聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

はじめての教理問答1~5 「あなたを作ったのはどなたですか?」エペソ1章3~12節

2018-07-09 16:06:18 | はじめての教理問答

2018/7/8 「あなたを作ったのはどなたですか?」エペソ1章3~12節

はじめての教理問答1~5

 今日から新しく「はじめての教理問答」というシリーズをお話しします。

今、長老教会の教育委員会で、子どもたちが聖書の真理をよく分かるようにしたいと取り組んでいるのが、この本です。一緒に読んでいきたいと思うのです。とても簡単に、分かりやすく、そして大切なことを、繰り返して味わって、神さまを賛美したいのです。全部で150問ありますが、短いので、今日は五つを見ていきましょう。

問1 あなたを作ったのはどなたですか。

答 神さまです。

問2 神さまはほかになにを作りましたか。

答 神さまはすべてのものを作りました。

 今日は、一番初めの基本的なこと、神さまは造り主です、ということです。「あなたを作ったのはどなたですか。神さまです」。いいや、私はお母さんから産まれてきましたって言われたらどうしましょう? それはそうですね。人間はお父さんとお母さんとがいて、お母さんから産まれてくるものです。また、神さまが私たちを生かしてくださっていますが、目に見えるのはご飯やそれを作る沢山の人たちだったり、植物や家畜、太陽や地球です。そういう科学と、神様を信じることとは時々ぶつかるように見えます。でも難しく考えなくて良いのです。この世界、お母さんから子どもが生まれたり、自然が巡り巡って食べ物をくれたり、生かし合ったりしている、このままの世界が、神がお造りになったものなのです。あなたを作ったのも神さまですし、すべてのものは神がお造りになったのです。世界は偶然に出来たのではなく、神がお造りになった、巨大な作品です。そして、その世界の中の、本当に本当に本当に小さい私たち人間も、一人一人が偶然に産まれたものではなくて、神さまがお造りになった、特別な存在なのです。

 今日の聖書の箇所には、こう書かれてありました。

エペソ一4すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

 神は世界をお造りになるより前、その土台を作るよりも先に、私たちを選んで、神の子どもとしようと決めておられました。神が世界をお造りになる時に、もう私たちを作る時を見ておられたなんて、信じがたい事ですが、聖書にはそう書かれています。それも私たちが神から離れても、イエス・キリストによって神の子どもになる、というのが神さまのご計画でした。そういうことを定めるような、神さまは愛のお方なのです。そして私たちがイエス・キリストによって神の子どもにされる時、私たちは神をほめ称えます。神が愛する子イエス・キリストを送って、私たちを神の子どもにしてくださった恵みを賛美せずにはおれません。問3でこう言われていました。

問3 神さまはなんのために、あなたをふくめ、すべてのものを作ったのですか? 答 ご自身の栄光のためです。

問4 どうすれば神さまの栄光をあらわすことができますか。 答 神さまを愛し、お命じになることをおこなうことです。

問5 どうして、神さまの栄光をあらわさなくてはならないのでしょう? 答 神さまがわたしを作り、やしなってくださるからです。

 神が私たちやこの世界をお造りになったのは、神の栄光のためです。その神の栄光とは、エペソ書では「恵みの栄光」と言われていたように、神が私たちを愛されて、神ご自身が愛する子イエスとともに私たちを神の子どもとしてくださるという栄光です。そういう神の愛や喜びが、この世界に現されています。私たちは、御子イエス・キリストの十字架の死と復活を通して、この神の愛を最もハッキリと伝えられています。神が私を愛して、全ての罪を赦して、私たちを神の子どもとして受け入れてくださるのです。

 そればかりではありません。この世界そのものが、その神がお造りになったもので、世界が神の栄光を現しています。

 世界を知れば知るほど、動物の不思議や宇宙の神秘に打たれます。神さまの想像力は豊かです。宇宙も海の生物も、人間、地球…まだまだたくさんの驚きがあります。ぜひ、世界を知ってください。ゲームやテレビやスマホよりももっと面白い世界が、現実です。そして、その世界に支えられ、生かし合っているなんて素晴らしいことです。私たちはこの宇宙の中で、世界とつながって存在しています。このとてつもない大きな世界の中に、神は私たち小さな人間を置かれました。そして、この私たちのために御子イエスが来て下さることによって、神の栄光は何よりも愛の栄光なのだと現してくださいました。

 だから、私たちがどうすれば神の栄光を現すことが出来るのか、といえば、私たちが神を愛し、神の命令にお従いすることによって、です。私たちが神を愛する時、それが神の栄光を現すことになるのです。大きなことやスゴイことをするのではなく、ただ神を愛し、神の愛を受け取る時に、それが私たちに出来る神の栄光の現し方なのです。「神の命令に従う」も、神が聖書において示して下さっている大切な命令の事ですから、自爆テロみたいな怖いことではないのです。

 神が私を作られ、世界を造られたと知る時、そして、世界がどれほどユニークで、大きくて、不思議かを知れば知るほど、私たちのために神が用意されている人生や役割にもワクワクしてきます。真面目に礼拝に来て、聖書を読んでいても、神を小さく堅苦しく考えるのは、つまらない生き方です。聖書を読む者は、神が作られた世界をも楽しみ、眺めて、神を称えるよう招かれています。神が愛されている一人一人を愛おしみ、これからも神が美しいご計画を用意されていると信じる。そしてもはや自分のためではなく神の栄光のために生きるのです。神がイエス・キリストによってご自身の子としてくださった皆さんを通して、神はどんな栄光を現されるでしょうか。皆さんにどんな人生を歩ませてくださるでしょうか。本当に楽しみにして、一緒に見て行きたいと思います。

 

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