仮面の告白『雲の上の虹』

この世の誉・不正・不道徳・破廉恥・権力者を追及し、無害なことも記録しつつ、雲の上の虹をめざす枕流亭の日記(日乘)

押尾学:刑務所で人生を“学”ぶ!?か?

2012年03月30日 | 日記

  あの押尾が刑務所に入る準備に入った。どこかの刑務所で最長3年6月の服役になるだろうが、模範囚なら早めに出てくることになる。

 このような卑怯な漢がまた日常世界に戻ってくるかと思うと情けない。

 何らかの意味があると思うというのなら、人格の刷新に取り組め!

 

押尾学元被告が高検に出頭、東京拘置所に収容

 合成麻薬MDMAを一緒にのんだ女性の救命を怠った保護責任者遺棄と麻薬取締法違反(譲渡、譲り受け、所持)の罪に問われ、懲役2年6月の実刑が確定した元俳優の押尾学元被告が29日、収監手続きのため東京高検に出頭、東京拘置所に収容された。

 押尾元被告は髪を短くカットし、黒いジャケットを羽織ってシルバーのネックレスを下げていた。報道陣からの問いかけには答えなかった。

 押尾元被告はMDMA使用の麻薬取締法罪でも09年に懲役1年6月、執行猶予5年の判決が確定しており、合わせて最長3年6月服役するとみられる。


その批判、理解不能! ミスコン失格の“美女”

2012年03月28日 | 哀悼

 性転換女性が生来の女性と同じだという主張は理解できない。大会主催者側の規定に生来の女性という規定があるのだから、批判は当たらないと思うのだが。

 批判者は性転換者が参加可能の新たなミスコンを開催すればいいのだ。

 

 
右がタラコバさん

性転換発覚し、ミスコン失格に=差別と批判高まる-カナダ  時事通信 3月28日(水)16時35分配信

 
【モントリオール27日AFP時事】
 ミス・ユニバースのカナダ予選に出場したジェンナ・タラコバさん(23=写真中央)が性転換者だと分かって失格となったことで、差別だとの批判が高まっている。
 美しいブロンドの髪、すらりと伸びた長い脚を持つタラコバさんは、バンクーバー出身のモデル。男性として生まれたが違和感を感じ、19歳のときに性転換手術を受けた。カナダ予選に出場して最終の65人に残ったが性転換者と分かって失格となり、差別だと主催者を非難している。
 この話はカナダ国内だけでなく、英国や米国にも伝わり、インターネットのサイトでは処分の取り消しを求める署名が2万8000以上集まっている。ネット署名の発起人の1人でニューヨークに住む男性は、「差別的、不当で、まったく胸くそが悪くなる。彼女は女性であり、他の女性と同等に遇されるべきだ」と述べている。
 タラコバさんは、「(今回のことで)同じような人がこの先、再び差別を受けないようになればと、事態を肯定的に見るようにしている。

 

ミス・ユニバース、トランスジェンダー女性の出場資格剥奪 CNN.co.jp 3月28日(水)10時12分配信

 ミス・ユニバース・カナダに出場していたモデルのジェナ・タラコヴァさん(23)が、トランスジェンダー(性同一性障害者)であるとの理由で主催者から出場資格を剥奪(はくだつ)された問題で、タラコヴァさんの代理人は27日、タラコヴァさんはまだ記者会見を行える段階ではないと語った。

 代理人は、タラコヴァさんは世界中から集まった支援の声に感激しているが、訴訟の準備中であり、会見には応じられないと述べた。

 タラコヴァさんはミス・ユニバース・カナダに出場し、65人のファイナリストに残っていたが、性別適合手術を受けたことを隠して出場したため、大会の出場条件を満たしていないとして出場資格を剥奪された。

 主催者は、コンテストへの出場には市民権、年齢、結婚歴などの他に、生まれつき女性であることが条件となっており、世界中のすべてのミス・ユニバースの大会に適用されるとしている。しかし、この規則はミス・ユニバースの公式ホームページには記載されていない。

