先日、E大学の生協書籍部に行ったら、「この数学書がおもしろい」(数学書房)があったので買って帰った。次の日に斜め読みをしたのだが、私にわかったのはどうもこの書に推薦されているような書をほとんど読んだことがないということであった。
数学者の読むであろう書をほとんど読んでいないのは当然としても物理学者として私が存じ上げている方々の読んだという書もほとんど読んだことがないとはさびしい限りである。もちろん「ほとんど」ということであって、「まったく」読んだことがないということではないが。
それにしても私は若いときに何をしていたのであろうと不思議になる。もともと私があまり読書家ではないとしても。ベルの「数学をつくった人びと」(東京図書)にしてもそれを通読したことはない。もちろん、いくつかの部分を拾い読みをしてはいる。
そして、ベルが複素関数の分岐点の定義について「一般の多価関数において、ある特殊な点においてこの多価性が成り立たない点があり、この点が関数の分岐点である」(この文はこの通りではもちろんないが)というようなことを書いてあることを知った。
しかし、これは普通の読み方ではなく、目的をもってこの本の一部を読んだということである。だから読んだとは言えないであろう。
学生のころ、私の先生の一人のSさんが量子力学の本を1冊ではなく、数冊を拾い読みして身につけたとか聞いたが、それをもっと悪くしたような勉強の仕方しかしてこなかった。
だから、こういう数冊の数学書をじっくりと読んだ人の書いたものを読むと「なんと私は粗雑で散漫なことよ」といまさらながら、恥ずかしくなってしまう。
ということでこの書は私にはあまり心地のよい書ではなかったが、他の方々がどのような書を読んでいるかが(もちろん限られた方々ではある)わかった。が、もうこれは私にはあまりに遅すぎたようである。