カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

スコラ神学の完成 ー トマス・アクィナス(1)

2020-03-01 17:36:32 | 神学

 神学講座2020の4人目はトマス・アクィナス(Thomas  Aquinas)である 。
今日は四旬節第一主日だったが、コロナヴィルス騒ぎでごミサの出席者はいつもより少なかった。神父様も、主日ミサは休まず挙げるが無理してご聖体に与らなくともよいと言っておられた。
 この第4章のタイトルは 「トマス・アクィナス ー 大学の学問と宮廷神学」となっている。知らない人のいないトマス・アクィナスである。カトリック教会では最も影響力の大きい、または、大きかった神学者であろう。山本耕平は「最大のキリスト教哲学者・神学者」と評している(岩波哲学・思想事典)。

 だが、キュンクのトマス・アクィナス論は少し異なり、興味深い。トミズム(トマス主義神学)をただ解説したり、賛辞を並べているだけではないのだ。特に、トミズムと新トミズム(スコラ神学、新トマス主義神学)の区別、スコラ神学批判が背景にあることが聞こえてくる。

 トマス・アクィナス(1225-1274)はシチリア公国(ナポリ)出身だが、ローマで活躍する。だが、それ以前にパリおよびケルンで勉強しており、その時の影響は大きいらしい(1)。所属はドミニコ会。ベネディクト会ではない(2)。時代は十字軍とイスラムで揺れていたが、なぜか十字軍への細かい言及はないようだ。

 トマス・アクィナスの神学はアウグスティヌスとアリストテレスの二本立てだ。だがそのあまりにも鋭い主張により、かれの神学は「異端宣告」されていた。もちろんやがてこの異端宣告と破門は解除されるが、かれの神学は対抗宗教改革を目指したトリエント公会議においてさえ(1545-63)主導的ではなかった。ネオトミズム(新トマス主義)として復権するのはなんと600年後の第一バチカン公会議(1869-1870)なのだ。レオ13世の「トマス回勅」(1879)がスコラ主義を不動の神学にする。だがさらに100年後の第二バチカン公会議(1962-65)ではスコラ主義は実質的に影響力を失う。トマス・アクィナスの神学史上の評価は難しい。キュンクはかれをどのように位置づけるのだろうか。


 

Ⅰ 生活世界と生活様式の変化

 アクィナスの神学はアウグスティヌスの神学とアリストテレスの哲学なしには存在しない。アウグスティヌスの神学は5世紀から13世紀までの中世の神学を支配した。アリストテレスはキリスト教中世に発見されることで、トマスの哲学に決定的な影響を与え、神学を学問として成立させた。
 トマスの世紀は13世紀だったが、この世紀は教育の中心として「修道院」が解体消滅し、「大学」が学問の中心となった。大学での学問としての神学、これがアクィナス神学の特徴だ。

 トマスは、1225年に、ローマとナポリの中間に位置するロッカセッカという城で生まれたという。貴族の名門だ。しかし皇帝と教皇の間の戦争が勃発したためナポリに移住する。わずか五歳で修道院に預けられる。トマスはナポリでアリストテレスの自然学の存在(3)を知っただろうが、アリストテレスの著作はまだ教会では禁止されていた。19歳でドミニコ会に入会する。
 ドミニコ会は当時フランシスコ会と並ぶ托鉢修道会だが、「説教者修道会」(Ordo fratrum Praedicatorum OP と略す)だ。説教者修道会では異端に対抗するため、聖書をよく学ぶ。トマスは自分を終生「聖書の教師」と呼んでいたという。禁欲的で、信心深い修道士だったのだろう。このトマスがどうして「信仰深くない」アリストテレスと和解することが出来たのだろうか。

Ⅱ 危険なアリストテレス

 トマスの生きた13世紀は「第二のルネッサンス」(「12世紀ルネッサンス」)の流れのなかにある。中心はパリだ。アリストレレスが翻訳される。今までのアラビア語からの重訳ではなく、ギリシャ語から直接ラテン語へ翻訳された。中世におけるアリストテレスの発見は普通アルベルト・マグヌス(1200-1280)とトマス・アクィナスに帰される。トマスはパリでマグヌスに出合う。生涯の師だ。やがて師と共にケルンに行き、叙階される。
 アリストテレスはまだ教会の禁書命令を解かれていない。アリストテレスは危険と見なされていた。かれは経験的なもの、見える現実に集中し、神や啓示はおろそかにされた。神の摂理による歴史ではなく、歴史の暗黒部分の不可避性を説いていた。教会は許さない(4)。だが中世の第二のルネッサンスを生きる知的好奇心を持つ若者を抑えることは出来ない。トマスも例外ではなかった。

 トマスは神学者でありかつ哲学者であった。アリストテレスの「復元」を意図したのではなく、「変換」が意図された。トマスはアリストレレスにならって、「下からの、経験的な思考」を自分の自然学的・哲学的思考の方法とした。かれのアリストテレス註解である。アリストテレス的な哲学的思考方法と、アウグスティヌス的な神学的思考方法を明確に区別すること、これがトマス神学の基礎を構成していく。

