数日前の朝日新聞に近藤康太郎さんが編集委員として紹介されていた。
新しい記事を順番で書くその一員になったということらしい。近藤さんと面識があるわけではないが、このインターネットの世界での知り合いの一人である。
彼は東京は渋谷区の生まれであり、だいたい田舎とは無縁の人だったらしいが、数年前に長崎は諫早支局へ自ら申出て赴任した。
そこでアロハシャツを着て田植えを行い、はじめての農業にせいを出す。その記事を朝日新聞に連載したりしていたが、数年前に大分県の日田市に赴任してここでは猟に励んでいたりした。
そしてこれまた前からの続きとして連載をしていた。彼をしたってジャーナリストの若い記者たちが集まり、それも彼のところに入りびたりの記者もいたようだった。
日田から東京に帰ったのかどうかは私は知らないが、とうとう朝日新聞の編集委員の一人になった。異色の編集委員である。もっとも彼は九州に行くまで、東京とニューヨーク以外のところに住んだことがなかったというから根っからの都会っこであったらしい。
なんで、その近藤さんと知り合うようになったかといえば、彼の高校時代の数学の先生である、武藤先生の紹介である。
近藤さんもちょっと変わった経歴なら、数学思想史の研究者である、武藤先生もちょっと変わった数学者である。
これは学歴が変わっているという意味ではない。そういう意味なら、近藤さんだって、武藤先生だって輝かしい学歴の持ち主である。
そうではなくて、その思想が自分で自分の枠を越えようと常にしているという点で特色のある方々である。
彼らと知り合いになれた、幸せを感じている。
なかなか筋金入りの都市離れ論者である。これはもともと近藤さんが東京育ちということもあるのだろうと思う。
私のように地方のある町に育った者が持ちえない世界観を抱かれるようになったと思う。これはオリジナルな考えであろう。
その一方ですぐにコンサートやライブに出かけられないことも認めておられる。
それで、自分がライブを演奏をしたらどうかとかいうふうに考えが広がっている。文化はそこに住む人が担うべきだというお考えである。賛成である。