルメはいわゆる第3期に当たる作品を録音していません)。また最近驚くべきことにストラヴィンスキーの全貌を示すようなCD22枚組みのセット物が出た時、これも躊躇なく購入しました。(何とこちらの方が安価。)これから少しずつ聴いていこうと思っているところです。
ところで、「詩篇交響曲」ですが、これは『詩篇』が合唱により歌われていることにより命名されていますが、このほかに交響曲と名が付けられている作品が3つあります。「交響曲 変ホ長調」「交響曲 ハ長調」「3楽章の交響曲」です。番号が付いていません。ストラヴィンスキーの作品の多種多様さを表しているようです。もうずいぶん前ですが、ニュースの開始にストラヴィンスキーの交響曲のある楽章が使われていた?というようなことを聞いたことがあります。「交響曲 ハ長調」のような気がするのですが、聴いてもこれだったと思い出すことができません。別にこれはどうでもいいことなのですが、子供の頃自然に聴いていた音楽がもしストラヴィンスキーのものだったとしたら、ずいぶん早くストラヴィンスキーの音楽に親しんでいたのだな、などと今思うのです。
ストラヴィンスキーほど、多種多様な音楽を書いた作曲家はいないように思います。生涯は大きく3期に分かれるということです。「春の祭典」に象徴されるロシア民族主義とバーバリズムが融け合わさったような音楽を生み出した第1期、ジャズの手法を取り入れるなどした新古典主義と呼ばれる第2期、12音技法を用いた第3期、ということである。私は、なかなか彼の産み出した作品を十分に咀嚼できないでいるが、音楽史上重要な作曲家であるのは理解しているつもりです。彼の理解者であるアンセルメのレコードにして10枚組みの膨大なセット物が出た時、買い求めました(ただし、この中には12音技法の考えに反対のアンセルメはいわゆる第3期に当たる作品を録音していません)。また最近驚くべきことにストラヴィンスキーの全貌を示すようなCD22枚組みのセット物が出た時、これも躊躇なく購入しました。(何とこちらの方が安価。)これから少しずつ聴いていこうと思っているところです。
ところで、「詩篇交響曲」ですが、これは『詩篇』が合唱により歌われていることにより命名されていますが、このほかに交響曲と名が付けられている作品が3つあります。「交響曲 変ホ長調」「交響曲 ハ長調」「3楽章の交響曲」です。番号が付いていません。ストラヴィンスキーの作品の多種多様さを表しているようです。もうずいぶん前ですが、ニュースの開始にストラヴィンスキーの交響曲のある楽章が使われていた?というようなことを聞いたことがあります。「交響曲 ハ長調」のような気がするのですが、聴いてもこれだったと思い出すことができません。別にこれはどうでもいいことなのですが、子供の頃自然に聴いていた音楽がもしストラヴィンスキーのものだったとしたら、ずいぶん早くストラヴィンスキーの音楽に親しんでいたのだな、などと今思うのです。
*「第一期(初期)ストラヴィンスキー作品には意外とメロディックな作品も存在していた」
ご承知の通りこれは「春の祭典、火の鳥、ペトルーシュカ」等があてはまります。有名な話として「トスカニーニとの対話」の中でストラヴィンスキーが「ベートーヴェンはハッタリ屋だ」との発言にトスカニーニが激怒し、その後疎遠になったと言うエピソードがありますが、実はこの当時音楽家作曲家問わずベートーヴェンを意識しなかった人はいなかった?とさえ言えます。想像するにストラヴィンスキーのハッタリ屋発言とはおそらく「ベートーヴェンの偉大な簡単完璧シンプル平凡さ」にあるのではと。只聴くだけでは決して解らない「交響曲運命の第一楽章」は、一聴物凄く複雑怪奇に聴こえるがこれは「スコアのテンポ指示とフェルマータのマジック」であり全て反復の繰り返しのシンプルな作風。第九のメインメロディーも考え抜かれた最後の誰でも覚えやすい印象時な民謡風。つまり物凄く大雑把で下卑た表現なら「物凄くシンプルなものを物凄く複雑怪奇に魅せ聴かせる」のがベートーヴェンの真骨頂。此処をストラヴィンスキーに言わせれば「ハッタリ屋」に映ったのでしょう。更に、まぁこういったは何ですが「ストラヴィンスキー作品は演奏自体が非常に難しく拍子を合わせるだけでも相当大変であり、聴く側も多少の演奏ミスなども忘れられる」がしかし、ベートーヴェン演奏は「そういった煩雑さが無くシンプルな分、物凄く演奏が在る意味難しくモロに粗が目立ち芸術性が問われる」訳です。おそらくストラヴィンスキーも解っていたのでしょう。ベートーヴェンをおっ飛ばすにはこういうやり方しか無いと。
*「当時の現代音楽は意外と昭和30年代初期TVヒーロー物作品のBGMに使用されていた」
具体的には「怪獣マリンコング まぼろし探偵」等にかなり多用されております。この「怪獣マリンコング」は完全に幻の作品と言われネットにすら極断片しか無いが、音楽担当者がノンクレジットであり全く不明。しかし最終13話では「明らかにローマの松=アッピア街道の松や火の鳥」がBGMとして使用され、更に「まぼろし探偵」では初期作品はほぼ全編に「火の鳥 春の祭典」等が断片的にBGM使用されています。*注=音楽担当は二人居て、後にあの大家渡辺兵夫先生がお父上の浦人先生と共同でBGMを担当される以前、大塚一男と言う人がクレジットされていました。この人は今日情報が無く全く解らないのですがどうもこの人のオリジナル作品が聴けず、全て「皿回し=市販レコードの流用」だったと思われます。一番安易な方法ですが、聴きますと相当に大編成のフルオケであり、当時こんなに音楽予算があるはずも無く、まぁ当時の視聴者も解るはずも無い程度の発想でBGM使用されたのでしょう。
非常に安易ではありますが、意外とストラヴィンスキーの音楽はマッチしていた? と感じます。
今回は、全く別の切り口でストラヴィンスキー音楽を感じましたが、こんな見方聴き方もある事を知って頂けたら幸いです。 まぁ今日の世界情勢ではロシア音楽も窮地に在り、ストラヴィンスキーも草葉の陰で何を思っておられるか、、、敬具