怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

中山裕次郎「医者の本音」

2019-06-14 20:37:17 | 
著者の中山さんは日経ビジネスオンラインにも連載をしていて、毎回読んでいます。
鹿児島大学医学部を卒業してから、医局に属することなく医師としての研鑽に励み、多くの手術件数をこなし、必要な各種認定医の資格も取って、今は福島県の総合病院の外科医長を務めています。確か最近まで休職なのか研修かはともかく1年間京都大学の公衆衛生課程を学んでいたとか。
そういうちょっと変わった履歴だからからか、医局の徒弟制度の制約とかにとらわれることなく本音が書いてあります。
通算5年間市立病院の事務方を務めた経験から言っても、結構納得できるも多いし、こんな風に考えていたのかとかうかがい知れなかった実際が覗き見出来たと思うこともあって、興味深く読み進めることができました。

経験上、病院の本音ではなぜこんなに待たされるのかと言われると外来時間の制約の中で物理的に膨大な患者をこなすためには、待たさずにはできないし、患者本人はたとえ後の人がどんだけ待たされようが自分の診察は丁寧に時間をかけて診てほしいと思っているんだよね。予約制度を整え機械化できるところは機械化すればある程度は解消できても、それなりに投資が必要なのですべての病院ができるわけでもない。とりあえず何でもすぐに大病院という信仰は捨てることです。
ところで中山さんは外科ですが、一度も医局に属したことがない。自分の人事権は自分で持っていたかったし、順番待ちの序列の中で技術を身につけるのではなくて飛び級したかったからとか。でもこれは外科という徒弟制度がきついところでは結構苦難の道。
もちろん医局に属せず、苦労して技術を磨き、天野篤先生のように名を成す人はいるのですが、その努力は凄まじいものだったはずです。
医局に属していると一定の研修プログラムの中で技術と経験を積むことができ、偏りなく臨床経験ができ、仲間と助け合いながら研鑽を積むことができる。そのためには教授を頂点とした医局に属して、教授が黒と言ったら黒と言わなければいけない。
まあ、同調圧力の強い日本では往々にして白い巨塔のような形になるのでしょうか。もっとも先日見たテレビドラマは今ではありえないと思うほどそこらあたりを強調していたのでちょっと辟易としましたが。今では研修医も応募制ですし、面倒見てもらいたくなければ医局に人事に従わない人はたくさんいます。
でも田舎病院の事務方にとってみると、医局の存在はありがたいというか一縷の望みで、誰も行きたがらないような病院にも医局人事で医師を送ってもらわなければ医師を確保できません。医局は自分の権力機構を守るためだけに人事を行っているのではなく、地域医療を守るためにもローテーションで期限を区切って無理やりにでも医師を派遣しています。そもそも患者もあまり多くなく経営的にも厳しい中で高価な医療機器を整備できず給料もそんなに出せない、けど地域にとって必要な病院を医師が確保できないということで潰していいのでしょうか。中山先生には医療政策の中で医局が果たしている役割にも言及してほしかったと思います。
因みに「科」で分かる医者の性格は経験上も妙に納得。興味のある方は是非ご一読を。
巷でよく言われる名医についても書いてありますが、いわゆる「名医本」はほとんど信頼できないとか。掲載料を取って載せているところもありますし、医師の評判と言ってもそれこそ医局の力が大きいかも。良い医者の条件はコミュニケーション能力が高いことが必須。特にAIが診断分野に力を発揮してくるこれからの医療ではコミュニケーション能力の低い医者は能力が低いとなります。
その観点からすると、医者が掛かりたくない医者の4条件を上げていますが、
1 話を聞かない医者、話を遮る医者
2 白衣がヨレヨレな医者
3 看護師や若手医師に異常に高圧的な医者
4 「分からない」と言えない医者
う~ん、今まで私のいた病院でもかなりいたような‥‥
ちょっと下世話な話ですが、お金と恋愛についても書いてあります。まあ、そんなもんかなという感じなのですが、よく聞く製薬会社との関係についてはネット時代で最新の情報が瞬時に調べられるようになってМRの仕事は無くなりはしなくても減っていくのは確実。これも私がもう20年以上前ですが病院にいたころには確実に癒着していて部長室の前には出待ちのМRがいつもたむろしていたのは日常の風景で、部長室の冷蔵庫にはいつも缶ビールが冷えていてそこには薬のシールが張ってあったとか、宴会では裏方をМRが全部やって、2次会会場まで案内してくれたのは覚えています。今はだいぶ見直されたみたいですが、どうだか。МRの機能としては確実に減っているんでしょうね。
最終章のタブーとしての「死」と「老い」については、父をみとった経験からもいろい考えさせられます。これが正解ということはないのでしょうが、医者は神様ではないので生死の決定権を全て任せられても困ってしまうだろうし、患者、家族とのコミュニケーション能力が問われます。
人間の致死率は100%ですし、どういう形で最期を迎えるかなどというのは触れたくないのですが、心構えをしておかなくてはいけないことなのでしょう。私自身は一人称の死についてはなるようになるしかないので,できるだけ苦しまないようにしたいというぐらいですが、二人称の死についての心の落ち着かせ方は難しいかもしれません。因みに医者の患者に対する立場としては2.5人称と中山さんは書いていますが、二人称だと入り込みすぎて身がもたないでしょうし、客観的な医療ができなくなってしまうでしょうし、三人称では患者家族から冷たいと言われそう。立ち位置は難しくて悩みそう。
この本が出版されてから、評判も良く版を重ね、続編も今執筆中とか。
読みやすいので、ご一読お勧めします。

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