物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

新聞コラムのタネ

2011-10-13 12:53:58 | ニュース

新しいニュースではないが、今朝新聞に載っていたことについて述べてみたい。このコラムは朝日新聞の「天声人語」である。

この天声人語子はいう。書くネタがないときにはその日の歴史を調べて書くとか。いつだったかこのブログのタネがなくて困って、その書くネタがないことを話題にして一日の責めを逃れたことがあった。

新聞では今日は「話題なし」として白紙の新聞を出すことなどできないだろが、白紙の新聞を出すことができたら、どんなに気が楽だろうとか書いたような気がする。それでもときどき新聞は白紙で発行することがある。

これはもちろん日本などではあることでないが、発展途上国等で言論の自由が制限されたりしたときに、その抗議の意味で空白のある新聞を発行したりする。その場合には空白の部分は何か文章が書いてあるよりも雄弁に読者に語りかける。

それはともかくとして、毎日コラムを書いている天声人語子にして書くタネに困ることがあることはほとんど日曜日以外は何かを書くことを日課としている私には他人事とは思えない。

有能で感性あふれた、優れたジャーナリストの天声人語子にしてそういうことがあるのなら、凡庸な私などがパソコンの前でしばし何を書こうかとしばし立ち往生するなどは当然のことだと思える。

それに私は日曜日にはブログは休みである。その利点はフルに活かしたい。


Il faut cultiver notre jardan

2011-10-13 11:30:54 | インポート

今朝は朝起きるのが遅かったので、仕事場についてラジオにスイッチを入れたら、沢田直先生のフランス語講座の終わる時間だった。

Lattanzioさんの最後の言葉がこのフランス文であった。Il faut cultiver notre jardan(イル フォー キュルティヴェ ノートル ジャルダン)と聞こえた。「自分の庭を耕さなければならない」と訳せるこの文句はどういう意味合いで言われたのかは聞かなかったが、ある意味で深く心にしむ文句である。

私などはおよそ耕作には適しない人間で庭の草さえとらない。これは父が晩年まで庭とか畑をいじっていたのとはまったく異なる。もっとも私の兄弟姉妹は誰もそういう趣味がないみたいだから、私だけの問題ではない。

特に日本人の感覚では庭は耕したりするものではなかろう。畑は耕すとしても。それでももうずっと昔のことだが、実家の庭にボタンの植わった一角があり、春先に祖母がそこの土を耕していたような気がする。

それが意味のあったことかどうかはわからないが、祖母はボタン畑を耕すことがいいことだと信じていた。祖母は女学校の裁縫の元先生であり、嫁である私の母には結構厳しかったようだが、私たち孫には優しかった。

私が文章を書くことが好きなのは母の資質を受け継いでいる。母には特に学があったわけではないが、そういう資質は5人いた兄弟姉妹のうちで私が一番受け継いでいるのかもしれない。