 この問題はネット上でも論議を呼び、社会変革を訴えるソーシャルメディアサイト「チェンジ・ドット・オーグ」にはコンテストの主催者に決定の撤回を求める3万2000人近くの署名が集まった。

 タラコヴァさんは4歳の時に自分が女性であると認識し、14歳でホルモン治療を開始、19歳で性転換手術を受けたという。

 タラコヴァさんは簡易投稿サイト「ツイッター」上で、ミス・ユニバースの決断は偏見に基づくものだとし、「差別による出場資格停止は許さない。私はあきらめない」と述べている。

原田公裕:伊万里市立大川小教頭 の 公金横領

2012年03月24日 | 怒髪衝天

 

  本当にふざけた野郎だ!それを見逃した当時の校長、そんなバカを教頭にした佐賀県教委の愚か者、同罪だろう!

                                   
            校長の一人            原田公裕(はらだ まさひろ) 

 
謝罪会見の神埼市教委の実松信子教育長  県教委はどうした!?

 

横領:県教委、教頭を免職 前任地・神埼小で1800万円 /佐賀

毎日新聞 3月24日(土)15時29分配信

 伊万里市立大川小の原田公裕教頭(49)が前任地の神埼市立神埼小で「子ども貯金」などの金を横領していた問題で、県教委は23日、原田教頭を懲戒免職処分にした。また監督責任を問い、当時の校長も減給処分にした。
 県教委教職員課によると、原田教頭は神埼小で教務主任だった08年6月~11年2月に、児童が積み立てた子ども貯金などから93回にわたり計1863万6393円を勝手に引き出し、生活費や競艇などに使っていた。
 通帳を原田教頭が、印鑑を校長が管理していたが、校長は「突然保護者に引き出しを求められる」との原田教頭の要求に応じ、印を押した白紙の払い戻し請求書を月に5、6枚ずつ渡していた。
 原田教頭は横領金のうち約230万円を「盗まれた」としているが、その分を含めた全額を返済した。神埼小と神埼市教委は15日に業務上横領容疑で神埼署に告発状を提出している。【竹花周】

大川小の悲劇  柏葉校長の辞職

2012年03月24日 | 日記

  大川小で校長職にあった柏葉照幸氏がこの年度末で依願退職するという。あの悲劇から1年後の決断。この退職をどうみるか!?

  1年間かけて責任をとったとみるか、まだ検証が済まないうちに任から退くとみるかは意見の分かれるところだろう。彼の身になって考えれば、1000年一度の大禍に遭遇してしまった、その時、自身の娘の卒業式に出ていたという、普通なら当然の行為があだになったのだ、自分がいたところでどうにもなら無かった、というあたりだろうか。

  たしかに人間として、管理職としての苦悩は相当のモノであったと予想はつく。しかし君は、日常しているべきしているはずの危機管理が全くできていなかったのだ!それは亡くなった教頭も同じなのだ。有ってはいけないことが起きることを想定するのが管理職の仕事なのだ。

 それを君は全くしていなかったのだ。そこに君の最大の責任放棄がある。管理ができない管理職なぞ存在価値はないのだ。

 君はその反省をしたのか?またそのような者を管理職にした教育委員会は責任を感じているのか!種々の報道からはそれは見えてこない。

 ある識者によれば今回の悲劇は裏山に避難すれば防げた、問題はその避難路が整備されていなかったことだという。確かに助かった教務主任と児童は少数だから助かったといえる。しかしだ、整備されていれば即避難ができ、たとえ積雪があっても全員助かったのだ。

 そのような整備は校長が市や掛け合っておくべき事項だったのだ。市はそれをさらに県に要求すべきだったのだ。その意味で市教委や県の危機管理のなさが一番の責任である。

 新しい学校ほど良い場所に建てられないのが現状だ。大川小も窪地だ。それゆえ津波に向かう形でより高台へという避難が決行されたのだろう。そのようなことも想定できなかったことは市と県の責任だ。

 責任を明白にしてそれを教訓としなければ犠牲になった御霊に申し訳ないではないか?

