西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

西洋音楽史 7

2022-08-11 15:45:00 | 音楽一般
モンテヴェルディは、1610年ローマに向かった。その時携え、教皇パウロ5世に献呈したのが「聖母マリアのミサと晩課」である。名誉職を求めたのであるが、上手くいかなかったらしい。1613年、結局モンテヴェルディはマントバからベネチアへ移り、サン・マルコ大聖堂の楽長職に就き、他界するまでの30年間ここで暮らすことになった。ベネチアは1637年に最初の公開オペラ劇場サン・カッシアーノ座が誕生し、オペラが一部貴族だけのものではなく、大衆の娯楽の場を提供するものになった。ここでモンテヴェルディは、「ウリッセの帰還」と「ポッペアの戴冠」の晩年の2大オペラを作曲した。
フランスでは、アンリ4世が1610年に暗殺された後、長男のルイ13世が即位し、その後1643年にルイ14世が4歳で王位に就いた。1653年、ルイが14歳になった時、リュリなどが作曲した宮廷バレエ「夜」に「太陽」の役で舞台に上がった。作曲者のリュリも一緒に踊ったという。リュリはルイの従妹のオルレアン家のアンヌ・マリー・ルイーズのイタリア語会話の相手にイタリアから来ていたのだったが、後にルイ14世に仕え、宮廷合奏団を指導するまでになった。ルイ14世が後に「太陽王」と呼ばれるのは、これに由来する。
ルイ14世は、1660年、スペイン国王フェリペ4世とアンリ4世の息女(つまりルイ13世の妹)のエリザベート(スペイン名イサベル)との王女のマリー・テレーズと結婚式を挙げた。この祝賀行事にイタリア出身のサン・マルコ大聖堂の楽長を務めたカヴァッリのオペラ「クセルクセス」が上演された。
ルイ14世は、1661年に宰相マザランが亡くなると、親政を開始し、パリ郊外に宮殿の造営に取り掛かった。そして1682年から王はそこに住むことになった。ベルサイユ宮殿である。ここで奏でられた音楽と作曲者に興味を持ち、次のレコードを買い求めた。全部で7枚。全部揃えると写真集がもらえるからというのでだったが、買い過ぎたか? 

この時代の音楽家には、教会音楽に印象的な作品を残したシャルパンティエやドラランド、それにクラヴサン音楽を多く作曲したクープラン(ルイとフランソワ)などがいる。



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