来年、受験を控えている高校3年生の長男が、勉強に疲れると仕事をしている
私の周りでちょっかいを出しながら気分転換をして行くので、迷惑な奴だが
結構、高校生の視点というのは新鮮で面白いなとも思いながら話をしている。
基本的に親が高校時代在籍していた学校よりも進学校に通っている状態でもあり
私は完璧に文系、それも芸術系だったので、奴と同じ時代のこの夏休みの時期には
受験勉強で一生懸命デッサンをしてたから、理系に進む奴とは全く勉強が違う。
奴は数学のややこしい問題に向合って過ごす時間にやりがいを感じて一生懸命に
数字と向合う時間が楽しいのかも知れない、難しいと言いながら楽しそうだ。
そんな奴にはこっちがデッサンで描いたもの、色彩構成や、立体造形などは答えが
曖昧で魅力を感じないのかも知れないが、私はこれに嵌っていたし案外夢中だった
そんな親子でも受験観が違うのが結構楽しいし、実際に私の父親は理系の機会畑、
工場長をしていたし、兄貴もそんな世界で頑張っている、でも自分はそんな事を
仕事にするイメージがまるで湧かなかったけど、親父が働いている姿は好きだった
先日、夢の中で自分が受験生になっていて、長男の様に塾に通い、数学の公式を
突きつけられて、明日までに理解して来いと言われた時に「恐怖感で飛び起きた」
本当にこれは辛いなと自分は感じているが、それも個々の感性なんですね。
世の中は真実や現実としての出来事は一つしかないと思いますが、それを見て
受け止め方や、感じ方、理解の仕方はそれこそ人の数ほどある訳です。
天国も地獄も、もしかしたら同じものがあるだけで、人がどっちから見るかだけの
違いかも知れません、お釈迦様は「生きると言うのは辛い事」だと言ったのは
そんな同じモノを見るのだから、辛いと言ってた方が案外良いところが見えるから
そういったのかも知れない。
今更、数学に情熱を傾けるのは無理かもしれないが、数理的な魅力は理解したいと
思うし、サイエンスは大好き、そんな包括的な事が好きだからこそ活かせる事が
実は仕事なのかも知れないなと思うと、仕事も「天国も地獄」は紙一重ですよね。
地獄でもほめられたり成果が出ると、それが天国かもと思うと妙に納得です。
私の周りでちょっかいを出しながら気分転換をして行くので、迷惑な奴だが
結構、高校生の視点というのは新鮮で面白いなとも思いながら話をしている。
基本的に親が高校時代在籍していた学校よりも進学校に通っている状態でもあり
私は完璧に文系、それも芸術系だったので、奴と同じ時代のこの夏休みの時期には
受験勉強で一生懸命デッサンをしてたから、理系に進む奴とは全く勉強が違う。
奴は数学のややこしい問題に向合って過ごす時間にやりがいを感じて一生懸命に
数字と向合う時間が楽しいのかも知れない、難しいと言いながら楽しそうだ。
そんな奴にはこっちがデッサンで描いたもの、色彩構成や、立体造形などは答えが
曖昧で魅力を感じないのかも知れないが、私はこれに嵌っていたし案外夢中だった
そんな親子でも受験観が違うのが結構楽しいし、実際に私の父親は理系の機会畑、
工場長をしていたし、兄貴もそんな世界で頑張っている、でも自分はそんな事を
仕事にするイメージがまるで湧かなかったけど、親父が働いている姿は好きだった
先日、夢の中で自分が受験生になっていて、長男の様に塾に通い、数学の公式を
突きつけられて、明日までに理解して来いと言われた時に「恐怖感で飛び起きた」
本当にこれは辛いなと自分は感じているが、それも個々の感性なんですね。
世の中は真実や現実としての出来事は一つしかないと思いますが、それを見て
受け止め方や、感じ方、理解の仕方はそれこそ人の数ほどある訳です。
天国も地獄も、もしかしたら同じものがあるだけで、人がどっちから見るかだけの
違いかも知れません、お釈迦様は「生きると言うのは辛い事」だと言ったのは
そんな同じモノを見るのだから、辛いと言ってた方が案外良いところが見えるから
そういったのかも知れない。
今更、数学に情熱を傾けるのは無理かもしれないが、数理的な魅力は理解したいと
思うし、サイエンスは大好き、そんな包括的な事が好きだからこそ活かせる事が
実は仕事なのかも知れないなと思うと、仕事も「天国も地獄」は紙一重ですよね。
地獄でもほめられたり成果が出ると、それが天国かもと思うと妙に納得です。