西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

R.シュトラウス・歌劇「サロメ」

2007-12-09 08:08:44 | ロマン派
今日は、R.シュトラウスの歌劇「サロメ」が初演された日です(1905年、ドレスデン)。
歌劇「サロメ」は新約聖書に題材を取っています。聖書自体には、サロメの名は出てこず、ユダヤ王ヘロデの娘と出ているだけです。R.シュトラウスはイギリスの劇作家ワイルドの「サロメ」のドイツ語訳を読み、作曲を思い立ったということです。ワイルドというと、世紀末芸術を代表する作家と言われることが多いですが、中でもこの「サロメ」はワイルドの耽美的な面をよく表しています。当然R.シュトラウスの歌劇もその傾向を持つものであり、初演当時教会などから大きな非難が起こり、ウィーン宮廷歌劇場では上演が禁止されたということです。R.シュトラウスはこの後、やはり「エレクトラ」というセンセーショナルな作品を書きましたが、その次にはモーツァルトの歌劇の時代設定を真似るような傑作「薔薇の騎士」を書きました。R.シュトラウスは生涯に15のオペラを書きましたが、後に行くほど、穏やかなものになっていったという感じを持ちます。
歌劇「サロメ」については、私はやはりカラヤンの演奏が断然素晴らしいように思います。カラヤンは、サロメを歌うに相応しいソプラノが現れるのを待っていたようで、ベーレンスはまさにうってつけの歌手だったのでしょう。ベーレンスについては、メトで歌ったブリュンヒルデがその歌唱、演技とも素晴らしいものであることを見ました。カラヤンのサロメがベーレンスのデビュー・レコードではなかったかと思いますが、これも優れているものと思います。

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1 コメント

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指揮者としてのRシュトラウス私見 (大石良雄 おおいしよしたか 本名)
2021-07-16 20:37:12
拝啓 サイトヘッド(SH)様には梅雨明けに伴い、よろしくお願いを申し上げます。
*「私見 指揮者としてのRシュトラウス」
 結論としては「本当のプロ指揮者としての評価はかなり怪しい?」と感じています。 これはSH様も先刻ご承知の通り「作曲家としてのRシュトラウス」と「指揮者としてのRシュトラウス」の評価は全く別物であり、更に「自作自演の指揮と、他作指揮の場合の評価も全然違う」と。何せRシュトラウスは長命でありほとんどの自作自演の録音を残し、更に指揮姿の映像も相当数残したと言う大変に幸せな一生を送った人ですが、正直「カラヤンが過去、レコードジャケット解説の中で、最も尊敬する指揮者が=Bワルター、トスカニーニ、Rシュトラウス」と言っていた事。特にRシュトラウスは「自然なテンポを持っていた」とも。しかしながら私見では「現在聴ける限りの他作=ベートーヴェンやモーツァルト等の古典の名曲を指揮した物」を聴く限り、とても名演奏とは感じられません。自然なテンポと言うよりも「何か人工的な作為?」を感じますし、意図的な改変?も感じられます。つまり其処には「過去の大指揮者や名指揮者から感じ取れる、何か強烈なオーラと言うか、霊感の様な物が感じられない」のです。確かに自作自演等については正統的な演奏なのでしょうが、Rシュトラウスの曲自体が強烈な印象が感じられぬので何とも申せません。
更に残された映像をよくよく観ますと「指揮姿が、何と申しますか、、、非常に人を小馬鹿にした様なと申しますか、、、全く能面の様な無表情さに加え、ほとんど大半右手だけの非常に小さな振りであり、何か全く熱が感じられない。自分は現在「集められる限りの歴史的指揮者の映像全て」を観聴きし、ニキシュやサンサーンス等のサイレント映像も含め研究しましたが、少なくともトスカニーニやメンゲルベルクの熱っぽい指揮姿とは比較になりません。正直我々の知らぬ存ぜぬかなりの部分で過去、プロの世界に入ってみなければ決して解らぬ部分で、カラヤンなどは知っていたのではとも思われますが、少なくとも現代の我々から見たら、まぁ私見の通りの感想です。まぁ正直「大作曲家や大指揮者たちの言動」てのも、かなり権威ある文献でも相当にいい加減適当な発言が在り、例えばトスカニーニ等は「指揮者が汗をかいてはいけない、客や観衆に汗をかかせるのだ」とか何とか言いながら自分では大汗かいていた、、、、こういった言動は過去暇が無く作者や物書きの想像や空想捏造も多数ある様です。SH様などは指揮者Rシュトラウスについてどのようなご意見ご感想をお持ちでしょうか?
機会あらばぜひご教示頂ければ幸いです。敬具
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