う~ん、我田引水・贔屓の引き倒し、いや牽強付会というべきか。記事にされた方がかわいそうだと思うのは私だけか。毎日新聞はコンビニにはおいてないところが多く買うことが困難だが、ネットで主要な記事は読めるのである意味助かる。
しかし、この記事はこれでいいのだろうか?
ポイントは一つ。問題になっているのは「従軍慰安婦」の強制徴収の有無であり。「慰安婦」の存在が歴史的事実であることは誰でも知っていよう。
戦争に慰安婦を伴ったのは何も我が国だけではない。
良い悪いの前に事実を確認してから記事は書くべきだ。記者は例え本人がそのように言ったとしても記事にするときは注釈をつけるなどすべきだ。
これだから毎日はといわれるのだ!
終戦記念日:戦争と平和を語る座談会 真実、伝える使命--高知 /高知
66回目の終戦の日を迎えた15日、県内各地で戦没者を悼む行事が行われた。高知市の市立自由民権記念館では「戦争と平和を語る座談会」があり、戦争経験者も参加して平和の尊さについて訴えたほか、後世に戦争を語り継ぐ必要性についても意見が交わされた。
23年前から行われている座談会には約20人が出席。戦争当時、教員をしていたという市原正子さん(95)は「(学徒動員で)昼間は、戦闘機の先端を作る軍の工場に生徒を連れて行った。お国のために良いことをしていると思っていたが、その戦闘機で多くの人の命が失われたかもしれないと考えると、今さらながら申し訳なく思う」と語った。
また、従軍していたという同市比島町3の大川愛郎さん(82)は「今はものすごく後悔し、申し訳ない気持ちでいっぱいだが」と口を開くと、自身が台湾に派遣されていた当時、慰安所を利用したことを告白した。
沖縄戦が始まる直前に、上官から「いつ死ぬか分からない。死ぬ前に(慰安所に)行ってこい」と命令されたのを鮮明に覚えているという大川さんは「現在(慰安婦の存在が)あったなかったと議論されるが、当時を知るものとして(慰安婦がいたという)真実を後世まで残すことが私の役目だと思う」と話した。
一方、これらの話を聞いていた戦後生まれの参加者たちからは「二度と悲劇を生まないよう、これからの世代に伝えていく教育こそが重要だ」「戦争がいまだ起こっている他国も平和になるような世界にしていかねばならない」といった意見が出された。
座談会終了後、正午になると参加者全員が黙とうをささげ、戦没者たちを追悼した。【倉沢仁志】