カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

原罪の教義はいつ定着したのか ー 原罪論4(学び合いの会)

2022-07-03 11:04:28 | 神学


Ⅳ 古典的原罪論の展開

1 アウグスティヌス以前の教父たち

①ギリシャ教父たち

 2・3世紀 エイレナイオス、アレキサンドリアのクレメンス、オリゲネスなど
彼らは人間の「」に関心を持った。「なぜ無垢の嬰児が死なねばならないのか」という問題意識から原罪について考察した。特に問題にしたのは、原罪が人祖からどのように子孫に伝わるのか、という点であった。エイレナイオスは、人祖が所有していた本来的な善は罪によって損なわれたが、洗礼によって回復されると考えた。この考えはアウグスティヌスに影響を与えたという。

②ラテン教父たち

 2・3世紀 キプリアヌス、テリトリアヌスなど。「」の起源について深い関心を払った。

2 アウグスティヌス(354-430)

 アウグスティヌスは教会の原罪についての公式教義の基礎を作った。

①悪の問題について自分自身の体験をもとに考察した
②人間は良きものとして作られた。存在は善である。
③悪は存在ではなく、存在の欠如のことである。悪は神の秩序から逸脱した人間の自由な行為だ。
④アダムの罪により人間は神との交わりを失い、死と苦しみを罰として受けた
⑤洗礼によって罪は許されるが、情欲は残り、自我との闘争を続ける
⑥マニ教のグノーシス主義的悲観論とペラギュウスの楽観論の両極端を排した

 アウグスティヌスは特にペラギュウスと徹底的に闘い、ペラギュウスはやがて異端の宣告を受けることになる(1)。

3 原罪の古典的定義の定着

 古代教会はアウグスティヌスの見解に賛同し、二つの教会会議で教義として採用する。この教義は基本的にアウグスティヌスのラインを踏襲している。

①カルタゴ教会会議(418 DS222~230・370~371)
 マニ教的悲観主義と、ペラギュウス的楽観主義の両方に異端宣告した(この時アウグスティヌスはまだ存命中である)。
②オランジュ教会会議(アラウジオ教会会議 529 DS371~375)
 カルタゴ教会会議の確認をした(2)。

4 中世

①カンタベリーのアンセルムス(1033~1109)
 原罪の本質は、アダムの罪の行動によって課された「聖化の恩恵の欠如」として理解した(3)。
②トマス・アクィナス(1225~1274)
 アウグスティヌスと同様に創世記の2・3章の記述を文字通りの歴史と解釈した。ただし、エデンの園は楽園とは見ずに、われわれ自身の状況に似た場所として考えたようだ(4)。
 トマスの原罪論:原罪とは恩恵の喪失のこと。神との正しい関係の喪失である。欲望は原罪の結果である。原罪は「遺伝」し、人はみな罪人である。カトリック教会の教えはトマス・アクィナスに従ったものである(5)。

5 宗教改革者たちの原罪観

①宗教改革者たちはアウグスティヌスを高く評価した(ルターは元々アウグスティヌス修道会の修道士)。
 カルヴァンは、原罪の結果、人は「本性上堕落している」と主張した。回心していない者の自由意志は罪を犯す以外の自由はない、と主張した。これが改革派の堕落の定義である。これはカトリック教会の自由意志の定義とは著しく対照的である。プロテスタントは自由意志についてはカトリックより否定的である(6)。

②宗教改革者たちは「大罪」と「小罪」の区別を破棄した(7)。
大罪:Ⅰコリント6:9~10,ガラティア5:19~21
小罪:ヤコブ3:2,Ⅰヨハネ1:8,5:16

 トマス・アクィナスは大罪と小罪の区別を厳密に検証した。そして情欲そのものは罪ではないとした。ルターやカルヴァンはカトリックの罪の定義を不十分とし、罪は人間の全面的腐敗と考えた。情欲についても補強した。罪は神からの隔絶であるから、大罪・小罪の区別は無意味だとした。人間は、罪の側にあるのかそれともキリストの側にあるのか、二者択一であると主張した。

③罪の赦し
 キリスト者の罪はキリストの義に基づく贖いの愛の恵みによって許されるのであり、罪人自身の悔悛によるのではない(8)。

 

 【ウクライナ東方正教会の復活祭 2022】

 


1 マニ教はグノーシス主義的な霊肉二元論をとり、霊が善で肉は悪とした。この世界はモノであるからすべてを悪とした悲観論である。古代グノーシス主義は複雑多岐にわたる展開をとるので一概に非キリスト教的とは言い切れない。他方、ペラギュウス主義は、人間は自由意志により神の助けなしに救われるという楽観論である(仏教の自力本願説を思い起こさせる)。ペラギュウス(生没年不詳 イギリス生まれだが380年頃ローマに来てその後カルタゴで活躍する)は人間の自由意志を認めない恩恵説を批判した。また、アダムの原罪の伝搬は「模倣」によるもので「遺伝」によるものではないとした。
2 DSとは「デンツィンガー・シェーンメッツァー」のこと。DSは編者の名前の頭文字。教会の文書資料集のこと。『カトリック教会文書資料集ー信教および信仰と道徳に関する定義集』(エンデルレ 1996)など。カトリック神学の基礎資料のようだ。
3 カンタベリーのアンセルムスは北イタリアで生まれ、カンタベリー(イギリス)の大司教となる。かれの「理解せんがために信ず」ということばは有名だ。知と信のいずれか一方に頼ることを諫めて、理性的探求の重要性を強調した。スコラ学の父とも呼ばれるようだ。アンセルムスについては良くは知らなかったが、最近読んだ下記の本が勉強になった。八木雄二『「神」と「わたし」の哲学』(2021 春秋社)。
4 トマス・アクィナスは知と信を明確に区別し、学としての神学を確立した。「恩恵は自然を完成する」というかれの言葉は有名である。原罪の遺伝説の根拠は彼に求められることが多い。
5 遺伝ではなく、アウグスティヌス的に「相続」と訳すこともあるようだ。
6 自由意志論争の中では、プロテスタントのなかでもいろいろな意見の対立があった。救いは神が一方的に与える恵みなのか、人間の主体的な努力・関与は意味がないのか、という問いを巡る対立であった。改革派は基本的にルターの恩恵観を引き継ぎ、「恩恵のみ」(sola gratia)説にたった。これは人間の側からは「信仰のみ」(sola fide)となり、功徳や悔悛を認めないことになる。
7 大罪とは、はっきり意識して、自由をもって、神の意志に背くこと。「死をもたらす罪」とされる。具体的には、殺人、姦通、信仰を捨てることなどをさす。大罪は必ず告解し、恵みを回復しなければならないとされる。七つの大罪などという。小罪とは「許される罪」で、日常の罪・軽い罪とかいわれる。
8 赦し pardon とは、罪によって損なわれた関係を回復し、罪の状態から罪人を解放すること。旧約では赦しは、善行・苦難・回心・告白・とりなしで準備されるが、基本的には神からの恩恵として理解された。新約では悔悛の役割が重視される。宗教改革期には恩恵か悔悛かは単なる強調点の違い以上の対立をもたらすことになる。

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