 その覚悟が市や県にあるか?それが今後の協議点だろう!

  

 

 

 

 管理職とは公を優先できる者がなるべきなのだ。他人の子どものために我が子を犠牲にする位の覚悟が必要なのだ。その我が子は他の管理職が守っているのだから!

 
右端が柏葉氏

 

<東日本大震災>大川小の校長が依願退職へ 宮城・石巻

 東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校の柏葉照幸校長(58)が31日、依願退職する。県教委が23日、教員人事の発表に合わせて明らかにした。8日付で退職願を提出し県教委が受理した。

 柏葉校長は震災発生時、娘の卒業式のため石巻市外にいた。今月18日、遺族との話し合いで訓練の不備などを指摘され、「危機管理意識が低かった」と謝罪した。県教委によると、遺族らが求める震災発生時の避難対応などの検証には「退職後も必要な協力はする」と話しているという。【宇多川はるか】

 

大震災編 都司嘉宣 大川小学校の惨事 必要だった裏山の避難路  産経 3・22

 津波被災地を訪問し、津波の浸水範囲や到達した高さなどの調査を行った。現地で被災者に話を聞かせていただき、津波来襲時の写真や映像も数多く拝見した。そこから生々しく浮かび上がったのは、多くの人々がほとんどなすすべもなく、千年に一度の規模の巨大津波にのみ込まれていった凄惨(せいさん)な実態だ。命を救う方法はなかったのか。私たちは被災ケースを一つ一つ検証し、今後の津波防災の教訓にしなければならない。

 今回は、宮城県石巻市立大川小学校の被災について取り上げる。大川小は、河口から約4キロ上流の北上川南岸の堤防近くにあり、周辺は海抜約2.5メートルのくぼ地となっている。ここで、全児童108人の約7割に当たる74人と、教職員10人が死亡・行方不明となる惨劇が起きた。

 地震発生時、児童らは2階建て鉄筋コンクリート造りの校舎内にいた。大きな揺れを感じ、津波警報の発令を知った教職員は全校児童を校庭に整列させた。その後、少しでも高い場所に児童を移動させようと、海抜6メートルの北上川の堤防に向かって列になり歩いていくうち、川から堤防を乗り越えてきた大津波に、先頭の児童から順にのみ込まれていったという。

最初にこの話を聞いたのは東京にいるときだった。大川小付近の地図を確認すると、校舎の背後に小高い山がある。「なぜ裏山に登らせなかったのだろう」と不思議に感じた。だが、昨年6月に大川小を訪ねる機会があり疑問は氷解した。させなかったのではなく、できなかったのだ。

 裏山は、ほぼ傾斜角45度の急斜面だった。斜面には津波が到達した位置を示す木札があり、高さは海抜9.4メートル。私はそこまで登ったが、大の大人が草をつかみながら苦心惨憺(さんたん)し、たどりつくのがやっとだった。しかも、震災当日の昨年3月11日、斜面はまだ一面の雪に覆われていたという。とても児童108人を登らせることはできなかったのである。

 津波の防災対策は、千年に一度の巨大津波でも人の命だけは助けられるものでなくてはならない。それでは、大川小のケースでどんな対策があれば、児童の命を救えたのだろう。

 私は、この斜面を楽に歩いて登っていけるような、ジグザグの津波避難路を設けておくべきだったと考える。夜間の発生にも備え、太陽光発電の照明灯も設置しておけば万全だったのではないか。(つじ・よしのぶ 東大地震研究所)


支那の負の記録  女子高生を生きたまま遺棄

2012年03月21日 | 破廉恥

  同じような事件は頻発しているのだろうな!仁徳のない拝金民族となり果てたのか!このようなことは普通の先進国ではありえない。あらゆる不条理を体現している「国」だよな!支那は!

