物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

中性子星の合体

2017-10-18 11:45:30 | 日記

による重力波とそれから来る光をとらえたと昨日の朝日新聞の一面のトップ見出し記事であった。NHKとかのニュースでは見ていないので、朝日新聞の特別の記事であろう。

ブラックホールの合体による重力波はすでに検出されて、今年のノーベル賞の対象になった。だが、ブラックホールよりも質量の小さな中性子星の合体による重力波とそれにより光の観測に成功したということである。重力波天文学と普通の天文学との協力ができるようになった。

普通の天文学というのは電磁波による天文学である。電磁波は光をその一種として含んでいる。はじめは光による天文学が一番初めに始まったのであろうが、いまではガンマ線とかX線とかの電磁波の天文学も進んでいる。

中性子星とブラックホールとの関係であるが、恒星が星の最後の段階で超新星爆発を起こすときに、その恒星の質量によって中性子星となったり、ブラックホールになったりするのだったと思う。恒星の質量があまり大きくないとき(太陽の質量の数倍くらいのとき)に中性子星になり、もっとおおきな質量であるとブラックホールになるのではなかったかと思う。

中性子星からは光(電磁波)がでるが、ブラックホールからは光は出ない。そこが違うので、ブラックホールの天文学が難しかった理由である。これはもう何十年も前に大学の天文学の講義をちょっと聞いていたときに、光のスペクトルがわかったので、天文学が急速に進んだのだと聞いた。

もちろん、天体力学を専攻する人もいるのだろうが、これは数学が難しくてそれだけだったら、天文学は進歩しなかったろうとそのときに聞いた。

(2017.10.19付記)とねさんのブログによれば、読売新聞、日本経済新聞等も報道しているようなのでNHKのニュースでは見ていないが、多くのマスコミで取り上げられたものであることはまちがいがない。その発表の様子がとねさんのブログで見ることができる。


新聞がいくらがんばっても

2017-10-17 11:55:02 | 日記

選挙結果はほとんど変わらない。こういう失望の経験はもう何回もしてきた。日本だけが保守的なのではない。アメリカもイギリスもドイツもである。フランスも保守的だが、ここは時によって潮目が変わるようなところがある。

民進党の前原代表は解党を突如決意したみたいで、方針も何もあったものではない。安倍一強を崩すのだと言ったときには本当かと思ったが、どうも前原氏には少し軽率のところがあるようだ。

結局、3極構造で野党がお互いに食い合っている。こういうことでは安倍一強体制は崩せない。残念だ。

 


精神の敗北主義

2017-10-16 12:10:16 | 日記

とは私が自分自身でいつも感じている自身の心の弱さである。

中学校までは学校の勉強で敗北感を感じたことがなかったが、高校の1年の途中から数学がまったくわからなくなり、英語学かなにかを大学で専攻したらどうかとまで考えていたが、高校2年のときにそれでは自分の人生がおもしろくはないだろうと思って、2年の途中から「考え方」の藤森良夫先生の本『解析の基礎』(考え方社)で少しづつ自学自習して数学を勉強し直した。

高校3年になっても、なかなかそのギャップはうまらなかったが、それでもなんとか大学の理学部物理学科に入ることができた。そういう経過をたどったのだが、やはり精神の敗北主義はいまも続いていた。数学でも物理でも私のような頭の悪い者にはわからないものだという敗北主義が抜けない。

そういうこともあって、数学の公式などというものも頭のいい人が勝手につくったものだという頭が抜けきらない。もっとも簡単な三角関数の公式だとか、または簡単な微分積分の公式などについてそう思ったことはないが、それがベクトル代数の面倒な公式か何かだとこれは頭がいい人が考え出したとかいう感じがしていた。

だが、もう数年前になるが、「ベクトル代数再考」というエッセイを書いたときにそのようなあまり頭の上等でもない私でも公式を自分でもその公式の証明ではなくて、公式を導くことができるということを発見した。それは単にある一つの技巧を知ったためである。

同様にある定積分の公式だが、これを自分でも導けるということを発見したのは、長年私の抱いて来た精神の敗北主義から完全にフリーになったとはまではいえないが、少いばかり自信を取り戻すこととなっている。これについてはいずれ数学エッセイを書くつもりである。

 


