怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

呉座勇一「頼朝と義時」

2022-12-24 14:24:28 | 
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はいつも見ていて、さすが三谷幸喜の脚本は面白いと感心していました。
実は呉座さんは最初この「鎌倉殿の13人」の時代考証に任じられていたのですが、途中で本人曰く「愚行」による炎上騒ぎがあって(今となっては何があったかほとんどの人は覚えていないと思いますけど、炎上騒ぎとは消費されるとすぐに燃え尽き消えてしまうものです)降板しています。
それでも時代考証を依頼されたときに並行してこの本の執筆を依頼されたとか。本の方は無事出版されタイムリー内容で版を重ねているみたいです。

ところで戦国時代と違ってなじみが薄くて鎌倉時代の歴史的事実関係は教科書で習っていてもうろ覚えで、あの大河ドラマは史実と比べてかなり脚色してあるのではと思っていたのですが、それなりに事実の抑えが出来ているみたいです。
もともと鎌倉時代の歴史は北条氏による公式歴史書「吾妻鏡」によるところが大なのですが、公式歴史書と言えども結構人間味があふれた記述が多く頼朝の喜怒哀楽が描かれているとか。しかしそこは勝者の歴史。北条氏の政権が盤石となってからの後年に編纂されたこともあり、北条氏にとって都合の悪い記述は避けられているし、都合のいいように話を盛ったり、脚色されているのは避けられない。
同時代の公家たちの日記などの記述と照らし合わせて事実はどうなのかを調べていくのが歴史研究者の仕事です。
この本はそんな歴史研究者の視点で「鎌倉殿の13人」の時代を述べたものですが、読んでみると鎌倉時代初期というのは、まさに仁義なき戦いの世界。力がすべてで陰謀・裏切りは当たり前。さしずめ北条時政などは金子信夫演じる山守組長みたいです。
ドラマは最終回を終えたのですが、この本に従って史実はどうだったか見てみると(もちろん呉座さんの見解であって、学説にはいろいろな意見があり定まっていないこともあります)
まずは鳥の羽音に驚いて平家軍が敗走したと言う富士川の合戦。どうも平家軍の先鋒が負けて寄せ集めの平家追討軍は食糧不足もあって離脱者が続出。富士川で対峙した時には兵力の差も歴然で戦わずして敗走したみたいで鳥の羽音に驚いたわけではない。この時の源氏軍の主力は甲斐源氏で頼朝は後詰にいただけみたい。
今だにヒーローの源義経ですが、鵯越の逆落としは地理に熟知していた多田行綱が行い背後から福原を衝き、義経はその攻撃の混乱に乗じ一の谷を攻略して攻め入ったのが実情。
壇ノ浦の合戦での勝因は潮流説から非戦闘員の殺害とか言われているけど、熊野水軍や河野水軍を味方にして船の数でも平家より多く、範頼が九州に渡海して陸路も制圧してたので食料武器の補給もままならぬ状況だったことによる。でもこれではヒーロー義経の物語にはならないね。
ところで頼朝の死因については馬から落知て亡くなったとされているが、「吾妻鏡」の当該年の記述が欠けているので暗殺されたとかいろいろ言われている。でも猪隈関白記には頼朝が糖尿病だったと言う記述もあり、落馬事故の負傷が原因ではなくて、病死であり落馬も病気の影響ではないかとしている。ドラマでもそのような感じでしたな~
比企氏の変、畠山重忠の乱、牧氏事件、和田合戦と何でもありの血で血を洗う騒乱が続くのですが、まさに取るか取られるかの争いで、物語ではなく事実として本当にかくもすさまじいもんかとある意味あきれてしまいます。
実朝暗殺では誰が黒幕化といろいろ言われていますが、最も動機があって怪しいのが三浦義村。しかし義村は幕府の現体制を擁護する立場を貫いていて、一貫して政子、義時と強調している。公暁の単独犯で、実朝・義時殺害後に義村に声をかければ協力してくれるはずという希望的観測のもとに及んだと言うのが実際なのか。真相が分からないだけにいろいろな推理が飛び交います。
義時の死については直後の伊賀氏事件もあって後妻の伊賀の方に毒を盛られたことにドラマではなっているけど、62歳という年齢で前々から脚気を患っていたと言うこともあり、基礎疾患のある高齢者が急な病気で倒れて2日で亡くなるということは取り立てて疑うこともないと言うのが呉座さんの見解。
大河ドラマを見終わって読むとここらあたりが三谷幸喜の話の盛かたかと分かって話の展開をおさらいできます。
それにしても政子は確かに尼将軍として権勢を奮ったのでしょうけど、牧の方とか伊賀の方、阿波の局とかが本当のところどの程度夫を操り政治に影響力を持っていたのか、当時の夫婦関係ではあまり成り立たないような気がするのですが、ドラマではキャラが立って影響力が大きく描かれていましたが、ちょっと違和感でした。
原作でも何でもないのですが、それまで鎌倉時代初期の知識がほとんどなかったので時代背景を知るためには新書本300ページでちょうどいい本でした。

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