 

 

意識不明の女子高生を遺棄=「死亡」と判断の警察に批判―中国

【北京時事】中国安徽省亳州市渦陽県で今月11日、暴漢に襲われて意識不明となった女子高生(18)が、警官に死亡したホームレスと判断されたため、用水路に遺棄される事件があった。女子高生はその後、救助されて一命を取り留めたが、インターネット上では無責任な当局に対する批判の声が高まっている。
 中国メディアによると、女子高生は11日、学校から帰宅途中、暴漢に襲われた。村人が翌日、用水路に倒れている女子高生を発見し、警察に通報。警官は「凍死したホームレス」と判断し、救急車も呼ばず、県政府に「遺体を収容するように」と連絡した。
 県の担当者は「まだ息があるようだ」との村人の声に耳を貸さず、火葬場に運ぶ車を手配。運転手は女子高生を隣県まで運び、用水路に遺棄した。13日、女子高生を見つけた村人が救急車を呼び、警察の調べで何者かに殴られたことや身元が判明した。


三原じゅん子氏の追及!  小宮山厚労相の謝罪!

2012年03月12日 | 

  この勝負はある意味わかっていたので厚労相もあがらうわけにはいかなかったのだ。愚かなり小宮山洋子!

     

小宮山厚労相、三原じゅん子氏に謝罪!“ウソ答弁”で

  小宮山洋子厚労相(63)が12日午前の参院予算委員会で、自民党の三原じゅん子参院議員(47)に先月7日の同委員会で“ウソ答弁”をしていたとして謝罪した。

 「(答弁を)訂正するとともに、委員(=三原氏)の質問の趣旨を的確に理解せず、審議を混乱させたことをおわび申し上げます」

 小宮山氏は12日の委員会の冒頭、こう謝罪した。午前9時からのNHKの中継前に行われ、全国放送はされなかった。

 謝罪の対象は、2月7日のやりとり。三原氏が、子宮頚(けい)がんのワクチン接種が予防接種法の「2類疾病」になった場合「接種費用や副反応救済はどうなるのか」と質問したのに対し、小宮山氏は自信満々に「今と変わらない」「今のまま」と答弁した。

 しかし、翌日には三原氏に対して官僚が答弁の間違いを認めた。三原氏は小宮山氏の軽すぎる姿勢について「女性の命を軽視している。女性の敵だ」と激怒していた。

 小宮山氏は12日、「定期接種の自己負担は市町村の判断、健康被害救済の水準は現在も下がる」と述べた。三原氏は委員会室で静かに耳を傾けていた。


アナンダ・マーシルドンさんの裁判

2012年03月11日 | 日記

 何と言えばいいのか、その業界ではある意味大変なことなんだろうが。

 きっと珍しい裁判だろうな!

  
モデルでなければ裁判にもならなかったろうに!

お尻が大きいからと解雇はダメ!女性モデルが勝訴

 90センチがボーダーラインだったのでしょうか。「お尻が大きすぎる」との理由で解雇されたオランダ人モデルのアナンダ・マーシルドンさん(25)が、大手ファッションモデル事務所を相手取った訴訟に勝ちました。事務所側はお尻のサイズを92センチから2センチ小さくすることを要求していたそうです。


支那の負の記録  ツェリン・オーセル女史の軟禁

2012年03月11日 | 怒髪衝天

  あの言ってもわからぬ支那のことだが。記録としてとどめておこう。支那は共産党に批判的、またはそれにつながると判断したもの、さらに反政府的な言論人にかかわる国際的な受賞をつねに妨害し、さらに軟禁するするという暴挙に出ている。