Ⅲ 神学 ー 理性的な大学の学問

 長く教会を支配してきたアウグスティヌス神学はこの時代危機に瀕していた。信仰について従来の権威に頼るだけでは信徒を導いていけなくなっていた。聖書・教父・公会議・教皇たちが従来言ってきたことは実は互いに矛盾していることがいろいろな事件のなかで明らかになってくる。もっと明確な、一貫性のある説明が必要になっていた。それは「理性」を用いた説明、「概念分析」を用いた説明でなければならない。トマスは論理性と客観性をもって神学を再構築した。

 トマスの神学は、従来の修道院的・観想的な神学とは異なる。それは「理性的な大学の神学」という形をとった。トマスの神学は、「スコラ」において、つまり、「学校」において、学生や同僚たちに向けて語られた。一般信徒にむけての神学という性格は弱かった。すべてラテン語で著されている。それは「スコラ的」である。分析的で、明確な概念規定と形式的区別(無数の区分と下位区分)をおこない、異論と答えがあり、弁証・討論の手段を持っている(6)。

 トマス神学はこのように「スコラ的」だったが、それは学問のための学問ではなかった。かれは神学者であり、「神について責任を持って語る」ことを忘れることはなかった。つまり、トマス神学は「新しい哲学的・神学的な総合」(164頁)を作り上げた。それは二つの「スンマ」(大全・総合)から成っている。一つは異教に対するスンマ(異教大全)であり、他はキリスト教信仰に関するスンマ(神学大全)である。
 なぜ、この二つなのか。なぜこのように二つに「分割」、分類するのか。それは、オリゲネスも、アウグスチヌスも認めなかった二分割である。

Ⅳ 理性の力の発見

 トマスというといつも「知と信」の区別とか「理性と信仰」の区別をしたとか、「恩寵は自然を完成する」と言ったとか、決まり文句のように出てくる。お経のように唱えるだけではなく、中身はなんなのか。キュンクはどのように説明しているのだろうか。

 理性と信仰の区別はトマス以前からもずっとなされていたはずだ。ではトマスの独自性はどこにあるのか。従来の神学は「信仰の傍らに理性の権限」を証明していた。信仰が第一だった。トマスは逆だ。「理性の傍らに信仰の権限を rationem fidei 」証明する必要があると考えた。これは「知と信」の関係を根本的に考え直すことを意味していた。

 トマスは哲学は神学の傍らで独自の存在意義を持つと考えた。教会が認めていたからではない。教会はむしろ否定的だった。だがトマスは「創造の秩序からして」、人間に理性を備えさせてくれたのは神であり、神は「学問の主」であり、学問は「神の娘」であると考えた。これは当時の神学全体の「方向転換」を意味していたという(165頁)。哲学的な真理は啓示された真理と同一だという従来の思想からの脱却を意味する。キュンクはトマスの貢献として具体的には以下の3点を指摘する。

①被造的なもの、経験的なものへの方向転換
②理性的分析への方向転換
③学問的研究への方向転換

 これはつまり神学に「方法的基盤」を持たせることだ。神学に「理性的基盤」を持たせることだ。これがトマスの学問論を作っていく。

①人間は二つの認識方法を持つ: 自然理性が可能にする事柄と、恩寵による信仰が可能にする事柄を厳密に区別すること
②人間の認識レベルには二つある:人間が「下から」経験の地平で認識する事柄と、「上から」聖書を通して認識する事柄である 自然的真理と超自然的真理の区別と言っても良い
③従ってこれらに対応する二つの学問がある:哲学と神学である 前者のために「アリストテレス註解」があり、後者のために「聖書註解」がある

 トマスにおける人間の理性への信頼。神の存在、属性、摂理さえ自然的真理であり、神の啓示が無くとも理性からのみ認識できると考えた。すさまじい思想である。

 では信仰はどうなのか。信仰は、啓示の真理を受容するために要求される。三位一体とか、神が人になったとかいう真理は人間の理性を超えている。これらは、理性的には証明できない超自然的真理だ。だがこれらは、理性的に反証されうるような非理性的な真理とは混同されてはならない。

Ⅴ 二つのスンマと一つの形成原理

 トマスは、神認識に関するこの二つの方法、理性と信仰、哲学と神学を統合している。アウグスティヌス的な「我、信ず、認識せんがために credo, utintelligam 」に対して、トマスは「我、認識す、信ぜんがために intelligo, ut credam 」の主張を前面に出してくる。
 この統合は、しかし、並列的で「平屋」ではない。「2階建ての建物」であって、信仰が二階にあり、認識は2階から出発する。だから、600年後に、第一バチカン公会議(1860)における信仰と理性の関係に関する規定は「新スコラ主義的」「新トマス主義的」におこなわれることになった。トマス・アクィナスは、「神学のために中世的・ローマカトリック的なパラダイムの成熟した古典的完成形を作り出した」(168頁)のだという。このパラダイムはキュンクによれば以下のようになる。

①信仰より理性
②比喩的・霊的な意味より文字通りの聖書の意味
③恩寵より自然本性
④キリスト教的モラルより自然法
⑤神学より哲学
⑥本来的にキリスト教的なものより人間的なもの