今週は

2017-10-14 11:47:27 | 日記

月曜日から昨日の金曜日までアクセスが200を越えた。こういうことはまったく珍しいことである。いままではアクセスは150~160を低迷していたから。

一日だけ今週でアクセスが300を越えたことがあったが、これはハルキという言葉が入っていたからであろう。もちろん、村上春樹さんのことである。ハルキ・ファンにとっては毎年今年はノーベル賞を受賞するかと気をもんでいるのだろう。それくらいハルキ・ファンは多いということである。

もっともアクセスは土曜日と日曜日に激減する。日曜日は私がブログを更新しない日であるので、これはしかたがない。

毎日、なんらかの仕事をしているのだが、それでも義理のある仕事ができないでいる。それでもやりたいことが私にはあるのでそちらを優先してしまうということもある。

私の子ども一人は自分が好きなことはするけれども、嫌いなことはあまりしないというふうであった。私は自分ではあまり好きでないこともすると思っていたが、そうでもなくてやはり自分の好きなことしかしないことを認識した。

latexでの図の入力をしばらくやっていなかったので、Tikzの使い方を忘れてしまったので、またTizkの復習をし始めたが、ぼちぼちしか進まない。確かに数学エッセイ「三角関数の還元公式」を書いていたころにはTikzで図の入力をしていたのだが、1年ほど空白が空いたので、もう一度初めから学び直しである。


Elon Musk

2017-10-13 11:19:55 | 日記

というアメリカの起業家がいる。地下に交通緩和のためのトンネルを掘ることを計画したり、自動運転の電気自動車の開発をしてみたり、何回も使える宇宙ロケットを開発して見たりという。

また、彼はソーラーパネルを備え付けた住宅と効率のいいソーラーパネルを開発してみたり、と大活躍であるらしい。これは地球環境を持続可能なものにするためにはどうしてもしなければならないことだという。

ただ、彼はそういうどうしてもしなければいけないことだけでもなく、未来への夢を人に与えなければならないと火星移住計画のための巨大な宇宙ロケットを開発しているという。話を引き出す役目の方がこれはやらなくてもいいことではないかと尋ねていたが、やはり人間に夢を与えることが必要なのではないかとことであった。

火星移住計画ということではこのブログでもある種の専門家の話をこのブログでも書いたことがある。それは火星に苔のような植物をロケットで打ち込んでス漉づつ酸素を増やすことを始めしていく。

その後で、人間が移住するというような話であった。これは夢物語ではなく、ある程度科学的な根拠のある話である。Muskの話はいままで存在するロケットの数十倍だったかの推力のあるロケットを開発するという。これを8-10年以内に行いたいという。

以上、はNHKのEテレのTEDでの昨夜の話である。


友人の死去

2017-10-12 12:46:14 | 日記

近しい友人が先日亡くなった。このことを私は知らなかったのだが、昨日、帰宅したら元同僚の方から電話があって、妻がその伝言を聞いてくれていた。

別に人間は無限に生きれると思っているわけではないが、それでもあたかも無限に生きられるかのような感覚で日頃を生きている。もっともよく考えててみれば、いつ私たちが死亡したとしてもおかしくない年になっていることに気がつく。

亡くなった同級生の彼ではなくて、私が級友を驚かせて死亡していても不思議ではない年になったのである。そのせいかどうか昨夜は少し寝入りが悪かった。

高校生のときの同級生や大学のときの同級生が亡くなるという事実は、私たちはすべからく生物の一員であり、生命が無限ではないことの証でもある。だが、それだからでもあろうが、やはり人は自分が死亡するという恐れをもたないから生きていける。いずれは物故することは誰も避けられないのだけれども。

そういうことを感じていた今朝に O 先生の奥様から電話をもらった。O さんの「量子力学講義ノート」の発表をせかされたわけではないが、それに当る意味をもっている。どうやって日頃の仕事の中に取り込んでいくのか。工夫が必要である。


WoodsのAdvanced Calculus

2017-10-12 12:10:50 | 数学

WoodsのAdvanced Calculusを E 大学の付属図書館から借りてきた。これは附属図書館の書庫の中でも立ち入り禁止になっているところにあった。それで図書館員に頼んで借り出してもらわねばならなかった。

実はこの書はあの有名なFeynmanが高校生のころの物理の時間に教室の隅で先生から与えられたこの書を密かに読んでいたという曰くつきの書である。この書によると初版は1926年だという。F. S. WoodsはMITの教授だったという。