 目覚めた人民ほど支那共産党にとっての脅威はない、ことを内外に示すだけなのだが。

 今回の名誉の「犠牲者」はツェリン・オーセル女史。

  
女史と夫の王力維

 
女史の作品

<中国>チベット族作家を軟禁…暴動から4年の節目控え  毎日新聞 3月2日(金)19時56分配信

 
 【北京・工藤哲】中国のチベット族の著名作家で、著書が日本でも翻訳されているツェリン・オーセルさん(45)=北京在住=への中国当局による監視が強化され、自宅軟禁状態に置かれたことが分かった。英BBC(中国語電子版)などが1日、伝えた。全国人民代表大会(全人代=国会)や人民政治協商会議の開幕、チベット族の大規模暴動(08年3月)から4年の節目を控え、中国当局がチベット族への監視を強化したとみられる。

 BBCによると、オーセルさんの自宅周辺には5人ほどの治安当局者が待機し、外出も許可が必要な状態だという。オーセルさんは、文化の発展に貢献した人物に毎年贈られるオランダの「クラウス王子基金賞」受賞が決まり、北京のオランダ大使館で受け取ろうとしたが、当局に阻止されたという。

 オーセルさんは文化大革命期にチベットが置かれた状況を伝える著作「殺劫」を09年に日本で発表。最近は四川省でチベット族の焼身自殺が相次いでいる現状にブログで「見るも無残で、その痛ましさは言葉にならない」などと心情を吐露し、焼身を試みるチベット族の映像などを掲載していた。

 一方、中国共産党指導部の賈慶林・人民政治協商会議主席は1日、北京でチベット族居住地の責任者の集会を開き、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世を指して「ダライ集団の陰謀の粉砕」を求め、居住地の安定を維持するよう指示した。


 

以下のブログが詳しい

http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/951151


東北大震災1年! それでも我が国は発展する!

2012年03月11日 | 

   あの大震災から1年。光陰矢のごとしとはこの1年をいうのだろう。

   この間政治屋の愚かな言動とは異なり、国民は再生の道をひたすら歩んできた。震災における暗い面もあるのだろうが、それをはるかに超える前向きなことの方がはるかに多い。

   地震災害は我が国の宿痾のようなものだ。それを無くすことはできないが、軽くすることはできる。それが我が国の技術的な側面を一層強固なものとするだろう。

 

<東日本大震災>今なお34万人が避難生活 11日で1年   毎日

   東日本大震災から11日で1年を迎える。今なお34万3935人が全都道府県に散って避難生活を送り、うち11万6787人が7県の仮設住宅に暮らす。死者は自然災害で戦後最悪の1万5854人に上り、3155人は行方が分からないまま。岩手、宮城、福島3県で推計約2253万トンのがれきが発生したが、最終処理済みは6%にとどまる。被災自治体の復興計画は5~10年での完了を想定し、道のりは遠い。福島県はこれに加え、放射能汚染にも苦しむ。被災地では「風化」を懸念する声が強く、継続的な支援が求められている。【北村和巳】


ドナルド・キーン氏の日本国籍取得をことほぐ

2012年03月08日 | 

  あの米国における日本文学研究の第1人者といわれるドナルド・キーン氏が晴れて日本人となった。まことに言祝ぐべし!

  氏といえば拙は三島由紀夫を思い浮かべる。氏を知るきっかけだったからだ。

 

 

 

都内在住のドナルド・キーン氏、日本国籍取得

読売新聞 3月8日(木)12時37分配信

 法務省は、日本文化研究者で米コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーン氏(89)に日本国籍の取得を認め、8日付の官報で告示した。

 キーン氏は、東日本大震災を機に日本に永住することを決めていた。

 キーン氏は太平洋戦争で米軍の日本語通訳を務めて以来、日本文化研究に取り組んできた。日本文学の研究では世界的権威として知られ、2008年に文化勲章を受章している。

 日本国籍を取得する意向は、東日本大震災後に明らかにした。昨年4月、コロンビア大で最終講義を行った後の記者会見で「私は日本を愛している」と説明した。現在は東京都内に住んでいる。

ロシア大統領選という茶番?  ウクライナ美女の抗議活動!

