レコード・チャイナの報道が興味深い。支那は五輪や万博を開催しても、それがなんらのよい経験になっておらず、あいかわらず民度の低い状態にあるようだ。
支那の間違いの根本は経済が資本主義、政治が共産党一党支配ということだ。経済でできた人民格差は、共産主義では本来生じないはずだから、人民の意思はその原因をつくっている共産党政府に矛先が向くはずの構図だが、武装警察の方が圧倒的に強いので人民はとりあえず黙っているのだ。
しかしながら、反日行動・デモに関してはその枷が外れるので、人民の不満は一気にガス抜き行動にでる。人民は自分たちが政府によって適当にガス抜きさせられていることに気付いているのだろうか?それが結局は共産党体制を継続させることになっているのだが。支那人民の多くはそのことに気付いていないのではないか?いわゆる民主的活動家と呼ばれる人々は明確に意識しているのであろうが。
記事に戻る。
な民度の低さもこの記事では、強弁して他国でもある、道路に落ちたものは所有権意識が下がるなどという。確かにその心理は他国でも認められる。残念ながら我が国でも起きているだろう(それが日本人かどうか別だが)。
しかし、今回の反日デモでも、実は掠奪のために日系の店を襲っているのではないかと思える現象が起きている。反日無罪はという途方もないコンプレックスのなせる業だ。
我が国のおとなしすぎるデモをみていると、支那のデモは明らかに暴動である。
このような国と付き合うことのリスクがいかに大きいかを今回のデモは示している。民度の低い国民とは交渉も、対話も成立しないことを国民は、政府は知るべきだ。
早急に経済関係を他国へ完全シフトすべきなのだ!?民度の高い国が低い国と付き合うには特殊なルールがいるのではないか?
デスマッチなのに反則技をつかわないのが今の日本だ。支那はデスマッチにきているのだ。
なぜ中国人は交通事故現場で略奪するのか?民度の低さと群集心理―中国メディア
7日、網易の特集ページ・アナザーサイドは「頻発する略奪=民度の低さだけの責任ではない」を掲載した。繰り返される事故現場での略奪は道徳の問題ではないと分析している。写真は5日、甘粛省蘭州市の事故現場からブドウを持ち帰る近隣住民。
2012年9月7日、網易の特集ページ・アナザーサイドは「頻発する略奪=民度の低さだけの責任ではない」を掲載した。
5日、甘粛省蘭州市の高速道路でトラックの横転事故が起きた。事故を知った近隣住民があっという間に集まり、現場に散らばった積み荷のブドウを略奪した。積み荷をすべて失った運転手は「破産だ」と肩を落としていた。
こうした高速道路の略奪事件は珍しい話ではない。ある時など道路にこぼれ落ちた食用油をたらいでさらって持ち帰った人々もいるほどだ。略奪事件が起きるたびに中国人の民度の低さが問題になるが、道徳にすべての原因を帰すのは正しくない。
実は先進国の英国でも似たような略奪事件は起きている。今年3月、バスとタクシーが接触し、はね飛ばされた車が道脇の宝飾店のショーウィンドウを割る事故があった。通行人らの関心は負傷者の救助ではなく、散らばった宝飾店を拾い集めることに集中したという。
なぜこうした略奪事件が起きるのか。道に落ちたものは誰かの所有物という意識が小さくなる。そして他の人も拾っているのだから私も、という群集心理が働くと、人々が殺到しては略奪する騒ぎへと発展するのだ。
こうした略奪事件が過ちであることは間違いない。だがそれを中国人の道徳の問題としてだけとらえるならば、それもまた過ちとなるだろう。(翻訳・編集/KT)