カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

やっと2022年度の初ホタル

2022-05-19 08:32:02 | 

2022年度の初ホタルを先ほど確認した。5月18日(水)午後8時頃、10数匹飛んでいた。今日は一週間ぶりに晴れて、気温も高く、風もなく、月も出ていなかった。絶好のホタル日和ということになる。5月18日に初発見というのはこの20年近い定点観測の中では一番遅い日付になる。 場所は馬場橋から谷戸の空橋の間で、法勝寺橋から上流はまだ湧いていないようだった。来週末には町内会による川ざらえ(ゴミ掃除)があるというので心配だが、来週いっぱいは楽しめることだろう。スマホでフラッシュをたいて写真を撮る人が今年はいないことを望もう。
 近年、洗濯水や台所の汚水をそのまま川に流している家がまだあるのでホタルの絶滅が心配されていたが、まだなんとか生き延びているようだ。大量発生の復活を祈りたい。

 ホタルを初めて観測した日

2022年 5月18日
2021年 5月14日
2020年 5月13日
2019年 5月16日
2018年 5月15日
2017年 5月12日
2016年 5月12日
2015年 5月17日

 

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従順な婢女から弁護者へ ー 聖母マリア(了)(学びあいの会)

2022-05-01 08:41:08 | 神学


Ⅷ マリア信心(崇敬)とは何か

 崇拝(Latria)と崇敬(Dulia)の区別は定着して、最近はあまり誤用はみられないようだ。マリアは崇敬の対象とされる(1)。

1 概要

 マリア信心とは古くから形成されてきたマリアへの崇敬心のことをいう。マリアを敬い、取り次ぎを願うキリスト者の態度とそれを表す様々な行為や行事のことをいう。個人か集団を問わず、態度・行為・儀式をさす幅広い概念のようだ。具体的には、ロザリオの祈り、スカプラリオ(2)、不思議なメダイユ(3)、巡礼(4)、詩歌(5)、行列(6)、聖画像(7)などをいう。

2 歴史

2-1 古代

 マリア信心の芽生えは、ルカ1:42「女のなかで祝福された方」、1:48「幸いなる者」という呼称にみられる。マリアの取り次ぎを願う最古の祈りは3世紀頃の「あなたの保護に寄りすがる」(「スブ・トゥウム・プレシディウム」)だったという(8)。
 5世紀には聖母の祈りが毎日広く行われ、8世紀にかけてマリアの祝日が祝われる。4世紀のアレクサンドリアのアタナシオス(373年没)、カッパドキアのニュッサのグレゴリオス(394年没)、ミラノのアンブロジウス(397年没)などは、聖母マリアを神の国のために独身を選んだ乙女の理想像として描いたという。
 エフェゾ公会議(431年)のテオトコス宣言(神の母宣言)(9)により、マリア崇敬はさらに盛んになった。8世紀になるとマリアをたたえる説教や詩歌が生まれ、9世紀になると聖典・外典をもとにしたマリア伝が盛んに書かれた。

2-2 中世

 7世紀に、スペインのトレドのイルデフォンスス(667年没)がマリアに関する教父の教えをまとめ、中世のマリア信心に大きな影響を与えたという。
 12世紀に入ると、救済におけるマリアの役割よりも、マリアの取り次ぎの力、母の力を持って人々を助けるマリアの姿に関心が高まった。フランスのクレルボーのベルナドウス(1153年没)は「御子はその母の祈りを聞き入れる」とし、マリアをキリストと人間との「仲介者」とした。
 奇跡物語やマリア伝説が数多く生まれ、マリアの保護を受けるため、カルメル会のスカプラリオを身につける習慣が広まった。多くの聖堂がマリアに捧げられ、マリア巡礼が盛んになった。

2-3 近世(16-19世紀)