2012年03月05日 | 日記

 ロシア大統領選は何年も前からのシナリオ通り、プーチンが当選しそうだ。6割が支持だそうだが、内実はどうなのだろう。北朝鮮は表向き全員が正恩支持だろうから、それに倣うと真実はわからない。我が国の周辺には多くの危険な独裁体質の国が存在している。

 我が国はそのような輩と伍していかねばらない。今のままでいいのだろうか?

 引用記事はウクライナの反政府運動の闘士(?)の様子

  裸だとインパクトはあるし、世界も確かに注目するな!

  

 

 

 

 

 

 露大統領選、投票所で拘束の裸の女3人 何を訴えたのか   3・5

 ロシア大統領選でプーチン首相が夫人と投票を行ったモスクワ市内の投票所で4日、上半身裸になって「プーチンは泥棒だ」などと叫んだウクライナ国籍の女3人がその場で警官に拘束された。

 ロシア主要メディアが伝えた。警察当局によると、3人は裸になって政治的なスローガンを叫ぶウクライナの組織「フェメン」のメンバー。首相が投票を終えた20分後、メディア関係者を装って投票所に入った後に衣服を脱ぎ、叫び声を上げた。

 3人の胸や背中には「プーチンの代わりに私が(投票用紙を)盗む」などと書かれていた。

 ペスコフ首相報道官は「これが法律違反でなければ、私は拘束しなかったのだが」とコメントした。(共同)

 

露大統領選、不正あったと認識…国際監視団

【モスクワ=緒方賢一】プーチン首相(59)が勝利した4日のロシア大統領選をめぐり、現地に国際選挙監視団を派遣していた全欧安保協力機構(OSCE)は5日、選挙には「幾つかの重大な問題があった」との声明を発表し、選挙に不正があったとの認識を示した。

 反プーチン派勢力も5日、「不正選挙」に抗議する大規模デモをモスクワ中心部で決行すると表明しており、今後、混乱が拡大する恐れがある。

 OSCEは、「政府の職権が乱用され、最終勝者は揺るがぬよう仕組まれていた」と指摘。また、「視察した投票所の約3分の1で集計過程などに不正が目撃された」としている。

 一方、AP通信によると、ロシアの独立系選挙監視団体「ゴーロス」は、有権者がバスで大量動員され、一人が同じ投票所で何回も投票する「回転投票」が頻発していたと発表した。次点に終わったゲンナジー・ジュガーノフ共産党議長(67)も、投票は「非合法で、不公平で不透明だ」と記者団に語り、争う姿勢を示した。

 一方、プーチン陣営幹部はAPに対し、一連の不正疑惑は「ばかげた言いがかりだ」として否定した。


大川小 追悼法要

2012年03月04日 | 哀悼

大川小で追悼法要 遺族ら百数十人出席

 

大川小学校で営まれた法要で遺族らが手を合わせていた=3日午前10時20分、宮城県石巻市、小宮路勝撮影

 東日本大震災の津波で、児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校の校舎前で3日朝、追悼法要が営まれた。遺族ら百数十人が出席。時宗総本山(神奈川県)や県内の寺院の僧侶20人以上が読経し、焼香が行われた。

 宮城県登米市の常楽寺の佐々木文海住職は「ここに来た時はあまりの変わりように声もなかった。1年前でも遺族にとっては昨日のことのようだろう。祈りを捧げ、少しでも癒やされるならば」と語った。

 同小の惨事について、石巻市教委は1月に学校側の責任を認めたが、遺族からは疑問の声が出ており、今月、保護者に4回目の説明会が予定されている。


大川小の悲劇:未だ御霊の不還!  

2012年03月04日 | 哀悼

  この記事涙せずに、読めない。

  このような悲劇を人災として起こしてはいけないのだ!

