先日コンスタンツ大学のエングラインさんという講師の方が愛媛大学で愛とか感情とかと意識とか意志の関係について講演をした。それで思い出したのだが、私の習った哲学の先生、門秀一さんは一年を通じて愛について語っていた。
それで覚えているのはたった一つで愛にはエロース、フィリア、アガペーの3つがあるということだった。大学で学んだことで定着していることなんてこんなことだ。とてもうすぺらなものである。
久保という心理学の先生の講義で覚えているのはアンパンを食べると蕁麻疹を起こす人がいるということである。それ以外に先生が言いたかったことはあるのだろうが、覚えているのはそういうことだけである。
山下という法学の先生のことで覚えているのはたけのこが地中を伝わって隣家に行ったら、それは自分のものか隣家のものかだとか、木の枝が伸びて隣家に行ったら、それを隣家の人は勝手に切ってもいいかだとかというようなとりとめもないことである。
英語の先生からは軽蔑すべきことはsnobともう一つ何とかだと聞いたが、そのもう一つの方は思い出せない。
東洋史の今堀誠二先生の講義で覚えているのはインドでは暑い夏の盛りには広場の木陰の下に大勢の人が集まり、そこでじっとしているのが涼しいのだという話であった。大気が暑いので人が集まっていれば、その人の分だけその辺りの気温が低くなるという話であった。本当かどうか知らないが、理屈にあっていそうに思えたのがその話を覚えている理由であろう。
しかし、そのようなとりとめもないことの集積が私の人間形成に役立っていると思う。