 宗教改革者たちはマリアを尊敬していたが、中世の加熱したマリア信心は強く非難した。
また、マリアを仲介者とすることを否定した。これに対してトリエント公会議は、マリアや聖人たちの取り次ぎを願うこと、その画像を尊重することの正しさを宣言するに止まった。
 ところが、カトリック教会はプロテスタントへの対抗心からマリア信心が弁護され、イエズス会の「マリア信心会」(コングレガツイオ・マリアーネ)、カルメル会の「マリアの生活」、ルイ・マリー・グリニオン・ドン・モンフォールの「聖母への真の信心」などが大きな影響を与えたという。当時の著作には、マリアが人を救い、罪を赦すという神学的には認められない主張がみられたという。 ムラトリは「キリスト者たちの正しい信心」のなかでその行き過ぎを指摘したところ激しい批判にさらされたという。しかしそれは第二バチカン公会議でのマリア信心論を多くの点で先取りするものであった。
 18世紀には5月が聖母月に、19世紀には10月がロザリオ月に制定された。また、マリアの名を冠した多くの修道会が設立された。

2-4 現代

 19世紀から20世紀にかけて、国際的反響を呼び起こしたマリアの出現が起こり、おびただしい巡礼者を引きつけた。20世紀前半には多くの全国的、国際的なマリア大会が開催された。「レジオ・マリエ」(10)、「けがれな無聖母の騎士修道会」(11)、「オプス・デイ」(12)などが創設された。

 マリア信心運動が盛んになった。このようなマリア信心運動を抑制したのは、1920年代から盛んになった、聖書運動(13)、典礼運動(14)、エキュメニズム運動(15)、神学の刷新(16)である。
 これらはマリア信心を否定するものではなく、均衡のとれた形で正しく位置づけることに貢献した。これらを受け第二バチカン公会議は「教会憲章」第8章で正しいマリア崇敬のあり方について宣言した。
 公会議のあと、一方では以前に比べてマリア信心の熱は冷めたが、他方ではこれに不満を抱き、マリア信心を旗印に活動する向きもみられた。パウルス6世、ヨハネ・パウロ2世がつぎつぎに文書を発表した。

3 神学的まとめ

①マリアは神の救いの計画に協力した方で、神の恵みの傑作、救い主の母、キリスト者の母であるから、マリアを崇敬し、その取り次ぎを求めることは正しい
②マリアは古代の女神崇拝の変形ではない。中世の教会では聖霊論が未発達で、本来人間の「弁護者」(パラクレイトス)である聖霊の役割がマリアに帰せられてしまったと言える。
③本来は「母なる教会」であるはずの教会が、厳しい裁判官のように振る舞ったため、人々は母性を聖母に求めた傾向がある。キリストという仲介者への仲介者であるマリアを通してでなければキリストに近づけないという考え方は正しくない
④現代に相応しいマリア崇敬は、マリアの特権の誇張ではなく、救いの歴史におけるマリアの役割を正しく認識し、マリアを女王としてではなく、神の従順なはしためとしての信仰心を模範とすることである(17)。このようなマリア崇敬は信仰生活に温かさと清らかさをもたらす

 以上がS氏のマリア論の報告の要約である。せっかくK・ラーナーの『マリア 主の母』を詳しく検討し、紹介しながら、最後にマリアを「神の従順な婢女」としていることがわたしにはよくわからなかった。マリア論が聖霊論として発展途上にあるだけに残念である(18)。
 最後にK・ラーナーの『マリア 主の母』の第10章、「マリアへの祈り」の最後の部分を引用してこのマリア論を終わりにしたい(19)。

「苦難を真に耐え、真に復活なさった方、御父の子であり、またこの大地の子でもある方、その方のもとで、私たちがあらゆる権力と暴力から真に解放されるあの方を私たちにお示しください。
この方なしには、荒れ狂う力は今なお絶えず、地上の人間はいまだにそれに従わざるをえません。
ですから、アヴェ・マリア、恵みあふれる方・・・どうぞ私たちにこのイエスを、昨日のように今日も、そしていつも絶えることなくお示し続けてください アーメン」



1 とはいえ、一般には崇拝と崇敬の区別は用法としては明確ではない。日本の天皇については、国家神道下では崇拝、象徴天皇制下では崇敬という言葉が使われることが多いようだが、象徴天皇に対して尊敬という言葉を使う論者もいるようだ。天皇は神道の祭祀者だが仏教徒でもあると見なすかという問題にも関わるようで、用法としては安定していない印象がある(たとえば、島薗進『戦後日本と国家神道: 天皇崇敬をめぐる宗教と政治』岩波、 2021)。

