カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「入門講座」で何を学ぶのか(1)

2020-05-21 17:18:35 | 教会

1 キリスト教入門講座とはなにか

 どこの教会でも入門講座が開かれている。
教会は誰にでも開かれており、洗礼を受けていなくとも教会に出入りすることができる。
一般向けの音楽会の会場になったりする。
信者でない人も出入りしないわけではないが、通常は洗礼を受けて教会のメンバーになる。

 成人が教会に近づくきっかけの第一位は、驚いたことに、「外掲示板」だという(1)。
目につきやすいように教会の門の近くに置かれ、 聖書の一節や簡単なお知らせが書かれた
掲示板である。ガラスケースに納められ、中は毎週一回くらい入れ替えられることが
多いようだ。
 

 (外掲示板)

 

 
  教会のホームページも掲示板のひとつと考えれば、次に来るのがおそらく「入門講座」
ではないか。入門講座が外掲示板と異なるのは、これが他者との「対面」があることだ。
人と会うという行為に一歩踏み出すことが必要なのだ。

 それでは、この入門講座で、まだ洗礼を受けていない人は、何を学ぶのだろうか。

 入門講座は誰が開いているのか。誰が参加するのか。参加した後どうなるのか。
教会は何のために入門講座を開いているのか。どのようなメディアが使われているのか。
解っているようで私自身よくわからないので少し整理してみたい。
 
 といっても、今年は新型コロナウイルス感染拡大で、洗礼志願式は中止になったし、
洗礼式もいつ開けるのか見通しはまだ立っていない。異常事態が続いている。どの教会でも
入門講座も開かれてはいないようだ。開催が正常化するのを祈りたい。

 前提条件を少し考えてみる。
 
 カトリック教会の「教会現勢」によれば、信徒数は少しずつ減少している。
2017年で信徒数は433,813。対人口比0.339。 信者数で見ても440,832人で0.345%。
総人口も減少しているので一概には言えないが、絶対数でも比率でもここ10年わずかずつ
ではあるが減少しつつあるようだ(2)。


(教会情報2020)

 

 

 

 在籍者数は434,111。居所不明者数は48,344。死亡者数は4,334。
信者全体で見れば女性が59.5%、男性39.0%で、女性の方が多い(3)。
 
 幼児洗礼者数は2329名(男女差ほぼなし)、成人洗礼者数は2689名(女性が多い)、
計5018名。死亡者数の方が少ないが,総信徒数の減少には他の要因が働いてからであろう。

 日本は幼児洗礼だけで教勢を再生産できる社会ではないので、どうしても成人洗礼が重要に
なってくる(4)。日本のカトリック教会が入門講座を開いて信者を増やすことを望むのは
当然だろう(5)。

2 誰が入門講座を受けるのか

 入門講座というのはなにも洗礼志願者だけが受けるものではないらしい。
単に知的な好奇心があり、キリスト教とはどんなものかを知りたいと思って入門講座に
参加する人もいるようだ。特に大教会の大規模な講演会形式が主体の入門講座は必ずしも
洗礼を目的にはしていないようだ。
 
 他方、教会の中で、洗礼は既に受けているがもっと勉強したいと思って入門講座にでる人も
いるようだ。信心深い熱心な信者さんだけが集まっている入門講座もあるようだ。

 受洗を明確な目標として入門講座に通い始める人もいるだろうが、実際は少ないようだ。
プロテスタントの信者さんでカトリックにかわりたいと思って入門講座に参加する人も
いるようだ。逆ももちろんあるだろう。だが実際は、講座で勉強を続けている間に
受洗を志願するようになるらしい。講座を途中で辞めてしまう人もいるだろうし、
勉強が終わればそれでお終いという人もいるだろう。皆がお恵みを受けるというわけでは
なさそうだ。


 とはいえ、現在小教区が777で、成人洗礼者数は年間2700名弱。つまり平均で言えば
1教会あたり毎年数人の受洗者がいることになる。入門講座に特化したデータは集計・公開
されていないのではっきりしたことは解らないが、少なくない人数のように思える(6)。

