聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

ルカ1章26~38節「マリアへの御告げ」アドベント第3聖日

2018-12-17 09:27:32 | 聖書の物語の全体像

2018/12/16 ルカ1章26~38節「マリアへの御告げ」アドベント第3聖日

 クリスマス礼拝を前に「受胎告知」の箇所を読みました。イエスの母マリアに御使いが現れて、子を宿す事を告げたのです。その前、5~25節では、同じ御使いが祭司ザカリヤに現れて、洗礼者ヨハネの誕生を告げ知らせました。それは聖書の舞台の中心地、エルサレム神殿での出来事でした。その大都市エルサレムから、26節では一転して辺境のガリラヤ、歴史的にも殆ど記録のない小さな寒村ナザレに一挙に場面が切り替わります。そこにいた一人の少女、12歳頃のマリアという少女に御使いが現れる、大変ドラマチックな移動から始まっているのです。

 御使いが現れてマリアに挨拶した時、マリアはひどく戸惑って、考え込んでしまうのです。

ルカ一30すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。31見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。32その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。33彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」

 御使いはマリアが身ごもって男の子を産むことを宣言します。その子は大いなる者となり、いと高き方(つまり造り主なる唯一の神)の子と呼ばれると言います。マリアの子でありつつ、大いなる神の子なのです。そして、神はその子どもに

「ダビデの王位をお与えになります」

とあります。このダビデについてお話ししましょう。ダビデはイスラエル民族にとって偉大な先祖です。紀元前一千年頃、バラバラだったイスラエル民族を統一して安定した時代を築き上げた王です。ダビデの生涯は旧約聖書のサムエル記に詳しく記されています。また、詩や音楽の才能もあって、旧約聖書の詩篇は多くがダビデに結びつけられています。そして、彼は主なる神に愛された王でした。主ご自身がダビデに、永遠の家を建てるという約束をしていたのです。

Ⅱサムエル七11…主があなたのために一つの家を造る、と。12あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。…16あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」[1]

 この約束を「ダビデ契約」とも呼びます。主がダビデに、ダビデの子孫の中から永遠の王となる方を立てて、永久に治めさせると約束されたのです。主ご自身の約束であり預言でした。この預言の言葉を、今日の御使いの言葉も受けていて、続きの33節にもこう言われています。

33彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」

 ダビデから千年経ったこの時代にも、聖書の人々は約束された

「永久の王」

が来るのを待っていたのです[2]。御使いが告げているのは、その王の誕生です。マリアはダビデ契約を思い出して、待ち望んでいた王の登場だと悟ったはずです。しかし、それは喜びであるよりも、自分がその「王」の母となると言われて、どれほど驚いたことでしょう。どれほど戸惑い、恐れたことでしょうか。自分がマリアだったらと想像してください。決して「マリアが特別に立派で、大人で、信仰心の篤い人だったから」とは書かれていません。むしろマリアは、

48この卑しいはしために目を留めてくださった…。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。49力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。

と言います。自分は卑しく小さな者だ、その私に神である主が目を留めて、大きなことをしてくださったから、主をあがめて讃えます、とマリアは歌うのです。その続きで55節までの賛歌で歌っているのは、主が権力者を引き降ろし、低い者を高く引き上げ、飢えた者を満たし、富む者を一文無しになさる、そういう逆転をなさる神です。

 神は人間の権力者が造り上げたピラミッドの世界を引っ繰り返してしまう。イエス・キリストが「ダビデの子」と呼ばれて、永久に神の民を治めてくださるのは、田舎の少女のマリアに最初に告げられたように、世界の底辺や周辺の人に届けられる。悲しむ人、疲れた人、卑しめられる人に、キリストは来て、王となってくださる。闇をそっと照らして、慰めや喜びや歌や踊りを与えるという契約なのです。

 ダビデ自身がそんな人でした。八人兄弟の末っ子で、父親は彼を息子の一人と見なさず、羊の番を任せるだけの存在としか認めていませんでした。そのダビデを主は選んで、王にしてくださったのです。そして、後にはダビデの末から永遠の王が出る、という先ほどの「ダビデ契約」まで約束してくださったのです。その時ダビデは、こう言わずにおれません。

 神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。19、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました[3]

 こう言ったダビデは、その後間もなく大変な不法を働きます。部下の妻を寝取り、その部下を他の兵士たち諸共、戦死させるのです。神はそのダビデには厳しく誤魔化させずに対決なさいます。でもそれは、ダビデが悔い改めて、償いをして、本物の回復をしていくためでした。主はダビデとともにいてくださいました。ダビデだけではありません。神の御支配はずっと、低い者を引き上げ、高い者を卑しくし、人の傲慢を打ち砕いて、闇の中の人に光を届け、人を本当に回復する御支配です。聖書には主がこの世界に働いて、人の思い上がりを砕いて、主を恐れるものを生かされる憐れみの御支配が書かれている、その完成が主の約束だと、マリアは歌い上げるのです。37節に戻って、御使いがマリアにかける言葉の結びを読みましょう。