2 スカプラリオscapulae  もともと「肩」という意味だが、修道士(第一会)やシスター(第二会)、第三会会員(在俗修道会会員)が身につける衣装のこと。修道服の上から、前後に、肩からぶら下げるのが特徴。肩掛けみたいなもの。修道会によって色や形が異なるようだ。

 シトー会のスカプラリオ

 

3 メダイユはフランス語、メダイはポルトガル語。日本語ではポルトガル語のメダイが一般的。英語ではmiraculous medalは不思議のメダイをさすようだ。
4 巡礼 pilgrimage とは、受難や殉教の地など聖地に参詣する非日常的な宗教行為のこと。カトリックはローマ、エルサレム、サンティアゴ・デ・コンポステラが三大巡礼地とされる。日本でも巡礼指定教会を巡ると「免償」(罪の赦しではなく、赦された罪に伴う有限の罰の軽減とされる)が得られることになっている。
5 「聖マリアの連願」もあるが、やはり「諸聖人の連祷(連願)」のほうがよく使われる気がする。ちなみに、諸聖人の連願では、途中から「聖マリア、聖ミカエル・・・」とずらずらと続くが、聖ミカエルは日本の守護聖人である。聖ミカエルは職業では警官や軍人の守護聖人とされる。ウクライナの守護聖人も聖ミカエルのようだ。聖ミカエルを捧げたフランシスコ・ザビエル自身を日本の守護聖人とすることもある。守護聖人が複数いてもおかしくないので、聖マリアや26聖人を日本の守護聖人とする考え方もある。なお、ザビエルを守護聖人とする国は中国など数多いようだ。つまり一人の聖人が複数の国や都市や職業の守護聖人とされることもあるようだ。守護聖人とは国や職業を守って、主に取りなしてくれるというキリスト教の信心の一つだ。プロテスタントでは見られない信心だという。カトリックで言えば、堅信名(霊名)は個人の守護聖人と考えられている。
6 ミサの開祭の行列のことではなく、「聖体行列」のことであろう。「聖体顕示台」を掲げて大勢で歩いて祈る行事だ。長い歴史的経緯があるようだが、日本でも行われることがある。わたしはここしばらくは経験していない。
7 聖画像(聖画とか聖像とか区別しない)は聖書の出来事や天使・聖人を描いたもので崇敬の対象とされる。イコンを含めて使う言葉でもあるようだ。教会では普通「ご絵」とか「ご像」とか呼ぶ。マリア様を描いたカード風の御絵は洗礼式、堅信式、冠婚葬祭でよく使われるのでなじみ深い。
8 昔の「終業の祈り」、現在の「終わりの祈り」に残っているようだ。「恵みの源である神よ、感謝と賛美のうちにこの集いを終わります。私たちの働きの実りが、神の国に役立つものとなりますように・・・」
9 4世紀から5世紀に入るとキリスト教会ではアレクサンドリア総主教キュリロスとコンスタンティノス総主教ネストリオスの対立が激化した。ネストリオスは、イエスの「人性と神性」は自立した「ヒュポスタシス」(現実存在)と考え、マリアを「神の母」(テオトコス)ではなく「キリストの母」(クリストトコス)と呼んだ。公会議での長く激しい論争の末にニカイア信条が再確認され、ネストリオスは異端として排斥された。現在でもカトリックではマリアを「キリストの母」と呼ぶことはない。マリアは「神の母」と呼ばれる。
 他方、ネストリウス派は現在でもアッシリア東方教会(正教会)の中の一部に残っているようだ(アッシリアとは地理的には現在のイラク北部を指すが、意味は重ならない。ギリシャ正教のギリシャもギリシャ中心とか発生地という意味ではない。ギリシャ語中心)
 ちなみにウクライナのカトリックは、ローマ・カトリック以外に、ギリシャ・カトリック(ユニエイトとか東方典礼カトリックとか呼ばれる)が主流らしい。典礼はギリシャ正教会風で教義はローマ・カトリックだという(ローマ教皇権を認める)。
10 レジオ・マリエ Legio Mariae 直訳すれば「聖母の軍団」 1921年にダブリン(アイルランド)で結成された信心団体 日本の教会でレジオ・マリエを持たない教会は少ないのではないか 教会内では個別の独立した活動というよりは、各部局やグループに参加してそのなかで奉仕活動をしているケースが多いようだ
