物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

いらいら

2015-04-07 12:43:16 | 日記
あまり私はいらいらする方ではないが、ちょっとこのところいらいらしている。

内容をいうことはできないが、いろいろな文書を最近見て編集をしたり、修正することを続けているからである。

どうも先週から1週間ほどにわたってそういう作業を続けてきていた。それがほぼ終わったところでつぎの作業にかかろうとしたところでイライラが出たのである。

誰かに向けて怒っているというようなことではないので、始末がわるい。もし誰かに怒りをぶつけることができるのならば、それは簡単であるのだが。




独検2

2015-04-06 13:04:10 | 日記
以前に購入していた、独検2級の試験問題を解いてみているが、これは私にはとても難しくて、合格圏には程遠いことがわかった。正直にいうと2割くらいしか正解がない。合格圏は6割くらいだというのに。

3級の問題はもちろん完全に解けるなどということはないのだが、それでもそんなに難しいとは感じないのだが、2級は難しい。

3級の必要語彙が2000語くらいなのに対して2級に対して要求される語彙数はは5000語ー6000語だという。その差は大きい。

2級はドイツ語専攻の学生が4年修了くらいで合格すればよいという話らしいから、どうもかなり難しい。ということで自分の実力はいまのところ2級には達していないのだが、それでも始まりがないと到達ということもないので、6月の試験まですこし受験勉強をしてみようと思う。

最終的には準1級くらいを目指したいという見果てぬ夢を抱きながら。

国破山河在

2015-04-04 09:51:41 | 日記
春望             杜甫

国破山河在 国破れて山河は在り
城春草木深 城は春にして草木深し
感時花濺涙 時に感じて花も涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨みて鳥も心を驚かす
烽火連三月 烽火は三月に連(つら)なり
家書抵万金 家書は万金抵(あた)る
白頭掻更短 白頭の掻きて更に短く
渾欲不勝簪 渾(す)べて簪(かんざし)に勝(た)えざらんと欲す

この杜甫の詩は吉川幸次郎・三好達治編の『新唐詩選』(岩波新書)からとった。

今朝どうしたものか

国破れて山河在り
城春にして草木深し

というこの有名な詩の一節が頭に浮かんだ。そのときに「烽火三月に連なり」という個所がこの詩のどこかにあった気がした。それでそのことを妻に言ったら、すぐにタブレットで探してくれた。

私の疑問は「烽火」と「三月」とがどう関係しているのであろうというところにあった。そのことをいったら、タブレットで実はこの「三月」は一月、二月、三月の三月ではないという。三か月のことらしい。ところが後で上の書の該当箇所を読んだら、三月を三か月間と解するのは誤解であろうと書かれている。ほんとうはどうなんだろうか。

いま、この詩の注釈を読むと「破れて」は「敗れて」ではないという。「破れて」は国家の機構が解体してずたずたになった状態だという。戦争に負けたときの心情をうたった詩かと思っていたのは誤解であった。

杜甫はどれくらい以前の人かは知らない。だが、まさに La vie est courte, mais l'art est long. (人生は短く、芸術は長し)である。Hippocrateの引用だとインターネットにあった。そこにはmaisが入っていなかったが、わざと私の気持ちとしてmaisを残しておこう。

杜甫にはいまのようなインターネットの時代が来るなどとはまったく予想もされなかったであろうし、そのような現代に自分の詩を思い出してくれる人がいるだなんて。

独検

2015-04-03 11:16:52 | 日記
ドイツ語検定はもう何十年も行われていると思うが、あまり受けようと思ったことがなかった。

年も年になって来たので、今年は受けて見ようかと思い出した。もっとも3級ぐらいから始めるつもりである。自分のドイツ語力を自分のことは自分に甘めに見ているので、2級と3級の中間ぐらいの力ではないかと思っている。

3級の過去問をちょっとやってみたところではもちろん全問正解ということはできないが、それでもかなりの部分を正解できるようである。だが、これは昔の記憶で確かではないが、2級の試験をR氏が試みに私たちにしてくれたことがあったが、これにはてこずった記憶がある。

だから、ぱっと準備をしないで2級の試験を受けたら、落第まちがいなしである。だから、少し準備をして合格するくらいにはしたいが、たぶん数回試験を受けないと2級には合格をしないだろう。

私の目指す目標はまずは2級であり、さらにいえば準1級である。1級にまで行ければいうことはないが、それは多分いまの私にはとても難しいだろう。

年をどんどん取って来るので、記憶はますます厳しくなってくる。覚えたことをすぐに忘れる。だから、1級に到達することは私の見果てぬ夢かもしれない。

お大師さまと花見

2015-04-02 15:01:38 | 日記
明日からは雨になるので、今日が花見のできる最後の日とかいうことで石手川の上流にあたる岩ぜきのあたりのサクラを見に行こうと妻に誘われた。昨日も妻は友人とそこに出かけてきたという。

その近くのスーパーでお弁当と飲物を買って、石手川の土手に出る。ここは川沿いで暖かいせいか桜が満開である。まだ、それほど桜が散る気配もなく、お花見の客も結構多い。

ウィークデーであるから、私のような老人はともかくとして若い男性は少ないようであるが、子ども連れとかも多い。ゴザやシートを敷いて座り、弁当や飲物を食べたり、飲んだりしている。

「そめい吉野」の白いサクラと愛媛の人が品種を育てたといわれる、濃い赤の「陽光」の適当なミックスされて植えられており、とてもきれいである。それにここは石手寺の近くでもあり、石手寺の背後の山に屹立している、お大師(弘法大師)さんの像もこの石手川沿いのサクラを嘆賞しているかのようである。

あさ、朝食後に

花のもとにてわれ死なんそのきさらぎの望月のころ

という西行の和歌を思い出していた。この言葉の通りに西行は桜の咲くころに亡くなったという。

きさらぎとは2月のことだが、旧暦の2月は3月の終りか4月の初めごろであろう。

コメントするのが難しい

2015-04-01 10:45:47 | 日記
OCNのブログ人にこのブログがあったときには気楽にコメントを頂いたと思うのだが、どうもこのgooにブログが移ってから「コメントするのが難しくなっている」という感じを受ける。

問題点はコメントの修正が難しい。コメントをする人もこのことがコメントを差し控える原因になっているような気がする。そういう点ではこのブログの運用面についてもこのブログの運営会社の改善を密かにお願いしたいと考えている。

まあ、ブログで少しくらいぼやいても直ぐに改善がされるなどと思ってはいないが。

「コメントするのが難しい」というのは内容が難しいという風にもとれるが、そういう意味ではなく、コメントの記入をミスったらすぐに簡単に修正する方策があるのかないのかという点である。これはひょっとすると利用している私の方の問題であって、運営会社の問題ではないのかもしれない。そこら辺はよくわからない。