 

 

大川小 遺族の1年 長女捜し続ける両親 いつも最後…きっと戻ってくる 2012.3.4 21:17 (1/2ページ)

大川小学校の行方不明児童、鈴木巴那ちゃんを捜す母の実穂さん。川底から児童のランドセルが出て確認をしていた=2月16日、宮   城県石巻市(矢島康弘撮影)

 ショベルカーが川底にたまった汚泥をすくい取り、川岸にうち捨てると、1人の女性が駆け寄り、どろどろのジャンパーを木の棒でたぐり寄せた。「娘が着ていたものに似ている」。一瞬、胸が高まったが、すぐに落胆に変わった。

 鈴木実穂さん(43)は、大川小6年だった長男の堅登(けんと)君=当時(12)=と4年だった長女の巴那(はな)さん=当時(9)=を震災で失った。堅登君の遺体はすぐに見つかったが、巴那さんは今も見つかっていない。

 実穂さんは、大川小の脇を流れる川で2月14日から10日間にわたって行われた大規模捜索に連日立ち会った。寒風が吹き荒れる中、汚泥を確かめ、休憩時には重機の窓ガラスを拭いた。「これが頼みの綱だから」。いてもたってもいられなかった。

 捜索の最中の2月19日、2人の一周忌が近くのお寺で営まれた。夫の義明さん(50)が昨年秋、迷いながらも予約していたからだ。「1年たつころには巴那も見つかると思っていた。今は静かに見つけ出すのを待ってくれているはず」。そう心に言い聞かせて手を合わせた。

  両親は震災以降、大川小に通い、巴那さんの手がかりを探し続けた。義明さんは週1回の休みを潰し、実穂さんは仕事を辞めた。 「夢の中でいいから会いたい」。昨年4月、実穂さんはそんな思いから2人に宛てた手紙を書き始めた。

 《お兄ちゃんと巴那には『なみだをみせるな!』って言っていたお母さんなのに すっかり泣き虫になってしまいました》

 日が暮れ、季節が移るたび、「今日こそ戻ってくる」という思いが何度もくじけそうになった。

 

《お父さんもお母さんもいろいろな人たちに支えられて毎日がんばれてます。きっときっと会えるから。待っててね。待っててね》

 巴那さんに届くよう、手紙はひと月に1回ほど大川小の献花台に添えた。

 《となりにお母さんがいなくてもねむれてる? お母さんは朝おきた時 もしかしたらとなりに巴那がねているんじゃないかって毎日のように思ってしまいます》

 今年1月、実穂さんはようやく手紙を書く手を止められるようになった。巴那さんが初めて夢に出てきたからだ。

  

 葬儀も済ませた。一周忌法要も営んだ。だが、区切りは付けられなかった。「必ず戻ってくる。それまではずっと捜し続けてやりたい」。そう誓い合う両親が最近、堅登君と巴那さんについてそれぞれ感じていることがある。

 堅登君が震災当日に背負っていたランドセルに、巴那さんが大好きだったアイドルグループ「嵐」の本が入っていた。「分厚い本なのに妹のために何度も図書館で借りていたらしい。お兄ちゃんも絶対、一緒に巴那を捜してくれている」

 巴那さんは友達を気遣い、教室を出たり整列したりするときはいつも最後になっていた。「みんなの後ろに付いていくタイプだった。他の子供たちが全員見つかるのを見守って最後に戻ってくる。本人はそう思っているのかもしれない」

 5月には兄妹の墓が完成する。墓石には両親の思いが込められ、両手に幼子を抱くお地蔵さんが刻まれる。

 「また、2人を抱きしめたい。いつまでも抱きしめていたい」

(是永桂一、荒船清太) 


大川小:一周忌法要  校長と教育委員会の責任がほとんどすべてだ!

