怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

和田秀樹「自分が高齢になること」「一喜一憂しない生き方」「不老脳」

2024-07-27 17:03:32 | 
最近猛烈な勢いで本を出していてそれが全部ベストセラーの和田秀樹さん。
図書館で検索をかけても貸し出し中の本が多い。
読んでみると高齢者の仲間入りした身としては、なるほどと思うところが多く、これから残りの人生をどう過ごしていくか参考になる。
団塊の世代が70歳を超えてきて、その琴線にバンバン響いて、まさに時代の需要に応えているので売れるのもムベなるかな。

と言うことで3冊を連続して読んでみました。
でもまとめて読むと同じようなことを手を変え品を変えて書いているような気がしないでもない。ここに揚げた本でも3冊まとめて1冊の本でいいかなと思うぐらい。さすがにそうでもしないとこの勢いでは本を出せないでしょう。
和田さんとしては本が売れれば自分の夢でもある映画の資金になり監督をできるので言うことなし。そろそろ読者も飽きてくるのではと思うのですが悩み多き団塊の世代は定期的に応援歌が出てくると嬉々として買ってしまい、また空気を入れているのです。
取り合えずこれらの本で言っていることをアトランダムン書いてみます。
先ずは今や人生80年代を超えようとしているですが、生物学的に見れば人間の寿命は40歳ぐらいのはずということ。確かに江戸時代の平均寿命は50歳を超えていなかったでしょうし、同様の指摘は「ゾウの時間、ネズミの時間」でも、池田清彦さんの著書でも書いてあったと思います。人間が環境を替え、飢えから解放され、感染症を克服する中で今の平均寿命80代を獲得していったのです。
その意味では40歳を過ぎたらおまけの人生。人生80年が当たり前の現代ではピークは退職後になってしまう…上ばかり見て昇進に血道をあげていても退職後には誰も訪ねて来てくれないかも。一喜一憂せずに高齢になることを楽しんで人生を送りましょう。
仕事一途で結果を出さなくてはとか高いレベルに達しなくてはと思って、性急に結果や成果を求めても、部下から尊敬もされないし信頼もされない上司になるのは往々にしてある。気短な人生観ではなく気長な人生観を持つことが大切。気長に生きるようになると対人関係も変わり、お互いに気持ちよく仕事ができいい人間関係が生まれる。人生のピークが定年前だと焦りが生まれてくるので、ピークを後ろに持って行くことで、好きな世界を気長に楽しもうと言う気持ちの余裕が生まれる。
高齢者の晩年を数多く見てきた和田さんが思うのは「しあわせな高齢者はたくさんのいい思い出に満たされている」と言うこととか。そのためには一喜一憂することなく「いま」を楽しむ気持ちのゆとりを持ち、もっと気長に生きることだと言います。
一喜一憂せずに気長に生きるための簡単な方法として「催促しない」を実行しなさい。催促しなくても物事は何事もなく進んでいくし、幸福感も失わないで済む。
でもここに書いてある処方箋、我が身を振り返ってみるとなかなか出来ることではない。今でも自責の念があるのだが私の部下に与えたミッションが想定していた時期を過ぎてもなかなか報告がない。自分なりに我慢していたつもりなのだが締め切りも迫ってきてどうなっているのかと聞いたら悲壮な顔で出来ていないと言われたことがある。結局部下はミッションをこなせずに長期の病気休暇になってしまった。
部下の能力を超えた難しい課題だったのだろうが、もっと早くに催促して工程管理をしていれば課題に一緒に取り組むなりして部下が休むことを防ぐことが出来たのでは思っていた。仕事には予算決算の様に締め切りは避けられず進捗管理は必要、気長に催促せずに済むことばかりではない。だから退職後に誰も訪ねてくれないのだと言われても如何ともしがたいのですが、余裕なくピリピリと結果を求めてきた当時の部下たちにはどうもすいませんと言うしかない。異動後に誘われたこともないので彼らにとっては顔も見たくないのでしょう。
まあ、晩年が幸せならその人は幸せな人生と言われると今まではともかくこれからはボケてもいいから幸せな人生で終わりたいと願うしかないか。
因みに85歳になると半数はボケの症状が出てくるとか。老いれば当然脳だって老います。どんなに頑張ってもボケは避けられません。それならば現実を素直に受け入れ「ボケてもいい、幸せな人生で終わりたい」という気持ちになれば自分が高齢になることへの大きな不安が消えていくはず。
たとえ認知症になっても中期ぐらいまでは、備わった能力や長年磨き続けてきた能力はほとんど衰えることなく保たれる。それには頭を使い続けることが前提になるので、そのためには人と会うことが一番。老いるとどうしても人と会うのが億劫になってしまい引き籠りがちになるので分かっていても難しいのですけど。
認知症になると今まで出来ていても出来なくなることが増えてくるのですが、出来なくなったことは仕方ないと割り切って人に頼り、出来ることをやって1日1日を楽しむことです。人と話したり機嫌よく暮らすことで認知症はゆっくりとしか進まない。
気をつけなくてはいけないのは高齢者の「うつ病」、認知症は治らないけどうつ病は治るのですが、その症状はそれまでの人生を不幸一色塗りつぶてしまうので、認知症よりも不幸です。初期症状は似ているのですが、鬱はきちんと治療すれば治るので認知症と決めつけて放置していてはいけない。
高齢になればいろいろな義務からは解放されるし、自分にとって楽しいこと好きなことだけをして生きて行けば、認知症になっても残存能力を使い続けることによって症状の進行を遅らせることが出来のです。と言われても本にも書いてあるように「私の楽しいことって何だろう」と考えこんでしまう人も多いのでは。私も今のところテニスぐらいは趣味と言えるかもしれませんが、これもあちこちが痛いという現状ではあと何年やれるやら。となると何が楽しいのか考えてしまいます…
まあ、ボケることで今までの嫌なこと恥しいこと、傷ついたことをすべて忘れて、愛されるボケになりたいものです。








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