なぜこんな古い書に関心があるかというと、この書でFeynmanがいわゆる「積分下でのパラメータによる微分によって、積分を求める方法」を学んだと彼の自伝『御冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)のなかで述べているからである。

私も以前に自著『数学散歩』(国土社)でこの記事をとりあげて、数学エッセイを書いている。タイトルは「微分をして、積分を求める」である。最近になって、これは日本では2012年のことだが、ストロガッツという人の『二人の微積分』(岩波書店)という本が訳書として出版されて、この書の中にまたこの「積分下でのパラメータによる微分によって、積分を求める方法」について言及されたからである。もっともストロガッツの原著は2009年発行である。一方、私の前著は2005年発行である。

『二人の微積分』には実はWoodsの表記の本が参考文献として出ており、元の原本の名前を知った次第である。

内容をここで、紹介しておこう。とはいっても章のタイトルだけである。

第1章 Preliminary

第2章 Power Series

第3章 Partial Differentiation

第4章 Implicit Functions

第5章 Applications to Geomerty

第6章 The Definite Integral

第7章 The Gamma and Beta Funcitons

第8章 Line,Surface, and Space Inegrals

第9章 Vector Notation

第10章 Differential Equations of the First Order

第11章 Differential Equations of Higher Order

第12章 Bessel Functions

第13章 Partial Differential Equations

第14章 Calculus of Variations

第15章 Functions of a complex Variable

第16章 Elliptic Integarals

Answers

Index

となっている。章のタイトルを日本語訳することもないだろう。これでおおよその見当はつくだろう。

 

(2022.12.1付記) 今日このブログを10人ほどの人が見たらしいので、自分でも見直した。Woodsの本にはベクトル解析の話も出てくることをこの目次で知った。

第8章 Line,Surface, and Space Inegrals
第9章 Vector Notation
 
がそれである。この本のこの箇所は読んでみる必要があるだろうか。私は今ベクトル解析に関心があるので。また微分をして積分を求めるところはたぶん第6章の定積分のところだったと思う。
 
パラメーターで微分して定積分を求める話は『数学散歩』に書いたよりは詳しく「数学・物理通信」に3回にわたって書いてある。インターネットで「数学・物理通信」を検索すれば出てくると思う。
 
(2023.4.6付記)8章と9章のベクトル解析のところを見てみたいのと定積分下でのパラメータによる微分による積分の例をきちんととりあげたいと思っている。私も「数学・物理通信」で3回これについてエッセイを書いたことがあるのだが。いつだったかインターネットでファインマンの使った積分法はどういうものだったのかという質問があり、私の『数学散歩』(国土社)のgoogle booksからの引用が質問の解答に使われていた。少しは世間のお役に立っていればうれしい。『数学散歩』(国土社)の内容についてはgoogle booksは一時にすべての内容を展示してはいないが、ある時々で掲示される箇所が異なっている。

(2024.2.7付記) 昨日だったか7人の方がこのブログを見て下さったらしい。Woodsの本が関心をもたれることは考えられないので、やはり「微分して積分を求める」ということが関心をもたれたのであろう。

その後、Woodsの本を読んで、「微分して積分を求める」という例が私のすでに上げた例以外にもあれば、報告すべきであったろうが、これはまだ果たせていない。

しかし、いずれにしても「数学・物理通信」にはすでに十分な例を挙げてあるので、そちらを参照してほしい。

エッセイがほぼ完成

2017-10-11 11:28:37 | 日記

した。これは昨年のいまごろ書こうとしていたのだが、なかなか手がかりをつかめなくて8月にようやく手がかりをつかめて、昨日およその完成を見たのである。

何回も同じようなことをブログに書いているので、記憶力のいい方はまたあいつは同じことを書いていると思うことだろう。だが、人間はそんなものである。特に私は進歩がとても遅いのである。もっともそれだから確実な一歩を踏み出したいといつも思っている。

まだ文献をきちんと調べる必要があり、そういう意味ではなかなかエッセイは完成をしない。

いまのつぎにやってみたいことは、定積分の方法についてのレビューをしたいと思っている。構想はずっと以前にもったのだが、それがあまり具体的には進める時間も機会ももてなかった。そろそろそれがしたいことに上がってきている。


ハルキ・ファン

2017-10-11 11:17:09 | 日記

が日本には多いのだろうと思っている。というのは「ハルキでなくてカズオ」というブログを書いたら、300を超えるアクセスがあった。

普通には150から200くらいのアクセスしかないこのブログである。300を超えたのは珍しい。だから、世の中には今か今かとハルキさんのノーベル賞を待っている読者がいるのだと思う。

