物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

風姿花伝

2014-01-30 15:17:07 | テレビ番組

昨夜はNHKのEテレの水曜夜11時から「100分で名著」で、世阿弥の『風姿花伝』の最終回だった。

『風姿花伝』がいかにいい演劇論であっても、そんなものに関心はないというのが私の始めの反応であった。だから、第1回の放送は見なかった。2回目から見るとはなしに見たのだが、結構興味深かった。

昨夜は「秘すれば花」ということが主だった。「常に新しい花を用意しておけ」というのが世阿弥の戦略だったという。室町時代には能もいくつかのグループがあり、それがお互いに真剣勝負のような様相を呈しており、その勝負に負けるとお引き立てを受けなくなり、自分たちの生活が立ち行かなくなるという事態だったらしい。

それで、いつも別の能のグループとの勝負にもし負ければ、生活できない事態になるから、その勝負に負けないように、自分の中にもう一つ何かをもつことが必要であった。

これは先生の解説によれば、現在のダブルメジャーの社会のようでもあるが、一つのメインの仕事があってももう一つの仕事というか使える余技をもっておけということでもある。

なかなか現代も厳しい世界である。しかし、そのような厳しさは約600年前の能の世界にもあった。

世阿弥はいう。「舞台の写実はリアリズムではない」。もし舞台が現実を実によくその通りに写しているならば、そんなものは大衆に見てもらうことができないという。

伊集院光さんが言っていたように、「リアルとリアリズムとは同じではない」のである。

最後に、人間には「男時と女時とを知る」ことが大切だという。男時とは何をしてうまく伸びて盛んになるときであり、女時とは何をしてもいかに努力してもうまくいかないときである。

人生にはいつでも男時ではなく、如何に努力をしてみてもうまくいかない女時があるのだという。そういうときでも自分に男時になったときに成功できるように自重して努力をして準備をしておくべきだという。

世阿弥の実際の人生においては70歳を超えたときに、室町幕府の将軍から流刑の罪を受けて佐渡島に流されたという。それでも世阿弥は研鑽を積むことは怠らなかったという。そこで、世阿弥が生を終えたのかどうかは知らないけれども。

ただ、一つ注意しておきたいことはこのブログとかこのNHKの番組を見て、『風姿花伝』を読んでみようと思う人がいるかもしれないが、多分『風姿花伝』から、そのような私たちにも役立つようなことを簡単に学び取れるとは期待しない方がいい。

放送では練達の方々が案内をしてくれているので、すばらしい書であることがわかるのだが、それはだれにとってもそうであるわけではないだろう。そういう覚悟を『風姿花伝』を実際にひも解いてみようと考える方々にはして頂くのがよいと考えている。


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