カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

創造は恵みである ー 創造論3(学び合いの会)

2022-05-27 09:40:20 | 神学


Ⅲ 旧約聖書

2 預言書

 預言とは神から啓示を受け、それを告知することを意味する。日本語では神の言葉を預かるという意味だと説明されることが多い。予言ではない。だが預言者は神の言葉を告知するだけではなく、来るべき時代についても語った。

 預言者の資格・条件ははっきりしないが、神の霊そのものには求めず、神の言葉を「持っている」という事実・言明に求められたようだ(1)。
 預言者はサムエルの時代に登場するが、活動が活発化するのは王国の分裂以後である(2)。北王国にエリア、エリシャ、ミカヤが現れ、南王国にはイザヤ、ミカが現れ、以後続々と続く。イザヤ・エレミヤ・エゼキエルは三大預言者と呼ばれる。預言者の託宣や活動は多岐にわたるが、総じて祭儀を批判する点で共通する。自分たちのヤーウエ信仰を守るためであったのであろう。

 第2イザヤ 40:27~31,44:24~28 は、アケメネス朝ペルシャを建国し、メソポタミアを統一したキュロス2世による「バビロン捕囚」からの解放・救済の出来事を語っている。創造と救済が重なっていると言われる(3)。

3 知恵文学

 知恵文学は、神との契約を論ずるのではなく、人間そのものを語る。人生論のような箴言や詩篇、愛の歌を集めた雅歌、人生の不条理を語るヨブ記などだ。続編の知恵の書とシラ書(集会の書)も含まれる。
 知恵とはヘブライ語で「ホクマー」と言うらしく、神への信仰と従順が知恵の中心で、神が与える賜物であるとされる。また知恵は天地創造の要因とされ、女性的存在に擬人化されているという(箴言8章)(4)。

 箴言 8:22~ 「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先だって・・・」   創造の業に知恵が立ち会う場面とされる

 ヨブ記 38~41章 「主の声とヨブの答え」 ここでは、神は、「お前は何も知らないのに、わたしに答えてみよ」と言う。ヨブ記は義人の苦しみが中心テーマで、知恵文学とされるが、「対話」形式をとった教訓書で、一種の叙事詩ともいえる。

4 旧約聖書の創造信仰の要点

① 神話的性格は希薄である
② 神の絶対性
③ 無からの創造
④ 歴史に関わる神
⑤ 言葉による創造
⑥ 創造は恵みである

 創造信仰の特徴はこのように整理された。さらに言えば、創造信仰の中心は、③無からの創造論、⑤言葉による創造論 の二つに集約されるだろうが、実はともに神の恵みであるという視点が最も重要なのだという(5)。


 協会共同訳聖書

 


1 使徒の登場をもって預言者は登場しなくなる。預言者は「カリスマ」(賜物)を持つ者だが、偽予言者が後を絶たない。教会は、最後の使徒の死をもって預言者の登場は終わったとしている。以後の預言はすべて「私的預言」であり、「公的預言」ではないとされる(出現した聖母の預言など)。ムハンマドはイスラム教では最後の預言者と呼ばれ、イエスは預言者の一人として扱われているようだ。
 なお、カリスマ概念は、神からの賜物としての宗教的資源として用いるのではなく、一つの人格的威力として社会科学の用語としても用いられる。たとえば、『カリスマ』(C・リンドホルム 1990)など。ただ、社会学から見れば、リンドホルムのM・ヴェーバーの評価は少し辛すぎる。
2 ソロモンの統一王国は紀元前928年に分裂する。北イスラエル王国は10部族、南王国は2部族から成るユダ王国と呼ばれた。前722年に北イスラエル王国が、前587年に南王国が滅亡し、捕囚時代に入る。
3 ちなみに、50年にわたるイザヤの予言活動はすべてイザヤ書の最初の39章に納められているので、1~39章は「第一イザヤ」と呼ばれる。紀元前539年のバビロン捕囚の終焉前後の前6世紀の出来事を語る40~55章は「第二イザヤ」と呼ばれ、捕囚を解放したペルシャ王キュロス2世の台頭が背景となっている。56~66章はは「第三イザヤ」と呼ばれ、紀元前520年に始まり、前515年に完成したエルサレムの神殿の再建を前提としている。
4 ギリシャ語では知恵は ソフィア sophia だ。新約聖書では知恵は歴史的にはイエスそのものであったから知恵を「ことば(ロゴス)」に置き換えて、神の受肉について語る。ちなみに、上智大学の上智はソフィア(知恵)という意味である(Sophia University)。上智大学が1956年まで男子校(女子は入れない)だったことをカト研の皆さんは覚えておられることだろう。現在はざっと7割が女子学生だという。上智のキャンパスには、クルトルハイムを除いて、昔日の面影はない。
5 創造信仰という言葉は聞き慣れないだろうが、聖書学ではよく使われる言葉のようだ。こういう形での創造信仰の要点の要約に関して、S氏の説明は簡単だったが、④と⑥についてはコメントされていた。
 ④の歴史に関わる神とは、神は人間の歴史に介入するということだと説明された。イエスの誕生のことを言っておられたのであろう。神は、遠くから世界をじっと見つめているのではなく、人間の歴史に直接介入してくるという視点はすぐれてキリスト教的な考え方であろう。
 また、⑥の創造は恵みという点に関しては、これは「グリーン主義の否定のことだ」と説明された。グリーン主義とはなにかははっきりは説明されなかったが、それを社会的公正と持続可能社会の実現を目指す思想と考えるなら、それは資本主義批判であり、脱石油・脱炭素を目指す環境主義と近い思想となる。現教皇フランシスコは環境主義者だと支持者からも批判派からも目されていることを考えると、なにかすっきりしない説明であった。「創造は恵み」説はむしろ、創造か進化か、という創造論と進化論の無益な対立を止揚する視点と理解したいところだ。この点は次回の教義史のところで再度取り上げてみたい。

 

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