 これから、次のような順番で自分の印象を整理してみたい。

3 入門講座は誰が開くのか
4 入門講座の回数
5 入門講座の内容
6 入門講座の教材
7 受洗後の世界



1 テレビやラジオ、携帯などのメディアではないのだという。
八木谷涼子 『もっと教会を行きやすくする方法』
 『なんでもわかるキリスト教大事典』 2013  キリスト新聞社
なお、以下の議論はカトリック教会の場合で、八木谷のようにキリスト教教会全般の傾向の
話として一般化することはできない。
2 『カトリック教会現勢』 カトリック中央協議会 2019年7月
3 これはこれで考えさせられる数字だ。在籍者、居所不明者といっても内実は様々だろう。
「信者籍台帳」に登録されていても、ミサに出ないとか、月定献金を納めない人(世帯)も
いるだろう。引っ越しごとに「転出証明書」をもらって転籍するのが面倒で教会から離れて
しまう人もいるだろう。公表された統計数字だけで議論するのは注意が必要なように思える。
4 幼児洗礼を認めるとか認めないとか、何歳までが幼児洗礼かとかは、議論し出したら
キリがない別の論点だ。自分の子どもに幼児洗礼を授けられない親の嘆きを何度聞いたことか。
配偶者が洗礼を受けていない場合、問題はさらに複雑になるだろう。幼児洗礼を授けても
教会から離れる若者もいるだろう。信徒にとっては、幼児洗礼問題は、葬儀問題よりも
複雑なのかもしれない。
5 信者の数を増やすより、現在の信徒の信仰を強めるとか、日曜日にも教会に来ない人を
来るようにすることのほうが大事だと言う人もいる。理屈は尤もだが、では具体的にどうす
るのかというと具体案はない場合が多い。
6 「求道者数」は2018年で2871名だという。2006年には5414人もいたと
いう。キリスト教への関心が衰退しているのか、教会の対応が劣化してきているのか、課題が
つきつけられている。

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弁護者とは誰か ー 第6主日ミサ

2020-05-17 14:10:16 | 教会

復活節第6主日(A年)のミサは関口教会のミサにあずかった。第1朗読は使徒言行録8:5-8(フィリポのサマリア宣教),14-17,第二朗読は第一ペテロ3:15-18(義のために苦しむ),福音朗読はヨハネ14:15-21(聖霊を与える約束)である。

 

 

 とくに、ヨハネ14:16には、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる」(新共同訳、フランシスコ会訳だと「そうすれば、別の弁護者を遣わして、いつまでもあなた方と、ともにいるようにしてくださる」)とある。「弁護者」とは誰のことなのだろう。

 原語はパラクレートス(ギリシャ語)。ドイツ語で der Antwalt, Beistand とかいうようだ(Roesch版)。英語では Helper,the lawyer と訳すこともあるらしい。another to befriend you という説明調の訳もある(Knox)。弁護者という日本語訳はピンと来ないが、フランシスコ会訳聖書の解説によると、「助け主、忠告者、保護者の意味もある・・・ここでは聖霊を指している」という。『聖書辞典』によるとヨハネ文書に特有の言葉だという。日本語としてはまだなじまない気がするが、どうなのだろうか。バルバロ訳だと「ほかの守護するもの」となっているが、こちらの方がわかりやすい気がする。

 9時からのイグナチオ教会でのミサにもでてみたが、音声が二重に割れていて映像と音声が一致せずどうもついていけなかった。ネット中継のカメラやPCの台数は増えたようだがなにか残念だった。私だけの現象だったのかもしれない。

 今日の主日は「世界広報の日」に定められているので、菊池大司教のお説教も熱が入っていた。特に、SNSの活用を奨励しておられた。ご自身もよく使われているようで、お話しに説得力があった。コロナで教会に来れなくとも外に出て福音を宣教しなさいというお話しだった。

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2020年の初ホタル

2020-05-14 08:52:32 | 

 2020年(令和2年)5月13日午後7時35分に家の前の川でホタルが3匹飛んでいるのを確認した。昨晩は見つからなかったので、今年初めて飛んだことになる。

 昨年、1昨年と減少し続けたので今年は絶滅かと心配していたが、暖かい日が続いたのでなんとか数匹は生き延びたのだろう。カワニナとかタニシのような貝が住んでいるということらしい。源氏か平家か近所同士で諸説があってよくは解らないが、なんとか生き延びてほしいものだ。

 ピークは来週末だろう。ホタルが大量に湧いたときは道が見物客で溢れパトカーが出るほどの賑わいだったが、近年はそれもなくなった。今年も新型コロナウイルス感染拡大防止のためこの周辺も「三密」禁止なので、混むことはないであろう。自宅の庭に飛び込んでくるホタルも幻想的なものだ。

