カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

人間は世界の管理者か ー 創造論4(学び合いの会)

2022-05-29 10:39:15 | 神学


Ⅳ 新約聖書

 新約聖書とはキリスト教が経典として認めている27文書(1)のこと。キリスト誕生以前に書かれた旧約聖書に対して、キリスト誕生後紀元50年から150年頃までに書かれた文書である。27文書が正典として認められたのはカルタゴ教会会議(397年)だという(2)。
 中身は旧約にならって、歴史・書簡・預言に分けられる(歴史書は4福音書と使徒言行録、書簡はパウロなど、預言は黙示録)。

 新約聖書には世界の創造を直接の対象として述べた箇所はない。なぜなら神による世界の創造はあまりにも明白な事実で、改めて述べる必要がなかったからだという。

① 神は言葉によって世界を創造した ヘブ 11:3、第2ペテロ3:5
② 神はすべての創造者  マタイ 19:4 マルコ 13:19 
③ 神が創造者であることは明白 ロマ 1:19 1コリ 8:6
④ イエスは神の名において創造界を悪から解放した ルカ 11:20

 イエスの「神の国の到来」メッセージは、神の創造の計画の達成を意味する。

Ⅴ 聖書における人間観

1 人間は神によって創られ、神によって生かされた存在である

 ①人間は被造物である 存在根拠を自らの内に持たない。人間は根本的に神に依存し、神に生かされた存在である。ギリシャ哲学では人間は自己完結した自然的小宇宙と見なすが、聖書の人間観は対照的である。
 ②人間は塵から創られたはかなく脆い存在
 ③人間は神の息,霊によって生かされている存在。聖書的人間論は肉体と霊魂の区別をしない(従来の教会の表明では「人間は肉体と霊魂の混合物」というものであった)。

2 人間は神の像、世界の管理者である

①神の像
 創1:26~27 「われわれのかたちに、われわれの姿に人を造ろう・・・神は人を自分のかたちに創造された」(協会共同訳) 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう・・・神はご自分にかたどって人を創造された」(新共同訳) これは人間と神の間の対応関係を意味する表現とされる

②神は人間に被造物の管理を委ねられた
 創 1:26 「すべてを支配させよう」 1:29「すべてあなたたちに与えよう」(新共同訳)
 創 2:15~17(善悪の知識の木の話) は被造物と守ると言う話、2:19~20 は被造物に名をつける話だ

 人が被造物を支配するとは何を意味するのか。古代社会における支配とは、支配者が部下から利益を得るのみならず、部下に利益を還元することを意味した。古代における王の支配は専制君主的なものではなく、政治的・社会的・自然秩序を保証するものであった(王職と呼ばれた)。
 現代の環境問題と聖書の教えとの関係について、一方において環境破壊をキリスト教のせいにする論調がある。すなわち、創世記における人間による被造物の支配という思想が人間の自然破壊行為につながっているという見解である。他方、この支配という言葉の意味は、神の代理者として「善良な管理者」の務めを果たすことであり、キリスト教は自然を神から預かったものとして大切にするという意味であるとの主張もある。歴代教皇は自然保護を訴えておられる(3)。

③人間の尊厳
 人間は神に似せて造られた、いわば神の像であり、他の被造物とは異なる尊厳を有する。人間の尊厳は創造主たる神に由来する。人命はこのうえなく尊い。自殺自死は神に対する侵害である。人権の尊さの根源は神にある(4)。

 
 ウクライナの子ども

 



1 正典以外の外典・僞典を含まない。なお、新約に僞典はない。外典は新共同訳聖書には「続編」として収められている。正典の条件はいくつかあるようだが、結局は使徒に由来するかどうかで識別されているようだ(カルタゴ教会会議)。正典ではなく、続編にも入っていないが、「ヤコブ原福音書」のようにイエスの幼少時を記したものや、「トマス福音書」のようにグノーシス主義ゆえに外されたが現在でも読まれる外典もあるようだ。荒井献編 『新約聖書外典』(講談社 1997) 『トマスによる福音書』(講談社 1994)など。
2 教会会議は公会議(全地公会議)ではない。司教区の司教が集まる会議のようだ。現在は教会会議には公会議と世界代表司教会議(シノドス)の二つがあるようだ。来年開催予定のシノドスのテーマは「ともに歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」であり、既に準備が始まっているようだ。アジア シノドスとかアマゾン地域 シノドスとかもあった。
3 S氏は、自然の管理は、神の代理者としてであり、所有者としてではないので、勝手に処分したり出来ないという意味だと説明された。神の代理者、自然の管理者という考え方はつぎの教義史でも論じられる。
4 この辺の議論は尊厳死、安楽死問題につながる。また、人権論も、人権の根拠を「神の似姿としての人間の尊厳」に求めるのが一般的だが、自然法思想・社会契約説をもふまえた幅広い人権論(人間の発展権など)が議論されているようだ。

 

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