37「神にとって不可能なことは何もありません。」

 新改訳聖書2017の欄外注にある通り、この「こと」は「語られた言葉」です。神が語られた言葉、神が語られた事柄に不可能はない。それは、マリアの胎にキリストが宿るという言葉だけではありません。ダビデに告げられていた永久の王の言葉です。神がこの世界の痛みや不正や闇を癒やして真実に治めてくださる、と語られた言葉です。神が語られたダビデ契約は、不可能なことではない。神がこの世界を治めてくださって、本当の平和をもたらしてくださると語られた言葉は、何ら不可能なことではない。その王がマリアの胎に宿ること、主の憐れみが卑しい人を引き上げて、高ぶっている人が謙らされ、この世界を平和と喜びが支配することも、神が語られた以上、不可能ではない。そして、マリアはこう応えます。

38マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」

 マリアはこれからの苦労や大変さも予感しつつ[4]、この時点で精一杯の告白をして、主に自分を差し出しています。これはマリアがイエスを宿す処女懐胎だけを指してはいません。神が語られた言葉、ダビデに約束された永遠の王という契約、その方による平和、この世界の差別や争いや悲しみがすべて慰められるという約束が、必ず果たされると受け止めたのです[5]。ならば、自分では役者不足だとしか思えなくとも「この身に」と受け入れたのです。私たち一人一人も、この神の語られた約束の中に、身分不相応な持ち場を与えられます。私たちの中にも神は命の業を現されます。私たちの「この身」を憐れみの器として用いられます。思い上がりは砕いて、悲しみを慰めて、代々の人たちと一緒に主を崇めさせてくださいます。主がこの世界の片隅や暗闇に恵みを注いで幸いにしてくださったと、心から主を誉め称えさせてくださる。それは人には不可能に見えても、主が語られた以上、不可能ではないのです。その大きなご計画の中に自分を受け止めたマリアの告白は、キリストにある者全ての告白なのです。

「主よ、私たちもあなたのしもべです。どうぞ、あなたのお言葉通りこの身になりますように。あなたの憐れみが世界を覆うために、私たちのうちに働いてください。主が永久の王として世界を照らし、癒やし、新しくしてくださることが不可能ではないと信じます。主が低くなって、すべての人の友となられたように、高ぶりや壁を溶かし、あなたの恵みの見本としてください」



[1] Ⅱサムエル七11~16「それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。12あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。14わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。15しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。16あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」

[2] 実際のダビデの子は「永久の王」には役者不足でした。だからこそ、約束の「ダビデの子」が現れるのを待ち望んでいたのです。

[3] ダビデの応答の祈りの全文は次の通り。「18ダビデ王は主の前に出て、座して言った。「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。19神、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。20ダビデはこの上、何を加えて、あなたに申し上げることができるでしょうか。神である主よ、あなたはこのしもべをよくご存じです。21あなたは、ご自分のみことばのゆえに、そしてみこころのままに、この大いなることのすべてを行い、あなたのしもべに知らせてくださいました。22それゆえ、申し上げます。神、主よ、あなたは大いなる方です。まことに、私たちが耳にするすべてにおいて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません。23また、地上のどの国民があなたの民イスラエルのようでしょうか。御使いたちが行って、その民を御民として贖い、御名を置き、大いなる恐るべきことをあなたの国のために、あなたの民の前で彼らのために行われました。あなたは、彼らをご自分のためにエジプトから、異邦の民とその神々から贖い出されたのです。24そして、あなたの民イスラエルを、ご自分のために、とこしえまでもあなたの民として立てられました。主よ、あなたは彼らの神となられました。25今、神である主よ。あなたが、このしもべとその家についてお語りになったことばを、とこしえまでも保ち、お語りになったとおりに行ってください。26こうして、あなたの御名がとこしえまでも大いなるものとなり、『万軍の主はイスラエルを治める神』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立ちますように。イスラエルの神、万軍の主よ。あなたはこのしもべの耳を開き、『わたしがあなたのために一つの家を建てる』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。28今、神、主よ、あなたこそ神です。あなたのおことばは、まことです。あなたはこのしもべに、この良いことを約束してくださいました。29今、どうか、あなたのしもべの家を祝福して、御前にとこしえに続くようにしてください。神である主よ、あなたがお語りになったからです。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家がとこしえに祝福されますように。」

[4] ルカ2章34節以下で、老人シメオンがマリアに告げる通りです。「34シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。35あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

[5] 実際、生まれるイエスはご自身が痛み、忍耐し、罵られ傷つけられながら、ご自分の命を差し出す王です。人の痛みや暴力を、全身で受け止めて悲しまれながら、人間の心の奥深くから新しくなさる王です。人に罰や規則を与える支配者ではなく、徹底的に仕える王です。

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