2012年03月04日 | 哀悼

  大川小の悲劇は全面的に人災である。

  自然災害を人災にしてしまったのは、菅も同じだが、この校長も管理能力と意思と気概において無能であった。その彼は未だ校長という。普段はどうでも仕事をしているようだが、彼らの力量はいざというときに発揮されなければ何の意味もない。

 私事を優先した勤務態度で日常を過ごしていたのが、今回の悲劇を生んだ。

 さらに無能な決断できない教頭の存在。彼は自分の判断で犠牲者をだした。教務主任で山に避難することを進言した職員は数人の子供と助かった。もっとも学校をよく知っている教務の話を聞けなかったのは教頭の人格の不徳というものだ。

 管理職になるということはそのくらいの覚悟が必要なのだ。

 戦後の教育行政はそのような覚悟を管理職という「授業放棄者」に真には求めなかった。

 だから心ある管理職は自らその覚悟と知恵を磨くのだ。それが普通だ。だから同じ石巻の学校でも被害の少ない学校があるのだ。

  繰り返すが大川小の悲劇は人災だ。校長も教育委員会も天災に隠れてごまかすつもりなのか?

 

 

 

宮城・大川小の一周忌=84人死亡不明、遺族「実感ない」 時事通信 3月4日(日)18時51分配信

 東日本大震災の津波で児童74人と教員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の一周忌法要が4日、石巻市の公共施設で行われた。遺族と在校生約500人が参列し、遺族代表の武山剛さん(57)は「生かされた命を大切に、泣きながら苦しみながらも懸命に生きていこう」と呼び掛けた。
 祭壇には遺影が並び、バラやカーネーション計8300本で作った校章のオブジェが飾られた。献花台には色とりどりの菊が積み重ねられた。
 次女の千聖さん=当時(11)=を亡くした紫桃隆洋さん(47)は、「自分で遺体を抱き上げたが、いまだに実感がない。(死を)認めたくない気持ちもある」と伏し目がちに語った。
 昨年3月18日に火葬した遺骨をなかなか手放せず、ずっと自宅に置いていた。震災1年を迎えるに当たり、3日に納骨を済ませたという。隆洋さんは「1年たったが、なぜすぐに避難しなかったのか分かっていない。亡くなった命を無駄にしないためにも学校や市教育委員会はきちんと検証してほしい」と訴えた。

東日本大震災 全校児童の7割が津波の犠牲になった宮城・大川小学校の1周忌法要

フジテレビ系(FNN) 3月4日(日)17時52分配信

東日本大震災の発生から1年になるのを前に、宮城・石巻市で、全校児童の7割が津波の犠牲になった大川小学校の1周忌法要が営まれた。
震災から1年を前に、大川小学校の合同供養式が、石巻市の河北総合センターで営まれた。
会場には、児童の保護者らが続々と入っていった。
1周忌の法要には、保護者などおよそ500人が参列した。
石巻市の大川小学校では、津波で全校児童108人のうち70人が亡くなり、4人の行方が、現在もわからないままとなっている。
祭壇には、犠牲になった児童と教職員の写真が飾られ、参列者が花を手向けたという。
大川小学校をめぐっては、2012年1月の保護者説明会で、市の教育委員会が、人災の面があったことを認め、公式に謝罪している。

 

 

石巻・大川小で合同一周忌法要 「耐える日々が続いている」2012.3.4 21:16 産経

 

東日本大震災から1年を前に営まれた大川小学校の一周忌法要。津波の犠牲になった児童らの遺影が祭壇に飾られた=4日午前、宮城県石巻市(代表撮影)

 東日本大震災で児童70人と教職員9人が死亡し、児童4人と教職員1人が行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の合同一周忌法要が4日、市内のホールで営まれた。遺族らと同校が主催し、参列者約500人が冥福を祈った。

 児童と教職員の遺影が並べられた祭壇には、遺族や在校児童一人一人から花が手向けられた。

 遺族会の武山剛会長は「苦しくつらい思いは少しも癒えることなく、耐える日々が続いている」と述べ、犠牲者の鎮魂と捜索続行、防災行政の見直しを訴えた。

 3年だった一人娘の香奈さん=当時(9)=を失った中村次男さん(38)は「1年という区切りは全く感じないが、静かに祈りたい」と話し、法要後も大川小校舎前の祭壇と、近くの墓で手を合わせた。

 市教委は1月、遺族への説明会で学校側の責任の一端を認めたが、一部の遺族からさらなる調査と検証を求める声が上がっている。