 ここから導き出されたのが、二つの巨大なスンマ(総合的表現)である『対異教大全』と『神学大全』である。なぜ一つのパラダイムから二つのスンマが生まれるのか。それは、二つのスンマは異なる目的に仕え、異なるレベルで遂行されているからだという。

『対異教大全』
 この書はイスラム(ユダヤ教徒や異端者も含む)と対決しているキリスト者向けに書かれたという。ギリシャ的・アラビア的世界観に対抗する護教的・宣教的な総合的展望の書だという。イスラムに対して、旧・新約聖書をベースには議論が出来ない。聖書の理解が異なる。だから、「自然的理性」に遡って議論する必要がある。理性の判断にはすべての人間が、イスラムでさえも、賛同するはずだからである(5)。

『神学大全』
 この書は、神学の「初心者」にむけて書かれているという。「聖なる教え」について教会の中で教育的目的を持って書かれた手引き書だという。理性的な議論(「討論」と呼ばれる)が中心だが、聖書の使信が、キリスト教信仰が、常に前提とされているという。ギリシャ哲学的な概念を用いながら、キリスト教的な神について人格的に語っている。ここでは、神は、「至高の存在」「存在そのもの」「最大の真」「真理そのもの」「最高善」などと呼ばれているという。


1 といっても、ドイツ語にもフランス語にも全く興味を示さなかったらしい。ラテン語だけで十分だったのであろう。
2 修道会の話はカトリック信者以外にはあまり興味をひかないだろう。現在は修道会は活動修道会と観想修道会に区分するのが普通のようだ。昔の観想修道会は黙想中心だし、教育や宣教に力を入れる修道会は活動修道会になる。修道会はベネディクト修道会が最も古いと言われるが、当初は大規模土地所有と寄進に依存し、観想中心とはいえ堕落するのは時間の問題だったのだろう。改革を目指して托鉢修道会が生まれてくる。文字通り托鉢で生きていたようだ。ドミニコ会、フランシスコ会、カルメル会などだ。
 といっても托鉢修道会も変貌し(堕落し)、神学研究は大学に移っていく。最近久しぶりに面白い本を読んだ。『聖者のかけら』(川添愛著、新潮社、2019)。「歴史ミステリー」と帯には書かれているが、13世紀の、トマス・アクィナス(ドミニコ会)・ボナベントウラ(フランシスコ会)登場直前の13世紀イタリアにおけるドミニコ会とフランシスコ会の争いを場面にしたスリラー風の歴史小説だ。トマスもチラリと登場する。タイトルは曖昧だが聖フランシスコの聖遺物をめぐる話だ。小説好き、歴史物好きには好まれるだろう。
 今日の日本では教育・宣教に力を入れるイエズス会の名前はよく知られていよう。カトリック信徒にはこれらの修道会の性格の違いは神父様やシスターを通してなじみ深いが、信者以外の人にはその違いははっきりしないかもしれない。重要なのは、歴史的経緯は抜きにして建前だけで言えば、違いは「創立者の霊性」の違いであり、教義の違いでは無いことだ。したがって修道会はプロテスタントに見られるような宗派や会派や教団ではない。インド・アジア・日本における仏教の発展と変貌の歴史を考えると、その類似性と違いが思い起こされる。
3 自然学または自然哲学とは物理学に発展する以前の自然に関する定性的学問のことを指すらしい。アリストテレス風に言えば、哲学は自然学・論理学・倫理学の三本立てから成っていたようだ。
4 教皇ウルバヌス4世は1263年になってもまだアリストテレスの著作を学ぶことを改めて禁止したという。
5 本書の訳者である片山寛氏は、キュンクのこの評価に関して異論を唱えている(342頁)。専門家のなかで定着した評価とは言えないのかもしれない。
6 「討論」とは一般的なdiscussionという意味ではない。中世の大学で用いられた授業の形態のことで、「項」がとる「形式」のことをいう。スコラ哲学を読んだことのある人には繰り返しになるが少し触れておきたい。討論はつぎのような形式をとる。弁証法である。

第x項  A は B であるか (例えば第2問第1項は 神在りと言うことは自明であるか )
 A は B でないと思われる。そのわけは、
1 (異論1)・・・
2 (異論2)・・・
3 (異論3)・・・
しかし反対に、(反対異論)・・・
答えて言わなければならない (主文)
・・・・・・・・
それゆえ、
1 についていわなければならない。 (異論答え1)・・・
2 についていわなければならない。 (異論答え2)・・・
3 についていわなければならない。 (異論答え3)・・・

 こういう対話形式のやりとりを討論という。こういうやりとりが何十問と続くのだから本当に読みづらい。「項」と「主文」だけを読めばよさそうだが、「異論」や「反対異論」や「異論答え」のなかにトマスの主張が入っていて全面否定ではないので、結局は読む羽目になる。私は、「~についてトマスは何と言っているのだろう」と疑問に思うときに読む程度の忍耐力しか無い。(山田晶訳『神学大全 Ⅰ・Ⅱ』中央公論新社 2014)

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