聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

問112「優しく真実を語る」エペソ4章22節―5章2節

2018-02-04 17:59:11 | ハイデルベルグ信仰問答講解

2018/2/4 ハ信仰問答112「優しく真実を語る」エペソ4章22節―5章2節

 今日は十誡の第九戒

「あなたの隣人について偽証をしてはならない」

です。「偽証」とは「嘘の証言」のことです。本当のことを話すべき時に、嘘を言うことです。でもただ「嘘はいけません」というだけではないのでしょう。

問112 第九戒では何が求められていますか。

答 わたしが誰に対しても偽りの証言をせず、誰の言葉をも曲げず、陰口や中傷する者にならず、誰かを調べもせずに軽率に断罪するようなことに手を貸さないこと、かえって、あらゆる嘘やごまかしを、悪魔の業そのものとして、神の激しい御怒りのゆえに遠ざけ、裁判やその他あらゆる行為においては真理を愛し、正直に語りまた告白し、さらにまた、わたしの隣人の栄誉と威信とをわたしの力の限り守り促進する、ということです。

 偽りの証言をしないだけでなく、誰の言葉をも曲げない。陰口、中傷、根拠の曖昧な非難、そういうものまで遠ざけることだと言っています。ここまで言うのは、言葉というものがとても強い力を持っているからです。悪意の噂話で、社会から葬られたり、人生を狂わされたりしてしまうことは今でもたくさん起こっています。第六戒から、

「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」

と見てきました。殺人から偽証になって、神は軽い罪まで重箱の隅を突くような揚げ足取りをしているのでしょうか。いいえ、偽証という言葉の罪の方が、殺人と等しいダメージを広く世界に与えているのでしょう。決して、嘘の方が軽い、ということではないはずです。

 先のエペソ人への手紙でも「新しい人を着る」という事に続いての具体的な勧めで、

25あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。

29悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。

31無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。32互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

五1ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。

と言葉についての教えが繰り返されていました。自分の言葉から嘘や悪意を取っていく。でもここでも、ただ何でも本当のことを言いなさい、とは言っていません。よく「本当のことを言って何が悪い」という言い方を聞きますね。嘘ではなくて、事実だとしても、それが人を貶めるような冷たい事実なら、言ってはならない場合もあるのです。また、言う側の心が冷たくて、相手を憎んだり、怒りや踏みつけたい思いで語ったりするならば、それも

「偽証をしてはならない」

の精神とは反対のことなのです。

 とても難しいことかも知れません。傷つけても良いわけではないけれど、傷つけたらダメ、ということでもありません。本当の事を言うことを躊躇う場合もあれば、後から本当のことを言っておけば良かった、という場合もあるでしょう。ですから、やっぱり本当のことを言った方が良い場合が殆どです。正直が一番です。ただ、自分が言わなくてもいいことまでべらべらしゃべる義務は誰にもありません。そのためにも、普段から、あまりおしゃべりや調子を合わせた話はしないほうがよいのです。

 このエペソ書の言葉でも、ただ私たちに真実を語りなさい、嘘はいけません、というルールを言っているのではありません。

「私たちは互いに、からだの一部分なのです。」

とありました。

「愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい」

とありました。神が私たちを愛してくださり、一つの体のように強い結びつきをくださったのです。ですから、互いに生かし合う言葉を使うのです。お互いに役立つ言葉を使うのです。嘘で誤魔化したりもしないし、本当だからといって人を貶める言い方もしないのです。

 そして、とても大事なのは、私たちが神にすべてを知られた上で愛されていることを覚えることです。私たちが嘘をつくのはどんな時でしょうか。自分を庇う時、本当のことを言ったら困ると思う時でしょう。そして、自分の自信のなさや間違いが嫌だから、刺々しい言葉を吐いてしまうのです。嘘でも本当でも武器にして、自分を守るのです。

 そういう恐れはもう要りません。自分の弱さも失敗も、間違いも素直に認めたら良い。神は私たちの全てをご存じです。私たちが嘘や冷たい言葉で傷つけ合っていることもご存じです。そのような私たちを裁いて、脅して、切り捨てようとなさったでしょうか。いいえ私たちのために、神の子イエス・キリストはこの世に来て下さり、真実な言葉を語ってくださいました。愛の言葉を語り、神に立ち帰る幸せを約束してくださいました。そして、御自身のいのちを十字架に捨てて、その約束を果たしてくださいました。

 世界に最初に嘘を持ち込んだのは悪魔です。悪魔は人間に神様の言葉を疑う思いを吹き込みました。それ以来、人間は神様の言葉を信じられなくなりました。神の御真実や確かさや愛を信じないままなら、まだ騙されたままです。キリストが愛して下さっているのに「あんな人は誰からも愛されない」と言ったり、主が赦して下さったのに「こんなことをした自分はダメだ」と絶望したり、御言葉が慰めや約束を下さっているのに、「もうお終いだ」と人や自分に言うならば、それは嘘です。神様がイエス様においてハッキリ示して下さった恵みと愛こそ永遠の真実です。世界が滅びても、神の言葉は変わりません。私たちの中にはその事実が取り戻されていく途中です。まだ失敗したり、間違ったり、不安になったりします。そういう私たちに、聖書は変わらない真実を語ってくれます。神を天の父として信頼するよう招いてくれます。安心させてくれます。希望をくれます。だから、人にも優しい言葉をかけるのです。優しく真実を語るのです。

 そして、人と話す時に、私たちは正直でいましょう。背伸びをしたり知ったかぶりをしたりせず、分からないことは分からないと言い、間違っていること、嬉しかったこと、悲しかった気持ちを素直に分かち合いましょう。また、黙っている沈黙でもいいのです。イエス様がそこで聞いておられることを思いながら、正直に、希望をもって語りましょう。その安心感は、そこにいる皆を、嘘をつく必要はない、事実を曲げたり、恥じたり、人を責めたりせずに、焦って何かを話そうとしなくてもいい。ありのままの自分を語って、そのままの自分がいることが受け止めてもらえる。そういう恵みが始まるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 使徒の働き16章19-34節「あ... | トップ | 使徒の働き17章22-34節「手... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ハイデルベルグ信仰問答講解」カテゴリの最新記事