その願いがいつかは届くのかどうかは誰も知らない。私はいくつかの彼の短編を除いて、彼の小説を読んだことがないので、あまりファンとはいえない。

いつだったか、松山に大江健三郎氏が講演に来たときに彼が若いときに人気の作家は太宰治であって、それは現在の村上春樹さんのようであったと、講演で述べていた。

そのころ(彼の高校時代)だが、彼のお気に入りの作家は中野重治であったという。これはまた渋い好みである。そして、その高校時代に知り合った伊丹十三は伊丹のお父さんとの関係で中野重治を知っていたらしく、それがもとで大江と伊丹とは友だちになったとかその講演のときに大江さんは言われたように記憶する。


logistics

2017-10-10 10:52:07 | 日記

タイトルで数年前(とはいっても10年前くらいかもしれない)にブログを書いた。これは東京品川のプリンスホテルの近くの小さなレストランで子どもと落ち合って、夕食を食べようとしていたときにカウンターの近くの席に座ったアメリカ人が普通のライスを食べたがっており、そのときにしばし彼と話したことがあった。

彼はIBMに勤めているというので、エンジニアかと尋ねたら、logisticsと答えた。子どもにlogisticsとは日本語で何だろうかと尋ねたら、そくざに「兵站」と答えが返ってきた。私も同じことを思いついていたので、今風には兵站はないだろうと言ったら、子どもが「物流かな」と言ったといういきさつを書いた。

最近はカタカナでロジスティクスという名の会社までできている。それにしても兵站とはあまりなじみのない言葉である。今年の夏休みに夜のNHKのテレビにインパール作戦の話が出てきた。そしてこれはたくさんの死者を出した、劣悪の作戦になったのだが、その作戦が参謀部で話題になったときに兵站担当の参謀から反対が出たという話があった。

ところがそれが受け入れられず、強引にインパール作戦が行われたという。要するに、食料とか兵器弾薬の補給等を担当するのが兵站なのであろう。それが十分に補給されなければ、戦争にはならない。だが、それをなんとか精神的なもので克服しようと考えるなどは合理的に考えれば、もってのほかである。そのインパール作戦の責任などあまりとられなかったらしい。

政治でも責任をとらないで、自分は全く責任がなかったかのごとくいうのは日本では加計・森友問題についてでも安倍首相以下いつものごとくである。それに騙される私たちが私たちの方が悪いのか。記録がないというのは本当は記録をするべきものだから、自分たちの仕事の不備そのものであろう。

 

 

 

 

 

 

 


ハルキではなくてカズオ

2017-10-09 11:49:27 | 日記

がノーベル文学賞を受けた。イシグロさんの名前ぐらいは知っていた。というのは鶴見俊輔さんの書にときどきカズオ・イシグロの名前がが出て来ていたからである。鶴見さんは英語で多分イシグロさんの小説を読んでいたのであろう。

もう一昨年なるだろうか、イシグロさんが日本に来て英文学専攻の学生を前にした講演をNHKのEテレで見たことがあったが、その再放送が昨日やはりEテレであった。

わかりやすい英語でもっとも私は字幕にほとんど頼った理解ではあったが、ある程度英語のほうも聞くことができた。さすがに朝日新聞も日本の作家とは言ってなかった。イギリスのためにおめでとうとお祝い申し上げたい。

昨夜の再放送でもイシグロさんが言われていたが、5歳でイギリスに出かけて10歳くらいまでは日本に帰るというつもりであったが、両親がイギリスにとどまることにしたので、結局イギリスで教育を受け、最後にはイギリス人となったということである。

見かけは日本人だろうが、中身はもうイギリス人であろう。なかなか頭のよい人という印象であった。

 

 


ラプラス演算子のエッセイ

2017-10-07 15:53:58 | 日記

を書きかけていたのだが、9月は科学史の論文を投稿するために時間がとれなかった。それがちょっと時間ができたので、計算をしている。

これはいつだったかに中西先生から言われたことを今回決着をつけておこうというので8月中にはこれについての数学エッセイを書いていたのである。それが途中で他の仕事があったので中途で中断していた。