ちなみに、初めてホタルが飛んだ日付は以下の通り。

2020年 5月13日
2019年 5月16日
2018年 5月15日
2017年 5月12日
2016年 5月12日
2015年 5月17日

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”3つのV” の第5主日ミサ

2020-05-10 15:37:40 | 教会

復活節第5主日(A年)のミサは関口教会のミサにあずかった。福音朗読はヨハネ14:1-12である。イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である」と言う箇所だ。福音書のなかでよく知られた文言だ。でも、道とか真理とか命とか、これは一体何を意味しているのだろうか。このセンテンスの続きも厳しい。「私を通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」。よくわからないので、今日のいくつかのミサのお説教をのぞいてみた。

 関口教会の菊池大司教はコロナの話が中心だった。教会がいま「変革のとき」にあると力説しておられた。菊池大司教の話はいつ聞いてもわかりやすい。今日は直接的にはこの言葉の説明はされなかった。

 

 山手教会の鈴木真神父のお説教は、お得意の歌ミサではないのが残念だったが、ご自分の叙階の時の思い出を挟まれてよいお説教だった。「道」の説明はごく普通で、イエスが示された道を一緒に歩みましょうという話であった。

 真生会館の森司教は興味深いことを言っておられた。イエスが「道」というとき、それは既にできあがっている道のことではなく、イエスはご自分で道を拓いておられることを言っているのだという。イエスが作った道をわれわれは歩めばよい、というのではないというお話しのように聞こえた。

 長崎大司教区の中村司教のごミサでは、補佐司教になられたばかりのせいか面白いお説教であった。アリナミンVの話がでてきてどうなることやらと思ったら、「道・真理・命」はラテン語の「Via・Veritas・Vita」の訳語で、”三つのV”のことを指すのだという。「私は道であり、真理であり、命である」と言われるよりは、「3つのV」の方が覚えやすい。アリナミンV, V&V、より、「3つのV」の方が強いという冗談には笑わされた。「道」の説明のかわりにホームレスの方の葬儀の話をされて印象深かった。

 ということで、この言葉の理解、解釈はいろいろあるようだ。イエスは先週は自分を「羊飼い、羊の門、牧者」と比喩的に語っていたが、今週は直接的に語っている。でもわたしには相変わらずよくわからない。
 フランシスコ会訳の聖書の解説によると、このヨハネ福音書では、「イエスは、人類を父である神に導く道、父を啓示する真理、父と一致させる命」として描かれているという(222頁)。道とは導きであり、真理とは啓示であり、命とは一致のことを指すという意味なのであろう。でもまだよくわからない。

 私の教会の神父様によると、解らなくともよいのだという。なぜなら、今日の朗読箇所によれば、イエスの弟子たちですら解っていなかったのだから。師が復活節第5主日のために詠んだ川柳はこうである(『福音川柳』36頁)。

「使えない 奴でも使う 主のみわざ」

 

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闇の中 光見たけりゃ 目をつぶれ

2020-05-03 14:51:25 | 教会

 2020年復活節第4主日(5月3日)のミサは長崎大司教区のライブ・ミサに与った。昔風のお聖堂で落ち着きがあった。十字架は磔刑像である。

 


 司式は高見大司教様だとお見受けした。お説教は静かな、しかし力強いものだった。福音朗読はヨハネ10:1~10の「羊の囲いの譬え」のところである。今日の「狼」は、新型コロナウイルスだろうが、もっと恐ろしい狼は心の中にあるのではないか。たとえば、自制心を失った他者への攻撃的態度や衝動、そして苦しむ人々への無関心などではないかと言われたのが印象的だった。


 高見大司教はかって神学院の先生、院長だったこともあり、一昔前の神学生や修道士に与えた影響力は大きかった。現在はカトリック司教協議会の会長ということで、日本の司教団の第一人者であろう。先頃は司祭によって性的虐待を受けた(日本の)未成年性的虐待被害者に謝罪するなどその積極的姿勢は高く評価されているようだ。

 添付したのは、わたしの所属教会の主任司祭(プロ級の絵の達人・川柳の名人)が復活節のミサに来れないわれわれに配られた励ましのカードである。時には眼をつぶってみましょう。

 

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