西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

エドワード・エルガー

2007-06-02 11:31:05 | 20世紀音楽
今日は、イギリスの作曲家エドワード・エルガーの生誕日です(1857年)。
最近、エルガーはいろいろな意味で注目を浴びるようになりました。そのエルガーの名を最も知らしめているのは、何と言っても「威風堂々」でしょう。(「愛の挨拶」もあると言われそうですが。)この「威風堂々」(op.39)は全部で1番から5番まで5曲あります。普通我々が聴いているのは、そのうちの「第1番ニ長調」のものです。
この「第1番」は、1901年に書かれ、翌年のエドワード7世の戴冠式に用いられました。そして曲中のトリオの旋律は、「戴冠式頌歌」(op.44)の第5曲「希望と栄光の国」として用いられました。この旋律は、本当に優れたものと思います。イギリスの第2の国歌と言われています。私は、産業革命を世界に先駆け行い、経済学を終始リードしていたイギリス、またその言語・英語は、使用者の意志とは関係なく、その歴史において、他の欧州語によくあるような、名詞の我々にはあまり意味の無いと思われるような「性(gender)」を放擲するなど、世界語足りうる形を整え、実際に現在の世界において、国際語の第1位に置かれるなど、目覚しい役割を担ってきたイギリスの、その理想の姿をこの曲想の中に見出したく思うことがあります。しかし第2次大戦以降の英国の凋落振りはひどいとしか言いようがありません。私が言うのは、精神的な意味でのことです。過去の栄光にしがみつき、他国への理解度の低さにそれはあると思います。
話がそれました。エドワード7世は、1901年にビクトリア女王が亡くなった後、60歳で即位しました。幼児期に虐待を受けたため、後に母親ビクトリア女王からは「愚かな息子」と言われる程の問題児になったとのことです。その人物も交友関係の広さを利用して、様々な外交の舞台に顔を出し、ピースメーカー(調停者、の意)と言われる活躍をした。また欧州の各地の王室と姻戚関係を結ぶなどしたため「ヨーロッパの伯父(the uncle of Europe)」 というニックネームも与えられた。治世は、死去により10年ほどで終わり、1910年には、ジョージ5世の時代となった。
「威風堂々」の英語名は、Pomp and circumstanceと言います。circumstanceと言うと、「(周囲の)状況」という意味でしか知らなかった私は、この題名に不思議な感じを持ちました。辞書を見ると、後の方に「儀式ばること(ceremony)]の意味があるのですね。またpompですが、pumpは知っていても、この語は知らず、調べると「華やかさ(maginificence)」と出てました。私は、エルガーの「威風堂々」のタイトルを見ると、自分の英語力の無さをいつも感じてしまうのです。