10月になって時間はできたのだが、なかなか取りかかれなかった。昨夜からようやく本来の仕事に復帰したのだが、夜はテレビを見てしまうのでなかなか仕事がはかどらない。しかし、少なくとも小さい次元の場合から積み上げるのはかえって面倒ということがわかったので、いま n 次元の式を一つ下の (n-1) 次元から出すという数学的帰納法で証明する方針に切り替えた。

これはすでに以前に証明しておいたはずだが、どうもあやしかったので、補足の計算をしている。これができたら、3次元のラプラス演算子の極座標表示とあわせてエッセイを書くつもりである。

これは中西先生からの以前からの宿題を解決するだけではある。練習問題ではあるが、自分にわかる言葉で決着をつけておきたい。


黄色の車

2017-10-07 12:34:01 | 日記

黄色の車はとても目立つので、よく白バイとかパトカーに捕まると言っていたのは、一時黄色の車に乗っていた知人の O さんであった。なんでそんなことを思い出したというと私の前を黄色の車が走っていたからだ。

ところが先刻のことだが、3車線ある真ん中の車線を走っていたのだが、前の車がまったく動かなくなった。おかしいなと思っていると、隣の車線にパトカーがやって来て、私たちの車線の前に割り込んだ。それでようやく事故だとわかった。

横の車線には車がつまっていたが、ようやく入れてもらい、前に進んでみると黄色の車が赤の車の右横にぶつかってへこんだ跡があった。あれ、前の車がぶつかったのだっけと見ると、すぐ前にいた車はそういえば、私と同じに右車線に出て、前に進んだのだった。あのくらいのへこみでは人身事故はなかったろうが、事故処理に今日一日が費やされることであろう。

ということで、期せずして、黄色の車を数台いっきょに見たことになった。赤の車は今ではそう珍しくないが、さすがに黄色の車は赤の車ほどは多くはない。

 


三角関数

2017-10-06 12:23:27 | 日記

について何を取り扱うべきかここ数日悩んでいる。これは以前につくったe-Learningのテクストで三角関数の章がまるきり落ちていたのを補いたいと思っているからである。

三角関数など古くて誰がどのように教えてもあまり変わらないのではないかという気もしないでもないが、やはり私には高校時代に読んだ藤森良夫先生の著書『解析の基礎』続編(考え方社)の影響が強くある。

この書にはテーラー展開でsin関数やcos関数をあらわすことまで書いてある書であった。だから、sin関数を項別微分して、cos関数が得られることまで書いてある当時の高校生としてはかなり背伸びしてある、三角関数の章であった。

そういうことを書いた通俗的な本というかそういう書がまったくないわけではない。思いつくだけでも村上雅人さんの『なるほど微積分』(海鳴社)などにはこのことが書いてあるし、村上さんはご丁寧に逆の項別積分して逆のことになることまで書いてある。

藤森さんのほんにはさすがに逆の積分公式も出せるまでは書いていなかったように思う。

工学的には、測量とかのことを無視すれば、あまり三角比との図形の関係はどうでもいいが、やはりそうはいっても三角比のおもしろさもないわけではない。

そういうことを考えると三角関数という範囲で何を取り扱い、何をとり使わないのかは議論があるであろう。図形と三角比の関係だけでも結構の話題があり得ると考えられる。

もうすこし三角関数のことを考えねばならない。こうやってもやもや考える時間をもつことが私には至福の時間かも知れない。

(付記)上記の『解析の基礎』続編には導入部分で初等超越関数として三角関数と逆三角関数と指数関数と対数関数とのことがあげれられている。


80-20

2017-10-05 18:24:56 | 日記

というとなにか。これは最近になって歯科学会とかが唱えているモットーとかである。

要するに人の歯が80歳のときに20本残っているとかいうことを目指すとかである。昨日、奥歯を一本抜歯しなくてはならなかったのだが、それでもあと2年であれば、80-20は達成しそうである。

私の妻などは早々に入れ歯にしてしまった。虫歯になる恐れがないのである。私はまだ虫歯ができる恐れは大いにある。

私の先生の一人の二番目に老齢の S 先生は先年亡くなったが、お父さんが歯の頑丈な人であったらしいが、年を取って入れ歯にしようとしたら、歯茎が衰えていて、なかなか入れ歯にできなかったと言っていた、

だから彼は歯が頑丈なのもいいとも言えないとのご意見だった。だが、私は食べることが生きる意欲につながるのだと聞いて、できるだけ自分の歯を大切にしている。

しかし、これで奥歯を抜いたのも3本目が4本目である。