榧の木祭り 価格:¥ 945(税込) 発売日:1978-01 |
一応健在なんだね、このヒト、小説は書いてないみたいだけど、それ言ったら庄治薫だって書いてないし
前にこの作品を芥川賞受賞作の中で一番の傑作だと思うと書いた、だけど古書をゲトできたので読み直したらやっぱかなり問題ありだと思った、確かにドラマチックなストーリーだがこのアイディアはどう考えてもパクリなのだ、誰もつっこまなかったのがフシギ
悪魔の収穫祭 (1976年) 価格:¥ 1,260(税込) 発売日:1976 |
で元ネタはこれ、やっぱ古書しかないね、もう一回買う気はないんで記憶だけで書くけど、メインテーマは「豊作を祈る祭りで一人の男が生贄にされ選ばれた女がその子供を産む」
「榧の木」のテーマはまさにそれ、ただあちらのトウモロコシ畑をこちらの榧の木山に置き換えたせいで設定に微妙なムリがかかってるし(木の根元に穴を掘って死体を埋めるってそう簡単じゃないと思うよ)、元ネタは明らかに20世紀のUSAを舞台にしてるところが、こちらはいつの日本なのか全くわからない(だからかどうか服装の記述が全くない)、どこの地方という具体的な土地を決められないせいか、登場人物のしゃべり方もどこか不自然(語尾がほとんど「だぞ」、たまに「やんす」、ヒトの呼び方が「へーあん」、「きーあん」、「姉あん」・・・どこの言葉だよ?)、さらに重要な役を果たす二人の男の子は向こうがジャスティンとラージー、こちらはガシンとコウジ、わざわざ日本人の名前としては不自然なガシン(餓死の意味らしい)って・・・・
また今回仰天したのは「四斗籠を背負う」こと、おいおい四斗ってば72リッターだぜ、ヒト一人が余裕で入る、そんなの女に背負えるか、その籠に木の実を20杯も集めるって、いったい何年分だよ?(お米なら四斗=一俵=60キロはまあ4ヶ月分って見当?)、さらに榧の種は主食にならないらしい、結局よそで採れるお米と交換するのだ、それだったら飢饉でお米がとれなくなれば一蓮托生ではないか、特にこの里の暮らしが米作農家より有利とは思えんけど-とまあ、パクリでない設定はかなり破綻してるわけで、ホント誰もつっこまなかったのがフシギだよ、選考委員ってマジに読んでないんじゃないか(明らかに読んでない選評がまちがいなくあったな)
で、もう面倒だから書かないけど、この本に収録されてるもう一作「鏡の栖」がまたそうとうにヒドい、これ受賞第一作じゃない普通の第二作だったらしいんだよな、まさしく「補助輪なしで走れる」ことを確かめてから授賞しても遅くなかった(佐藤亜紀さんの言)と思うよ
で、これいったい何をやったんだって、34年目の決着、当時の選考委員が生きてるかどうかは知らんが・・・
追記-大江健三郎(当時約40歳)はまだ生きてる、その他皆様の選評もあり(こちら)、絶対読んでないのは瀧井孝作(岐阜県出身)だけど、歳が歳だったからしゃーない、つかそんな年寄りに選考委員やらせる方が悪いよな
もう一つ追記-井上靖いわく「こうした土俗的世界を取り扱う場合、こうした世界を取り扱わざるを得ない作者の心の落款のようなものが捺されてなければならないが、それは感じられなかった」、これってすごく鋭くない?元ネタ知らなくても何となくわかったんだよね、パクリだって
というわけ、今さらだけど文句あるならいつでも言ってちょ、高城修三殿?
と書いてから気がついた(ウソ)、今日までこの名前を記憶してたのはたまたま浦瀬キャップと同姓だったからかもね