西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

西洋音楽入門

2021-04-12 16:19:19 | 音楽一般
クラシック音楽には、高校1年ごろから興味関心を持ち始めた。周囲の中学から聴いているとか、楽器を学んでいるなどと言う人もいるのを知ると自分は遅い方なのかと思った。そしてその人達に負けないようにクラシック音楽について様々なことを知りたいと自然思うようになった。人と競争するようなことでもないのだが。
ちょうどそのころ

1.世界大音楽全集(河出書房)
なるものがでた。レコードを含む本で、だから大判である。いろんな意味で自分の興味を満足させてくれるとともに、大変勉強になった。

これから書いていこうとすることはこれまでのレコード・CD・音楽に関する本、などの蒐集についてであり、結構多量なものである。いまこれを書くのは、このうちで残しておきたいもの、余計な買い物だったか、など自分のためのメモ書きになる。断捨離といえばいいか。そのためのものです。記憶で書いていくこともあり、後で追加、訂正もあるでしょう。自分でこれまでの蒐集を整理してみたいということから書き始めてみることにする。(何やら兼好法師に似た書きぶりか。)

1.が出たころは、ちょうど昨年生誕250周年を迎えたベートーヴェンの生誕200年の年の前後で、

2.ベートーヴェンの作品全集(レコード78枚)(グラモフォン)

が出た。この2についてはまたベートーヴェンのみを扱った章で詳しく書きたい。

当時、西洋音楽を紹介する本も、どのような曲があるのかを知りたいと思い次の本を購入した。

3.名曲をたずねて(上)(下) 神保◉一郎著(◉は景に王偏が付く)(角川文庫)

4.名曲決定版(上)(下) あらえびす著(中公文庫)

河出書房は、1.を出す以前「世界音楽全集」を発行していた。17cm(?)のレコード2枚が付いた解説本で、もし1回配本が出る前に知っていたら全巻購入していたかもしれなかったが、数巻買っただけで、「世界大音楽全集」が出たこともあり、全巻は求めなかった。今もその数巻を所持している。いずれ処分? ウェーバーやロッシーニなど「大」に入っていない作曲家も入っている。さて、この1.だが最初24巻、のちにさらに6巻出て、全30巻の膨大なものである。ヴィヴァルディからショスタコ―ヴィチまで40数人の作品、および伝記がその構成の中心である。LPレコード2枚が付き、こんな低価格でいいのかと思っていた。そういう点、実に有難かった。いや、それよりもそこに収められていた名演奏に感謝すべきだろう。バルシャイのモーツァルト、ミュンシュなどのドイツ系の名曲群の演奏。それにこれまで何回か触れた(当時)ソ連のピアニストであるルドルフ・ケーレルによるベートーベン「皇帝」、ラフマニノフの「第2番」の協奏曲。何度言っても言い足りないくらい素晴らしい演奏だ。よくお仕着せのこういうタイプのものでは自分の望む演奏家のものが選べないなどといって良しとしない人もいるが、この全集についてもそのようなことを言う人がいるだろうか。伝記や曲の解説などもとても勉強になり、また音楽史的な解説も時たま付いていて勉強になることが多かった。ただ、ごく一部、この記述、このエッセイはない方がいい、読みたくないのもあった。出版社は採算取れたのだろうか? などと思った。私にはクラシック音楽にちょうど興味を持つ頃であり、大変ありがたい出版であった。ネットを見ると、これを出している人があるようだが、私は、記入などもあり、出せるものではないが、ずっとそばに置いておきたいものだ。

3.の著者は(1897-1976)とネットで探すと生没年がでている。(上)(下)とも初版昭和50年、再版昭和51年発行のもの。「序に代えて」には「日本の国ほど音楽に恵まれている国はない。……ベートーヴェンが禁止されたり、その国のイデオロギーをPRする曲が優先されるといったことがない。まったく自由に音楽がある。また、東洋の片隅にある遠いこの国に、世界の一流演奏者や演奏団体が、たえずやって来て名演をきかせてくれる。まったくありがたいことだ。……」とある。(昭和50年の記述)さらに読むとどうもこの本はずっと以前、戦争(大東亜戦争)前に出されたもののようだ。「戦争の最中、私のところに中国の第一線にある将校から「名曲を尋ねて(注文庫での再版に際し「たずねて」に変更)」を送ってくれという手紙が来たことがある。」の記述がある。文庫でだすにあたり、新たに記述を加えたとある。「音楽のすがた」「楽曲の形式」などの項の後に、グレゴリアン・チャント、パレストリーナから作曲家の紹介、代表曲の説明と続く。ショスタコーヴィッチの交響曲第15番なども解説されていて、これは文庫版で追加されたのだろう。私はこのような曲紹介を見ると、集めたい、聴いてみたいとチェックを入れる。98%くらいはチェックが入っただろうか。

4.著者あらえびすは、このブログを読んでくださっている方はご存知だろうか。野村長一(おさかず)(1882-1963)である。まだ? の人も多いだろう。「銭形平次捕物控」の著者である。私も最初知ったときには驚きました。しかしもっと驚いたのは、この本の内容。演奏家を挙げ、その録音物を述べているのである。(上)では、ヴァイオリン、ピアノ、チェロ、室内楽を扱い、(下)では歌、管弦楽、器楽等を扱っている。上巻の巻頭言、この書の成るまで、には「音楽を愛するが故に、私はレコードを集めた。それは、見栄でも道楽でも、思惑でも競争でもなかった。未知の音楽を一つ一つ聴くことが、私に取っては、新しい世界の一つ一つの発見であった。」と書き始められている。「その頃、日本においては、ワーグナーもベートーヴェンも聴く方法はなかった。劇詩としての『白鳥の騎士(ロ―ヘングリン、のルビ付き)』を読み、文献によって『第九シンフォニー』の壮麗さは知っても、それを音楽として聴くことの出来なかった時代に、我らは少青年時代を送ったのである。」と続けられている。今は、何たる恵まれた時代とつくづく思わざるを得ない。
「クライスラーには、特別の甘さがあり、比類のない情味がある。」
「ティボーの演奏において感ずるものは、美しさと弱さである。気高さと頼りなさである。」
「メニューインを一度聴いた人たちは、その重厚な気品と、高邁な気魄に敬服せざるはない。」 
「クーレンカンプには、猶太(ユダヤ)系提琴家たちの持つ旋律の甘美さはない。」などの言葉が続く。この時代にここまで聴いていたのかと思ってしまう。演奏家の代表的名盤もずらりと挙げられている。まったくの驚きである。弦楽四重奏団にも、カペエ、レナー、ロート、クレトリー、ロンドン、ブッシュ、プロ・アルト、フロンザリー、ローゼ、ブダペスト、デマン、等々と続く。私の名前さえ知らない団体もたくさん出てくる。歌手についても同様である。驚かざるを得ない。

ということで、このような雑文を重ねていきたいと思う。