標題は、主の昇天の祝日(A年)向けに鈴木勁介師が作られた福音川柳である(『福音せんりゅう』38頁)。今日は川柳どおりの青空だ。
復活節第7主日だが、今では日本では主の昇天の主日といったほうがピンとくる。復活節もいよいよ終わりに近づいた。
今日は久しぶりに文字通り良い天気に恵まれた。緊急事態宣言がまだ解除されていないが、やっと出口が見えてきたようだ。
テレビのYouTubeで関口教会のミサに出る。なにかこれが日常化しつつある感がある。
今日の第1朗読は使徒言行録1:1~11,第2朗読はエフェソ1:17~23,福音朗読はマタイ28:16~2-0だ。
昨日もらってきた「聖書と典礼」によると、今日のキーワードは、「昇天」(1)と、イエスの言葉「わたしは天と地の一切の権能を
授かっている」だという(2)。関口教会のYoutubeのミサ中継は文字が入るので「聖書と典礼」は要らないのだが、手元にないと
なにか不安になる。
菊池大司教のお説教は昇天の祝日についてではなかった。ベネディクト16世とヨハネ・パウロ2世の回勅を引用しながら、コロナ禍の
あとへの「希望」と「連帯」について縷々説明しておられた。いつもどおりのわかりやすいお話であった。すべての人のための「善益」と
いう言葉が印象的であった。
緊急事態宣言からの脱出も視野に入ってきた。教会のミサはどのような形になっていくのだろうか。「キリスト
の聖体」の祝日に洗礼式がセットされた教会もあると聞いた。公開ミサも始まるのか。不安でもあり、楽しみでもある。
注
1 入門講座を担当しているカテキスタの人によると、「昇天」という出来事は、「復活」という出来事より、すんなりと理解されるという。
現代の日本人は、死後、「霊魂」(「霊」とは言えないところが悩ましい)がどこか別の場所に移るという観念を共有しているからだろうと
言う。とはいえ、訃報の通知などで、「召天」とか「昇天」とかいう言葉を使っているケースに時々出会うが、違和感を感じる。
さすがキリスト教では、成仏とか鬼籍に入るとかは言わないが、同じキリスト教でも、ロテスタント、正教とカトリックでは用いる用語が
違うようだ。カトリックでは「帰天」(または古くは「帰郷」)という言葉を使う。Homecoming という英訳もあるようだが
あまり見たことはない。
2 「権能」という言葉もよくわからない。日本語では法律用語らしいが、聖書だと、英語なら、power, authority か。function, priesthood という訳語もあるようだ。言葉の詮索より、「宣教せよ」というのが趣旨らしい。