怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「なごやの鎌倉街道をさがす」池田誠一

2020-01-14 13:55:05 | 
律令制成立以来、奈良京都と東国を結ぶ東海道は、律令制確立とともに各国の国府を結んだ街道、鎌倉時代になると鎌倉と京を結んだ京・鎌倉往還、江戸時代になっての東海道、そして明治になっての国道としての東海道、現在の東名高速道路と時代を経て5つあり、その時々の地形の状況によって微妙に変遷している。
いずれの道も名古屋市内を縦断しているのですが、この本では鎌倉街道がどこを通っていたのかを推理しています。
著者の池田さんは郷土史の権威で、私は何回か講演を聞いたことがあります。確か元名古屋市職員。
宮の渡しでショートカットしなければ名古屋市内の東海道は西は庄内川向こうの「萱津」から豊明の「沓掛」までをどうたどるか。
時代とともに海が退いていき堤防を築き干拓が進んでいくので道は徐々に南へ西へと動いていきます。
この本のいいところは地図が豊富で、著者自身が実際の地下鉄駅なりバス停なりから歩いて写真もいれて風景を描写しながら推定しているところです。

今回は図書館で借りているので長くは持ち歩けないのですが、私もこの本を頼りに古の鎌倉街道を想像しながら歩きたくなりました。欲を言えばもう少し地図を大きくしてカラー版にするなりして実際の歩いたルートを分かりやすくしていただけたらと思います。そうすると本の価格をそれなりに高くしないといけないか。
多くの人が行きかうにはアップダウンの多い山の中を歩くのではなくて丘なり山の縁を歩いて行くのが自然。その時に障害になるのが入り江とか川。萱津から東への「中村」「露橋」を経てほぼ「古渡」までは庄内川を渡れば比較的確定できそうです。
そこから東に行くのには、いわゆる象の鼻の熱田台地から御器所台地(この本では瑞穂台地)へどこを渡っていくのか。
今の新堀川は、その昔、精進川と言う川だったのですが、今でもそうですが鶴舞公園のあたりまでは潮の干満の影響を受けます。鎌倉時代では川というよりは入り江で渡ることができる地点も限られていたのでしょうが徐々に陸地化が進んでいき時代とともに南になる。江戸時代の東海道は熱田神宮から東に行くのだが、桶狭間の戦いの時の織田信長は熱田神宮から満潮で川を渡れずに少し北へ行ってから川を渡っている。
精進川を渡ると台地のヘリを行くので、何と滝子通2丁目から南下する。この道は実は私の実家の横の道。地名を見るだけで親近感がわいています。あの道が往時は鎌倉街道だったとは。
77ページに掲載されている写真はよく知っている場所です。

そう言えば東に坂を上った台地の上には八剣社とか高田城とか富士八幡社が並んでいる。感覚的には昔の郡道が古い街道のような気がしていたのですが、台地の上は坂も多くて道を整備するのが大変で、多くの人が往来するにも苦労するのでしょう。台地の上には拠点の建物を置いて街道を監視していたということでしょうか。
ここから大喜、牛巻を経て「井戸田」へ。この井戸田の地は平安時代は流刑地だったみたいで、はるか昔から古文書にも名前が出ている由緒正しい土地みたいです。
井戸田から東に行くには、天白川をどこで渡るかということになる。天白川も昔はかなり入り江となっていて、ここも時代とともに上流から下流に変わってきている。上流から中根を渡る道「上ノ道」、笠寺台地を通る呼続から天白川に行く「中ノ道」、笠寺から三王山へ行く「下ノ道」と、いずれも成美を目指している。最も古鳴海という地名が残っているように宿場としての鳴海も場所を移動しているみたいで、街道の移動とともに海岸寄りに変わってきているみたいです。
因みに伊勢湾台風の浸水地域を見てみると江戸時代以前の地形がどうだったかの大体の想像がつきます。その昔、熱田神宮の方に聞いた話では名鉄の駅前は水没して熱田神宮が岬の先端として浮かんでいたとか。私の実家も浸水したのですが、それは台地の上から流れてくる水のためで、堀田通のように翌日以降も浸かっていたわけではありません。まさに鎌倉街道が通っていた台地のヘリだったのかと今にして思う次第。
鳴海からは二村、沓掛へと道は続くのですが、いずれも古くから知られている地名。古文書にも名前が出てきますし、地名を読み込んだ和歌もあります。伝統と歴史ある地名は大事にしなくては。
これらの地名に何らかの興味というか親近感がある人は、詳しくはぜひ自分で読んでください。新たな発見があるかと思います。
こうやって書いているだけで敬老パスを持つ身としては実際に市内を歩きたくなってきます。今はちょっと寒いのでもう少し暖かくなったら、大きな名古屋市地図にコースを打ち込んで鎌倉街道の名残を彷徨いつつ確認したいものです。ここでもうひとつ要望を出すと付録で持ち運びできて、この本に書いてあるような情報を打ち込んである地図をつけてもらえるとありがたいものです。
この本の姉妹編で同じ著者の「なごやの古道・街道を歩く」もあるのでこれも併せて読んでから歩いた方がいいのかも。


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