11 汚れ無き聖母の騎士修道会 1922年にマキシミリアノ・マリア・コルベ師(ポーランド 1941年没)により創設 師がアウシュビッツ強制収容所で身代わりになって死亡したことは広く知られている 日本にはコルベ神父自身により導入された 日本では汚れ無き聖母の騎士フランシスコ女子修道会が活動拠点だといいう 月刊誌「聖母の騎士」を発行している
12 オプス・デイ Opus Dei  (神の業) 属人区(地域単位の教区ではない)である。 信徒(聖職者・修道者ではない信者 修道者も信徒だが)が職業生活のなかで聖性を求める活動を支援する組織。 ダン・ブラウンの推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』で広く知られた。オプス・デイ本部は小説の描写(カルト扱い)は間違っていると声明を出している。日本では1958年に活動を開始し、会員も少しはいるようだ。
13 聖書運動とは曖昧な表現で何を指しているかは不明だ 19世紀末から20世紀初めにかけてアメリカで生まれた Restoration Movement 聖書復帰運動 のことかもしれない
14 典礼運動 Liturgical movement  とは、典礼の刷新を目指す運動のこと。特にカトリック教会内部の刷新運動を指すようだ。長い歴史的経緯があるようだが、全会衆の典礼への行動的参加を推進し、グレゴリオ聖歌の復興を目指したことが特徴のようだ。ミサでは昔は、kirye,gloria,sanctus,agnus deiの賛歌しか歌わなかったが、ミサに聖歌隊が入ってきたのはこの運動のおかげだろう。様々な改革は結局第二バチカン公会議の「典礼憲章」に結実した。現在でも典礼の改革・刷新は続いている。
15 エキュメニズムとは教会一致促進運動のこと。教会一致と略称されることもある。基本的にはカトリックとプロテスタントとの対話・協力を意味していたが、現在はキリスト教と仏教間などひろく各宗教間・宗派間の対話・協力運動をも含むようになった。21世紀に入ってあまり聞かれなくなった印象がある。
16 新スコラ主義神学からの神学上の脱却の試みを指しているようだ 第二バチカン公会議に結実していく たとえば、F・カー『二十世紀のカトリック神学』(教文館 2011)など
17 マリアを相変わらず「従順な婢女」と見なすだけでは解放の神学やフェミニズムの神学からの批判に応えられない。今後は、マリアと聖霊とのつながりを再確認し、聖霊論のなかでマリア神学は彫琢されていくようだ。光延師は言う、「新たに提示されるべきマリア論は・・・マリアを神の三位一体性が具体性が表れる場、神の霊の場、交わりの場として捉える視点ではないかと思います。これが本書の結論であり、今後のマリア神学が考慮すべき展望です」(光延一郎編著 『主の母マリア』 教友社 2021 295頁)。
 つまり、マリアは、聖霊である「パラクレートス」(弁護者)であり、母のように慰める者となる(ヨハネ14:16・17 「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である」)。
 マリアは弁護者なのだ。なぜなら聖霊は、三位一体のなかで、処女的・花嫁的・母親的位格とされているからだ(位格とはペルソナのこと 父・子・聖霊である神は本質と存在において一つだが3つのペルソナを持つ)。
 この弁護者という呼称は昔は扶助者とも呼ばれていた(もともとはMediatrixのこと 『教会憲章』68項は「マリアの執り成し」の説明だが、78頁に以下のような記載がある。「聖なる乙女は、教会において、弁護者、扶助者、援助者、仲介者の称号をもって呼び求められています」)。マリアはこれからはこのように新しい視点のもとに描かれていくのかもしれない。実はこのようなマリア観は東方教会(ギリシャ正教など)のマリア観に近いのだという。エキュメニズムの射程は広い。

 

 扶助者聖マリア(サレジオ会)


18  教会で公教要理(入門講座)を担当するカテキスタは必ずマリア崇敬の説明をするという。講座は『カトリック教会のカテキズム要約』などを使いながら信仰宣言(「使徒信条」など)の解説を中心におこない、マリアを「弁護者」、「教会の終末的な姿」として説明するらしい。
19 光延一郎編著 『主の母マリア』 (教友社 2021) 304頁

 

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